戦略的な企業財務が果たす役割 〜 アイシン精機刈谷第一工場の火災事故 ① 〜

2011年12月20日火曜日 | ラベル: |

6月10日(金曜日)のブログに、経済産業省の「リスクファイナンス研究会報告書」について書きました。同報告書には下記のような記述があります。

 「リスクが発生し顕在化し経済的損失が発生した場合に備えて、企業が運転資金、事故対策資金、復旧資金等を事前に手当てしておくこと、すなわちリスクファイナンスの重要性については未だ十分に認識されていない。*1」 
 「リスクファイナンスとは、〈企業が行う事業活動に必然的に付随するリスクについて、これらが顕在化した際の企業経営へのネガティブインパクトを緩和・抑止する財務的手法〉である。すなわち、事業活動に対して適切な財務手当てが出来ていない場合には、当該事業活動に係るリスクの顕在化により、財務基盤が毀損される可能性がある。したがって、企業の持続性や競争力を高める上で、リスクファイナンスを含めた戦略的な企業財務が果たす役割は非常に重要である。」

     *1 経済産業省 リスクファイナンス研究会報告書(平成18年3月)
       http://www.meti.go.jp/report/data/g60630aj.html

 私がキャッシュフロー・リスクの重要性を最初に実感したのは、平成9年(1997年)2月1日に起きたアイシン精機刈谷第一工場の火災事故の分析でした。この火災により、プロポーショニングバルブという、自動車のブレーキの重要な部品の供給が全面的にストップし、トヨタは3日間にわたりやむなく操業を停止し、他の取引自動車会社にも大きな影響を与えました。然し、同社は速やかに代替生産体制を確立するなど、復旧は予想外に早く、4月末には総ての内製化を完了し、トヨタ・グループの事後的な対応の強さを示した好事例だと評されました*2:。
     *2 1997年予防時報 191 森宮康 部品工場の火災とリスクマネジメント

 私は事故の財務的なインパクトを有価証券報告書のデータで分析しました。
1.業績
○損益計算書                              (単位百万円)
  平成 7 年度実績
( 事故前期 )
平成 8 年度実績
( 事故期 )
平成9度実績
(事故翌期)
( 7 4.1 - 8.3.31) (8.4.1-9.3.31) 前期比 (94.1 - 10.3.31)
売上高
477,129
519,073
41,944
521,417
売上総利益
( 同上率 )
49,243
( 10.3% )
54,992
(10.6%)
5,749
(0.3%)
46,909
( 9.0% )
営業利益
(同上率)
13,127
( 2.8% )
16,508
( 3.2% )
3,381
(0.4%)
7,283
( 1.4 %)
 経常利益
(同上率)
15,331
( 3.2 %)
18,751
( 3.6% )
3,420
(0.4%)
10,523
( 2.0% )
特別損失
 ―
7,803
7,803
△ 7,803
当期純利益
(同上率)
8,031
( 1.7% )
5,807
( 1.1% )
△ 2,224
(△ 0.6% )
10,523
( 2.0% )
月  商
39,761
43,256
3,495
43,451

 事故期の売上は前期比7.9%増、経常利益は前期比22.3%の大幅増益で、事故の損失78億3百万円負担後でも58億7百万円の利益を計上しています。事故は起こったが業績自体は順調だったということです。
 事故翌期は、売上総利益、営業利益、経常利益の各段階で金額・利益率ともに落ちています。代替生産体制確立等の事故処理対策に費用が掛ったためかと思われますが詳細は判りません。然し事故の特別損失が無いため、当期純利益は金額・利益率ともに事故期を大きく上回っています。

 2.キヤッシュフロー実績  
                                        (単位 百万円)
科  目
平成7年度実績
 (事故前期)
平成8年度実績
 (事故期)
平成9年度実績
 (事故翌期)
現預金及び一時保有の有価証券
 
46,272 31,568 17.634
 
営業活動によるキャッシュ・フロー
19,908
11,847
17,524
投資活動によるキヤッシュフロー
△ 42,632
△ 34,406
△ 28,203
事業のキヤシュフロー
△  22,724
△  22,559
△ 10,679
財務活動によるキヤッシュフロー
8,020
8,625
23,560
当期総合キヤッシュフロー
△  14,704
△  13,934
12,881
 
