災害時の金融支援 ③ 東日本大震災に対する中小企業庁の支援策

2011年7月20日水曜日 | ラベル: |

 7月10日の記事で、経済産業研究所のBBLセミナーにおけるJR東日本(東日本旅客鉄道株式会社)冨田哲郎副社長のお話をご紹介致しました。

 7月17日(日)の日本経済新聞3面の左上の記事で、大林尚編集委員が冨田哲郎副社長のお話の内容に触れておられます。大林尚編集委員も7月6日のBBLセミナーに参加されて感じることがおありだったのだと思います。

 日比谷公園の角、今新築中の飯野ビルの向かい、経済産業省別館のビルに中小企業庁があります。入口のチェックカウンターの前の書架に中小企業庁のパンフレットが並んでいます。そこに「中小企業向け支援策ガイドブック」が置いてあります。今回の東日本大震災に対する中小企業庁の対策の詳細が記載されていますから、霞が関界隈にお越しの折には是非お立ち寄り頂き、ガイドブックをお持ち帰りになることをお勧めします。

 東日本大震災についての 中小企業庁の支援策は3月13日の「 2011 年東北地方太平洋沖地震等による災害の激甚災害の指定及び被災中小企業者対策について」で詳細に述べられています。
http://www.chusho.meti.go.jp/keiei/antei/2011/110313TohokuGekijinShitei.htm
 特に注目すべきことは「措置の対象は 〈全国〉 」 と言う点です。従来は地域を限定するのが普通でした。今回こういう指定となったため、例えば船橋市の液状化による損害も措置の対象になるなど大きな効果を挙げています。
 更に、5月2日「平成 23 年度第 1 次補正予算を踏まえた東日本大震災の被災中小企業者向け資金繰り支援策のご相談の開始について」にその後の追加の施策が述べられています。
http://www.chusho.meti.go.jp/earthquake2011/110502Eq-F-K.html

 以下は「東日本大震災復興緊急保証」の概要です。
 直接被害を受けた中小企業者に加えて、全国的な震災被害対策として、3階建ての信用保証枠が用意されています。
一般保証枠とは別枠で セーフティネット保証・災害関係保証とあわせて、無担1億6千万円、最大5億6千万円まで利用が可能です。












○東日本大震災復興緊急保証の概要 ①
項   目
内    容
限度額
最大限度額
東日本大震災復興緊急保証(法律により新設) ①  対象 震災被害により経営に支障を来たしている次の中小企業者等
ア. 特定被災区域内 * で今般の地震・津波等により直接又は間接被害を受けた方。
イ. 原発事故に係る警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域内の方
ウ. 特定被災区域外で特定被災区域内の事業者との取引関係により被害を受けた方
② 保証割合 融資額の 100 %
無担保 8 千万円
最大 2 憶 8 千万円
 (別  枠)
東日本大震災復興緊急保証
セーフティネット保証・災害関係保証
とあわせて
 
無担保
1 億6千万円
最大
5億6千万円
災害関係保証 ① 対象 
・今般の地震・津波等直接の被害を受けた中小企業者等
・原発事故に係る警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域内の中小企業者等
② 保証割合 融資額の 100 %
無担保 8 千万円
最大 2 憶 8 千万円
 (別  枠)
セーフティネット保証 ① 対象 業況が悪化している中小企業者 ( 平成 23 年度上期は。原則全業種― 82 業種― )
② 保証割合 融資額の 100 %
一般 保証 ① 対象 すべての中小企業者
② 保証割合 融資額の 80 %
無担保 8 千万円
最大 2 憶 8 千万円
 