現金及び現金同等物の期末残高
31,568
17,634
30,515
同上 月商比
0.8 ヶ月
0.4 ヶ月
0.7 ヶ月

アイシン精機の事故期の業績は増収・増益だったのですが、営業活動によるキャッシュフローは前期比80億6,100万円(事故前期比40.15%減)の大幅な悪化になっています。業績は順調なのに何故こうなったのだろうかと思いました。
 私は本来公表の数字で分析をすることを基本にしているのですが、この点については推理をしてみることにしました。*3
     *3 ブログ・9月1日「推理小説とリスクマネジメント」参照

 念のため貸借対照表の各勘定科目の増減を見たところ、売掛金が前期末比11,867百万円、買掛金が前期末比10,265百万円増加していました。共に売上の伸び率以上に大幅に増加しています。通常売掛金の異常な増加は期末近くに大きな売上を計上した場合に生じます。買掛金の異常な増加は期末近くに大きな金額の仕入れをした場合に発生します。そこで相手先別の売掛金の増減を調べてみるとトヨタへの売掛金が前期末比6,914百万円増加していました(当時の有価証券報告書の開示内容は非常に詳細でした)。

 事故期末の売上増は売掛金の増加となり事故期中にはキャッシュになりません。一方事故対策費用は期中に発生するので、事故期のキャッシュフローが悪化したものと考えられます。
 さらに、事故翌期、通期では営業活動のキャッシュフローは事故期比5,677百万円改善していますが、事故翌期の中間決算期末9月30日の現・預金残高は前期末比6,832百万円減の5,309百万円、一時保有の有価証券も前期末比1,371百万円減少して合計では前期末比8,203百万円の大幅減になりました。
 前年同日比では、現・預金残高は8,789百万円減、一時保有の有価証券も前年同日比8,535百万円減少して、合計では前年同日比17,325百万円の大幅減になっています。
 アイシン精機は業績面では問題が無い状態であったとしても、工場の火災がキャッシュフローに与えた影響は事故翌期の前半まで及び、その影響は82億円〜173億円に達したと言えます。
 確認出来ていませんがアイシン精機におけるプロポーショニングバルブの売上比率は数%(多分5%未満)だったと思われます。その事故がこれだけ大きなキャッシュフローへのインパクトを発生させた訳です。
 アイシン精機は手元現・預金減と有価証券の売却でキャッシュフローの不足を賄い、金
融機関に融資を依頼する必要は無かったのですから、キャッシュフローの危機だったとは言えません。世間では同社のキャッシュフローのことなど当時全く問題にしていませんでした。

○資金残高推移                          (単位 百万円)
 

現・預金
一時保有の
有価証券
 合  計
 金  額
前年同日比
8.3.31
16,441
15,126
31,568
8.9.30
14,098
12,657
26,756
△10,261
9.3.31
12,141
5,49 3
17,634
△13,934
9.9.30
5,309
4,122
 9,431
△17,325
10.3.31
13,505
17,010
30,515
12,881

 古い銀行員の分析・推理の結果からは、アイシン精機は「事故期の売上高・利益のアップを図るため、期末近くにトヨタ向けを中心にかなりの売上増を図った」のだろうということになります。何故こうしたことをする必要があったのかを考えて見ることにしました。
その結果は、事故翌期末に償還期限の来る転換社債147億8,300万円があったことが判明ました。事故の結果業績が大幅に低下すれば、株価が低落します。その結果事故翌期に転換社債の転換が順調になされなければ、キャッシュフローに大きく影響します。それを防ぐために、戦略的な財務対策を立てて実行したのではないかと推察されるに至りました。詳細は次回に申し述べますが、私の推理では、アイシン精機は平成18年の経済産業省の「リスクファイナンス研究会報告書」公表の9年も前に既に「リスクファイナンスを含めた戦略的な企業財務」を実行していたのではないかと思われます。
 私はこの推理・分析の結果を通して、事故・自然災害発生時におけるキャッシュフロー対策の重要性を痛感し、これが今の私の主張の原点になっています。

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東京電力の現状と将来の見通し⑥ 〜 緊急特別事業計画に基づく業績見込みとキャッシュフロー 〜

2011年12月10日土曜日 | ラベル: |

○東京電力の福島原子力事故調査報告書について
 東京電力の福島原子力事故調査報告書(中間報告書)が12月2日に公表ましされました。そのスタンスは「当社はこれまで原子力災害に対するリスク低減に、様々な観点から取り組んで参りました。しかしながら、(中略) 結果として、整備して来た取り組みが至らず、放射性物質を外部に放出させるという、大変な事故を引き起こした事に対して深くお詫び申し上げます。」ということです。

 福島原子力発電所事故の概要は「地震に対しては、原子炉の安全維持に必要な電源は確保された。しかし、その後襲来した史上稀に見る津波により、6号機を除き全交流電源を喪失。海水ポンプの冠水により補機冷却系も機能を喪失、1-3号機は直流電源喪失により交流電源を用いない炉心冷却機能も停止。」
 津波の評価については、「設置許可に記載されている津波の高さについては、現状でも変更されていない。」 
  「本報告書では、事故当事者として、体験したこと、集約したデータ等に基に、教訓を得るべく務め、(中略)取りまとめを行いました。これらについては(中略)国内外BWRプラントの安全性向上にご活用いただきたいと考えております。」と書かれています。
 今回の事故に対して、事故発生後の対応については参考になる事が記載されていますが、私たちが一番知りたかった、「どうすれば事故が防げたのだろうか」については、反省もなく記述もありません。

○矢川元基東京大学名誉教授を委員長とする東京電力の事故調査検証委員会の意見
 下記は、同じころ公表された上記委員会の意見の抜粋です。
 「東京電力は、津波対策について、国の中央防災会議に比し積極的であったと言える。
然し、結果として今回の津波被害を防ぐに至らなかったことについては、国も専門家を含めた全体として大きく反省しなければならない。
 東電ならびに関連会社等の、今日に至るまでの献身的な働きや判断がなかったら、事態はより悪い方向に向かったかも知れない。本当に頭の下がる思いである。
 今回の事故を発生させた直接の原因は未曾有の津波である。しかし、【事故を発生させ、又事故を拡大に至らしめたものは、アクシデントマネジメントを含む、ハード面、ソフト面での事前の安全対策が十分でなかったことによる】と我々は結論する。
 東電を含む我が国の原子力関係者において、過酷事故など起こり得ないという『安全神話』を生み、そこから抜け出せなかったことが背景にあると思われる。」
大変妥当なご意見だと思いました。

○12月7日日本経済新聞の社説
 7日の日本経済新聞の社説は東京電力の福島原子力事故調査報告書について、
「自己弁護と責任回避の色合いがあまりに濃い。なぜ大津波や重大事故を想定外とし対策に踏み出せなかったのか納得出来る説明と検証を欠く。東電に強く働き掛け事実を明かにさせるべきだ。」
と論じています。 誠に我が意を得たりです。

○緊急特別事業計画に基づく業績見込みとキャッシュフロー
 平成23年11月4日、東京電力は、「10月28日付で資金援助の申請を行うとともに、同日付で主務大臣(内閣総理大臣、経済産業大臣)に対して、原子力損害賠償支援機構と共同で特別事業計画の認定を申請しておりましたが、本日、同計画について認定をいただきました。」と公表しました。
 私は、11月10日のブログで、東京電力の第2四半期決算記載のデータで連結ベースの今期業績見込みの検討をしましたが、特別事業計画には、新しく単体の今期業績計画・キャッシュフロー計画が記載されていますので、再検討致しました。
○業績比較 (単体)                                                                     (単位 億円)
  平成 22 年度実績 平成 23年度見込み
前期比増減
(22.4.1 - 23.3.31) (23.4.1 - 24.3.31)
売上高
51,463
50,818
△ 645
営業利益
 (同上率)
3,567
( 6.9 %)
△ 3,327
(△ 6.4 %)
△ 6,894
(△ 13.3 %)
経常利益又
は経常損失
(同上率)
 
2,711
( 5.3 %)
 
△ 4,122
(△ 8.1 %)
 
△ 6,833
(△ 13.4 %)
引当金増減
62
16
△ 46
特別損益
△ 10,742
△ 1,625
9,117
当期純利益
又は純損失
 (同上率)
 
△ 8,093
(△ 15.7 %)
 
△ 5,763
(△ 11.3 %)
 
2,330
( 4.4% )
月  商
4,297
4,234
4,171
 前記の計画に基づき、下期の業績見込みを試算しました。

✩業績の見通し (単体)                                                                       (単位 億円)
  平成 22 年度実績 平成 23 年度上期実績 平成 23 年度下期見込 平成 2 3年度見込み
(22.4.1 - 23.3.31) (23.4.1 - 23.9.30) (23.10.1 - 24.3.31) (23.4.1 - 24.3.31)
売上高
51,463 *
23,892
(前年同期比
 △ 3,215)
26,92 6
(前年同期比
2,570 )
50,818
(前年同期比
 △ 645)
営業利益
 (同上率)
3,567
( 6.9 %)
△  828
(△ 3.5 %)
△  2,499
(△ 9.3 %)
△ 3,327
(△ 6. 4%)
経常利益又
は経常損失
(同上率)
 