 
* 特定被災区域:東日本財特法第2条第3項に規定する区域 ( 岩手県、宮城県、福島県の全域、青森県、茨城県、栃木県、千葉県、新潟県、長野県の一部の市町村 )
○東日本大震災復興緊急保証の概要 ②
 区域
利用対象者
要  件
  内  容
特定被災区域 *1 ① 地震・津波等により直接被害を受けた中小企業者 ( 原発事故に係る警戒区域等内 *2 に事業所を有する中小企業者を含む) 〈罹災証明書〉
(寫しも可)
警戒区域等の事業者は商業登記簿 / 納税証明書等
1. 【 対象資金 】
事業再建資金その他経営の安定に係る資金
2.保証限度額
○普通2億円
○無担保8千万円
最大2億8千万円
○無担保無保証人
1千250万円
*災害関係保証、セーフティネット保証と合わせて
無担保で1億6千万円
最大5億6千万円
( 一般保証と別枠 )
ア)保証割合 融資額の100%
ィ)保険てん補率
90%
3.【保証料率】
0.8%以下
4.【保証人】
代表者保証のみ(第三者保証人については原則不要)
② 震災の影響により業況が悪化している中小企業者 〈市区町村長の認定〉
震災後の3ヶ月 *3
の売上高等が前年同期比10%減
特定被災区域以外 ③ 特定被災区域内の事業者との取引関係により 業況が悪化している中小企業者 〈市区町村長の認定〉
震災後の3ヶ月 *3
の売上高等が前年同期比10%減+理由書
④ 震災災害により風評被害による契約の解除等の影響で急激に売上が減少している中小企業者 ( 主に宿泊業、旅行業を想定 ) 〈市区町村長の認定〉
しない後の3ヶ月 *3
の売上高等が前年同期比10%減+理由書
*1特定被災区域:東日本財特法第2条第3項に規定する区域 ( 岩手県、宮城県、 福島県の全域、青森県、茨城県、栃木県、千葉県、新潟県、長野県の一部の市町村 )
*2警戒区域等: 警戒区域・計画的避難区域・緊急時避難準備区域
*3 震災後の3ヶ月の売上高等は、3ヶ月の実績集計前の場合、1ヶ月(平成23年3月又は同年4月に限る)の実績+2ヶ月の見込み(実績値が集計されている月は実績値)を含む3ヶ月とする。
○被災した地域市町村長の認定の取得が困難な場合については、関係の地方自治体と協議中。
 詳しくは各保証協会にご相談下さい
 
 中小企業庁のHPに融資実績が公表されています。下記のように、7月8日までの 中小企業への災害復旧貸付実績は ,  政府系中小企業向け金融機関の貸付件数 79,732 件 金額 1 兆 4877 億円 , 保証協会の保証件数 148,432 件 金額 2 兆 7173 億円、 合計件数 234,338 件、金額 4 兆 3,597 億円 です。
 6月20日に、 阪神淡路大震災における中小企業への災害復旧貸付実績は、 合計件数 82,704 件、金額 1 兆 1,807 億円 だったと書きました。今回政府の復旧対策は遅遅として進んでいませんが、その結果を大幅に増加した金融支援が支えているのだと思います。
 
○融資実績( 3 月 14 日 〜 7 月8日)
 
貸付合計
( 公庫‣商中 *4 )
東日本大震災
復興特別貸付
(5 月 23 日 〜 )
災害復旧貸付
セーフティネット貸付
累  計 件数 81,796 件 35,071 件 7,369 件 39,356 件
金額 1 兆 5,242億円 8,211 億円 884 億円 6,147 億円
 
○保証実績 ( 3 月 14 日 〜 7 月8日)
 
保証合計
( 保証協会)
東日本大震災
復興緊急保証
(5 月 23 日 〜 )
災害関係保証
セーフティネット保証5号
累  計 件数 152,542 件 23,835 件 3,190 件 125,517 件
金額 2 兆 8,355億円 6,665 億円 474 億円 2 兆 1,216 億円
 
*4 日本政策金融公庫の災害復旧融資制度については「東日本大震災により被災された皆様への支援体制について」
http://www.jfc.go.jp/c_news/news_bn/news230318.html
商工中央金庫の災害復旧融資制度については 「 東日本大震災の影響を受けている中小企業等の皆さまへ ~ 東日本大震災復興特別貸付の概要 ~」
http://www.shokochukin.co.jp/chusyosien.pdf 参照。

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東日本大震災について思う ⑤ JR東日本(東日本旅客鉄道株式会社)の場合

2011年7月10日日曜日 | ラベル: |

 7月6日(水)経済産業研究所のBBLセミナー*1でJR東日本(東日本旅客鉄道株式会社)代表取締役副社長・総合企画本部長 冨田哲郎様の「東日本大震災への対応と今後の課題」と言うお話をお聞きしました。以下はその内容です。
 先ず、過去の地震の際の新幹線の状況を振り返り、東日本大震災におけるJR東日本の対応をご紹介致します。