2,711
( 5.3 %)
 
 △ 1,305
(△  5.5 %)
 
△ 2,817
(△ 10.5% )
 
△ 4,122
(△ 8.1 %)
引当金増減
62
    5 
1 1
16
特別損益
△ 10,742
△   5,075
3,450
△ 1,625
当期純利益
又は純損失
 (同上率)
 
△ 8,093
(△ 15.7 %)
 
△ 6,385
(△ 26.7% )
 
622
(  2.3% )
 
△ 5,763
(△ 11.3 %)
  月  商
4,297
4,171
4,298
4,234

 最大の疑問点は、今年度下期の売上高は前年同期比2,570億円増(10.8%増)の計画だということです。全国的な節電ムードのなかで、東電だけが売上を増やせるのか。現在東京電力は節電のキャンペーンはしていないと思われますが、前年より電力消費を増やすキャンペーンもしていないと思います。売上が未達になれば業績も悪化します。
 また営業利益率が更に悪化する理由は発表の資料からは良く分かりません。

 ○ キヤッシュフロー見込  (単体)
                                                                                      (単位 億円)

科  目
 
平成 22 年度実績
 
平成 23 年度見込
前年同期比
増  減
現金及び現金同等物の期首残高
5,771
21,344
15,573
       
営業活動によるキャッシュ・フロー
9,234
△ 4,398
△ 13,632
投資活動によるキヤッシュフロー
△ 7,487
△ 2,803
△ 4,684
事業のキヤシュフロー
1,747
△ 7,201
△ 8,948
財務活動によるキヤッシュフロー
13,826
△  4,607
△ 18,433
当期総合キヤッシュフロー
15,573
△ 11,808
△ 27,381
       
現金及び現金同等物の期末残高
21,344
9,536
△ 11,808
 
 
5.0  ヶ月
2.3  ヶ月
△  2.7 ケ月

通期でも、極めて大幅なキャッシュフローの悪化です。

 ○ キヤッシュフロー見込 (アバウトな試算) 
                                                                                      (単位 億円)
科  目  
 上期 ( 連結 )
 
  下期 ( 単体 )
平成 23 年度見込
( 単体 )
現金及び現金同等物の期首残高
22,062
14,877
21,344
       
営業活動によるキャッシュ・フロー
△ 1,064
△ 3,334
△ 4,398
投資活動によるキヤッシュフロー
△ 2,371
△ 432
△ 2,803
事業のキヤシュフロー
△ 3,435
△ 3,766
△ 7,201
財務活動によるキヤッシュフロー
△ 3,762
△ 845
△ 4,607
当期総合キヤッシュフロー
△ 7,197
△ 4,611
△ 11,808
       
現金及び現金同等物の期末残高
14,877
9,536
9,536
同上 月商比
3.6  ヶ月
2.3  ヶ月
2.3  ヶ月

 東京電力単体の売上は先期で連結96%なので、単体のキャッシュロー見込みから上期連結キャッシュフローを引いて下期のキャッシュフローについてアバウトな試算をして見ました。
 平成23年度の経常損益が △4,122億円程度で収まるかは良くわかりません。損益が悪化すれば営業活動によるキャッシュフローも悪化します。
 下期投資活動によるキヤッシュフローは△432億円の少額になりますが、それで収まるのか。
 財務活動によるキヤッシュフローは△4,607億円で収まるのでしょうか。平成22年度期末現在、1年以内に期限が到来する固定負債は 7,748億円、平成23年度の社債償還予定額は7,479億円、計15,226億円と開示されています。アバウトな試算では、下期財務活動によるキヤッシュフローは△845億円となります。上期社債償還3,200億円後の未償還残額は4,548億円あります。資産売却がどれだけ寄与するのか判りませんが、
この金額も疑問です。 業績見込み・キャッシュフロー見込み何れにも疑問を持ちます。
 8日の日本経済新聞3面に東京電力西沢社長のインターヴュー記事が掲載されています。平成23年10月28日に 東京電力株式会社 が作成し主務大臣の認定を受けた「緊急特別事業計画」の具体的な実施手順となるアクションプラン【実行計画】を週内にも纏めるとされています。毎日新聞1面には「東電実質国有化へ」と言う見出しが踊っています。
何れも現在の計画では駄目だと言うことだと思います。
 いつも同じことを書きますが、東京電力の将来の見通しは依然暗澹たるものがあります。

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白木屋の火災とリスクマネジメント〜 利益保険について 〜

2011年12月1日木曜日 | ラベル: |

東京電力の話題が5回連続しましたので、今回は違った話題にしました。
 
COREDO 日本橋

○白木屋の火災
 東京、日本橋交差点の角にCOREDO日本橋があります。 今は跡形もありませんが、嘗てそこには老舗のデパート白木屋があり、昭和7年に大火災が発生しました。

白木屋の火災

 白木屋三百年史(昭和32年発行)には次のように記述されています。
『昭和七年(1932年)十二月十六日午前九時十五分、歳末大売出しとクリスマスデ
コレーションで店内くまなく華やかに装飾された四階玩具売場の装飾電気器具接触
部附近から突然発火、装飾用モールを伝ってかたわらに山積されてあったセルロイド
玩具にアットいう間に引火、火はたちまち店内に燃えひろがった。』
 白木屋の火災は当時としては空前のデパートの大火災であり、高層建築の火災としても未曾有のものでした。死者14名、重傷者21名を出しましたが、問屋の関係者一人を除き、死者はすべて店員でした。また重傷者もほとんどすべてが店員で、顧客の死者は一人も無かったことが国際的な賛嘆と同情を生みました。
 ニューヨークのヘラルド・トリビューン紙は翌17日の社説で「武士道」と題して、このことを賞賛しました。同じくウィメンズ・ウェア・ディリー、上海英字日報なども、白木屋の全店員が決死の救助活動を行い、多くの死傷者を店員間から出したにもかかわらず、顧客の一人をも傷つけることのなかった勇敢な行動を誉め称えました。
 また、当時としては全く異例のことですが、天皇,皇后両陛下から金一封が御下賜されました。
 12月22日、芝増上寺において合同告別式が行われました。弔辞の中で「皆様が、自分の身を犠牲にしてお客様を救い出されたことは,眞の大和魂の発露で,7,000万人の同胞が皆泣いております。」と述べられました。
 火災後一週間、12月24日に地下鉄が京橋から日本橋へ延伸開通したのに合わせ3階までを開店しました。4階以上の修理については損害調査に3ケ月を要し、保険金支払額の決定迄に時日を空費し、4階以上は6月9日に漸く開店しました。
 その間に日本橋高島屋の開店があり、花見時も過ぎる等、「有形無形の営業損失は莫大なものがあった」と白木屋三百年史に記述されています。当時はこのような損失をカバーする保険(利益保険)はまだありませんでした。白木屋の火災は、火災が企業に与える影響を今も生々しく我々に訴えかけています。

○利益保険
 利益保険とは、火災の結果、営業が休止または阻害されたために生じる損失(営業利益や経常費について生じる間接損害)をてん補する保険です。
*損害保険業界の用語で、直接原価計算における固定費にあたります。
 損害保険各社の社史を見ますと、下記のように記述されています。
① 東京火災50年史(昭和13年11月)
 白木屋の火災に就いて特に注目すべき問題は……火災後の営業休止によって意外の損害を蒙ったことから、一般に「火災後休業保険」の要望が強くなったことである。(中略)当社においては昭和4年7月、該保険の事業免許を商工省に申請してあったがいまだその免許を得るに至っていない。
② 安田火災80年史(昭和43年11月)
 利益保険は、昭和14年春漸く火災保険の条項の一つとして認可され、14年12月1日から発売した。然し予想に反してこの保険は普及をみないまま、戦時体制化の簡素化の時代に入り、自然休止のかたちとなった。
③ 東京海上80年史(昭和39年4月)
 昭和13年に利益担保火災保険の引き受けを開始したが契約量は極めて少なかった。
 昭和31年約款の改定を行って積極的に引き受けを開始し、その後契約は順調な伸びを示している。
④ 住友海上100年史(平成7年1月)
 昭和13年12月利益保険の認可を受けた。

 我が国では、工場に火災保険を掛け、なお利益保険を掛けている割合は十数%以下だと思われます。火災が起こったら、事業が中断するのは必至なのですが、何故火災保険と利益保険を同時に付保しないのか。それは、火災発生時のキャシュフロー対策の重要性が多くの企業で、未だ十分に認識されていないからです。
 白木屋の火災から79年、利益保険の認可から73年、白木屋百年史の記述から54年、経っています。我が国におけるリスク発生時のキャッシュフロー対策の遅れには、絶望的にならざるを得ません。

○白木屋の火災に関する文献をご紹介頂いたのは、旧住友海上火災保険㈱情報センター長だった故植村達男さんです。 
 植村さんは昨年12月22日に逝去されました。心から哀悼の意を表します。

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