  • 阪神淡路大震災と山陽新幹線
     阪神淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に起こりました。山陽新幹線の高架橋は倒壊しましたが、未だ新幹線は動いていなかったので、大惨事は免かれました。運休期間は83日でした。
  • 新潟県中越地震と上越新幹線
     新潟県中越地震は2004年(平成16年)10月23日午後5時56分に起こりました。上越新幹線では、新潟行き とき325号が長岡駅への停車のため、時速約200kmに減速して走行中でした。早期地震検知警報システムによる非常ブレーキが作動し、8両が脱線したものの、軌道を大きく逸脱せず、逸脱した車両も上下線の間にある豪雪地帯特有の排雪溝にはまり込んだまま滑走したおかげで、横転や転覆、高架橋からの転落を免れ、脱線地点から約 1.6 Km新潟寄り、長岡駅の東京寄り約 5 km の地点で停車しました。対向列車がなかったことなどの幸運も重なり、死者・負傷者は1人も出ませんでした。運休期間は66日でした。
  • 東日本大震災と東北新幹線
     3月11日午後2時46分東日本大震災発生時、東北新幹線では上下27本の列車が運行中でした。*2特に仙台エリアを時速270Kmで走行中の2本の列車が地震による強い振動を受けました。海岸地震計(太平洋岸9ヶ所設置・設置図参照)がP波(初期微動)を検知し、最初の揺れが到達する9-10秒前に電力がシャットダウンし、非常ブレーキが作動しました。非常ブレーキが作動した70秒後に最大の揺れが到達。その時までにこれらの列車は時速100Kmまで減速していたものと考えられ、乗客・車両ともに無事でした。

 過去の地震の教訓に基づき、JR東日本では新幹線の高架橋15,400本、新幹線橋脚2,340基の耐震補強対策は2007年までに完成していましたので、高架橋・橋脚は大丈夫でした。しかし、平成13年度までの強化を目標に行いつつあった架線の柱が折れたりして、架線の断線が470ヶ所に及びました。因みに折れた柱は1本も列車には倒れ掛らず、幸運でした。JR東日本初代会長山下勇氏は、「幸運のダムに水を貯めておきなさい。」といつも言っておられた由で、「事前対策+幸運に恵まれ今回の大震災で新幹線では1人の死者・負傷者もなかった。」という言葉が大変印象的でした。

 阪神淡路大震災・新潟県中越地震と、災害ごとの教訓を生かして、事故の発生を防止したことは高く評価されるべき事態だと思います。また、今回の運休期間は50日です。

 問題は来るべき首都圏直下型地震では、P波とS波の時間差が小さいので如何に対処するかだということでした。
  • 在来線の復興について
     在来線の被害については省略しますが、太平洋沿岸の七線区の復興をどうするかについて、今後居住地が海から離れた高台に移転し、職住が分離するのであれば鉄道の線路の位置も変える必要があるかも知れない。町づくりと一体の復旧・復興を考えることが必要である。また従来型の鉄道で良いのか、富山市で運行されているLRT*2のような交通機関も検討に値する。と言う示唆に富んだお話でした。
  • 3.11当日の首都圏における対応について
     JR東日本は3月11日、早期に当日の運行中止を発表し、そのこと自体も論議を呼んだのですが、更に駅を閉鎖し、駅構内からお客様を締め出したことが大変非難されました。この点についてJR東日本の災害時のマニュアルに反して、東京駅・横浜駅・八王子駅の駅長さんは、日ごろからの地元との連繋の中で駅構内を開放したそうです。この点について、現場への権限委譲と、現場力を再考すべきだと思ったと言っておられました。
 なお、世界の高速鉄道の動向、これからの鉄道産業の方向性などに関し、非常に興味深いお話がありましたが、割愛致します。

*1 BBLセミナー (RIETI 独立行政法人 産業経済研究所HPより)http://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/index.html
米国の大学や研究機関では、先生、学生たちの間でBrown Bag Lunch Meetingというものが頻繁に行われています。(自分の昼食を茶色の紙袋に入れて集まるところから、この名前がついたそうです。)
BBL(Brown Bag Lunch Seminar Series)とは、ワシントンのマサチューセッツアべニューにあるシンクタンクで日夜繰り広げられているような政策論争の場を日本にも移植し、policy market を作りたいという思いで、当研究所が企画しているブレインストーミングセッションです。
国内外の識者を招き、様々な政策について、政策実務者、アカデミア、産業界、ジャーナリスト、外交官らとのディスカッションを行っています。会場スペースの制約もあり、現状では非公開としておりますが、これまでに行われたセミナーの概要や配付資料、今後の開催予定等は、こちらでご覧頂けます。


*2 LRT ライトレール(Light rail(軽量軌道)とは、北米の都市内および近郊で運行されるある種の軽量な旅客鉄鉄道を指すために、米国の機関によって作られた言葉・概念である。ライトレール交通:Light rail transit (LRT) とも呼ばれる。輸送力を持つ欧米の都市間路線等の本格的な鉄道(ヘビー・レール、Heavy Rail)と区別・対比した考え方である。(ウィキペディア)


●JR東日本(東日本旅客鉄道株式会社)代表取締役副社長・総合企画本部長 冨田哲郎様の「東日本大震災への対応と今後の課題」BBLセミナー資料 (引用は許可済)
プレゼンテーション資料
http://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/11070601_p.pdf
配布資料:1
http://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/11070601_h1.pdf
配布資料:2
http://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/11070601_h2.pdf

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QC(品質管理)とリスクマネジメント - 戦後のアメリカ流マネジメント手法の導入を振りかえる

2011年7月1日金曜日 | ラベル: |

 「第二次世界大戦に敗北した翌年の1946年11月に、連合軍最高司令部(GHQ)の担当者が日本電気の真空管工場視察の際、統計的品質管理(SQC・Statistical Quality Control)の導入を勧告した。
 1948年11月に統計的品質管理委員会が設置され、1949年1月日本科学技術連盟は経済安定本部から海外技術調査の委託を受け、3ケ月の調査を実施し、4月に調査報告書を提出した。調査費は10万円。この中で、ファクトリー・マネジメント〈統計的品質管理〉の調査がなされ、これが我が国に品質管理(QC・Quality Control)を導入するきっかけとなった。」と財団法人日本科学技術連盟「創立50年史」に記述されています 。*1

 1950年3月には雑誌『品質管理』創刊、6月にアメリカからデミング博士が初来日し、各地で講義を行いました。9月には統計的品質管理の研究のための研究会「K委員会」が発足しました。「K委員会」は東京大学の石川馨教授を始め、東京工業大学、神戸大学、総理府、日本科学技術連盟、太平鉱業、三井化学工業のメンバーが参画しています。1950年後半に日本科学技術連盟は『品質管理教程』を作成、教材も充実して来ました。1951年9月には第一回デミング賞の授賞式が行われました。
 ここで注目すべきことは、QC導入のスピードの早さです。戦後我が国の技術の後進性が極めて大きいことが認識され、官民を挙げて遅れを取り戻し、産業の合理化と高度化を実現しようと努力していた時代であったからだと考えられます。 
 日本科学技術連盟は、その後経営トップのための講習会、部課長クラスのための講習会を次々に開催し参加者も急増しました。
 1962年4月『現場とQC』が創刊され、5月に現場のQC活動に対しQCサークル本部が設置されました。かくして、QCの普及活動は経営層・管理層・現場の3本立てとなり、QCサークル活動は“カイゼン”の名のもとに海外でも取り入れられました。(財団法人日本科学技術連盟「創立50年史」の記述*2) 
 私は1961年に生産性本部の中小企業コンサルタント指導者養成講座に1年間参加し、石川馨教授の「SQC(統計的品質管理)」の講義を受講しました。
 1961年9月には、愛知県刈谷市にあるトヨタ自動車の下請けの中堅メーカーで2週間SQCのコンサルティング実習に従事しました。当時の報告書をひもときますと、
① 親会社(トヨタ自動車)から半強制的にQCの導入を指示され、統計技術を講習会で習得しこれを忠実に実施しようとしているに過ぎない。

② 工程管理は増産のための進度統制の面から進められているだけである。

③ QCに対する理解は不十分で、教育訓練もなされていないため、全社的盛り上りが無く、現場と品質管理担当者との乖離が甚だしい。
結論として、管理以前の状態において、如何なる高等な管理技術を駆使せんとしても、無益である。いやそれよりも有害であるとさえいえる。 
と慨嘆しています。

 SQCが有効に機能するためには、先ず生産工程が安定していて、不良品の発生する原因が十分管理されていることが前提となります。当時この会社では、工程管理の重点は増産のみにあって、生産工程の安定を顧慮しないまま増産し、製品を全数検査して、不良品を排除していました。SQCの前提が安定した生産工程であるということが、現場に浸透しないままSQCの実践を強行していたので、現場は不安と不信の念を持つだけでした。経営管理手法の導入について、経営者や社員が経営管理手法の真の意味を理解しないまま導入すれば、決して成功しないと思いました

 その後日本科学技術連盟の努力によって、SQCは着実に我が国の企業に定着していきました。さらに生産部門の管理手法であったSQCは、我が国で独自の発展を遂げ、全社的経営管理手法としてのTQC(総合的品質管理Total Quality Control ) へと発展していきました。

 QCの導入と定着の過程は、QCという言葉をリスクマネジメント、ERMや内部統制・コーポレート・ガバナンス体制の導入と定着という言葉に置き換えて考えるとき我々に数多くの示唆を与えてくれます。

 アメリカから導入されたSQCという経営手法が我が国の企業に定着し、さらに我が国独自のTQCに発展した理由について、私は次のように考えています。
  1. 当時の、経営者・管理者・現場では、我が国の技術の後進性が極めて大きいことが認識されており、企業構成員のすべてが新しい経営手法の導入に熱心であった。
  2. 本科学技術連盟を中心として、産、官、学一体となった普及活動が強力に推進された。
  3. SQCは生産部門という単一の部門に対する管理手法であったため、経営者の理解も得易く、縦割色の強い我が国企業において、他部門との調整をあまり必要としないで導入が可能であった。
  4. 我が国企業は、もともと生産工程の中に現場で情報の共有と協調の仕組みを持っていたため、現場の情報を基盤に自発的に生産工程を「改善」していくQCサークル活動により、高い品質と生産性を実現出来た
    アメリカでは現場はマニュアル通りに働くワーカーの集まりであった。
  5. 石川教授らは、当初からわが国に適したQC手法の確立という思想を持っておられた。
  6. SQCがまず企業に定着出来た結果、QCの思想・手法を全社に適用して経営管理の高度化を図る、我が国独自のTQCに発展し、全社的な経営管理手法に進化させることが可能となった。かくてQC・TQCはわが国の経済的発展に大きく貢献した。
 QCは、「戦後日本のマネジメント手法の導入」の歴史の中で、唯一、手法の日本化に成功した例だと言えます。今日我が国の企業がリスクマネジメント→ERMを導入するについて、QCの導入時とどのような相違点があるのでしょうか。私たちはQC導入の歴史と比較して、教訓を汲み取る必要があります。

  1. 危機意識の欠如
    QC導入時に比べ、経営者・管理者・社員の危機意識の欠如が根本問題だと思います。QC導入時の精神に立ち帰ることが必要だと思います。
  2. 導入にあたり、中心となって推進する団体、リーダーがいない。
    QC導入時には、財団法人日本科学技術連盟(会長は初代経済団体連合会会長石川一郎氏)が普及の主体となり、普及が進むにつれて、個別的なコンサルティングを行う民間のコンサルティング会社が発達して来ました.今日、リスクマネジメントさらにはERMを導入するについては、当時とは逆に個別マターを扱う民間のコンサルティング会社は夥しくありますが、我が国全体として導入の推進を図る嘗ての日本科学技術連盟のような団体は存在しません。
  3.  単独部部門の経営管理手法か、全社的経営管理手法か
    QCは主として製造部門の問題で、製造担当役員を頂点とする製造部門が推進すれば良く、縦割りの日本企業においては、やり易いことであったと考えられます。品質管理と違って、リスクマネジメント→ERMは全社的マターであり、縦割りの我が国の企業組織では定着するには問題があると思います。
  4. 前記石川馨教授の弟さんである石川六郎氏が1978年2月に鹿島建設の社長に就任された際、「大企業病がはびこっている社内の精神作興を計るためにTQCを導入した」と私の履歴書に書いておられます。
    リスクマネジメント→ERMの導入について、経営者自らがリーダーシップを取って全社を挙げて真摯に取組むと言う態勢が出来ていない企業がまだまだ存在することは憂慮に耐えません。
    リスクマネジメント→ERMの普及・推進には、経営者が自らリスクマネジメント→ERMの本質を理解して取り組むことしか方策は無いと思います。
 私が或る外資系の出版社の手伝いをしていた時に、デミング博士の自叙伝を翻訳出版しようと思って、日本科学技術連盟にご相談を致しました。日本科学技術連盟は、「現在日本において生産部門の地位は当時に比し低下しています。デミング賞も国内で無く、東南アジアの会社の受賞が増えています。恐らくその本は日本ではあまり売れないでしょう」と言うことでしたので,断念しました。
 私が若いころのQCに対する熱気を思い出す時、隔世の感があります。

○参考文献:一橋大学 佐々木聡教授 『戦後日本のマネジメント手法の導入』
       『一橋ビジネス レビュー』(東洋経済新報社)2002年秋号

*1・*2:財団法人日本科学技術連盟 「創立50年史」


○8月3日(水)印刷関連業者向けのBCPセミナーで話をします。

 http://www.print-info.co.jp/bcpseminar.php

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