「阪神淡路大震災の回顧」(3)

2015年2月15日日曜日 | ラベル: |

 昨年7月20日のブログ「江戸城の天守閣を再建する」でご紹介した九段南のお菓子屋さん「ゴンドラ」のご主人細内進さんは、千代田区の九段三丁目町会の町会長さんでもあります。
 昨年年3月10日(月曜日)に、災害時の防災訓練が九段三丁目町会主催で行われました。千代田区のHPには「これは災害時の一時避難場所として、三輪田学園が百年記念館小講堂を開放していただけることになったことを踏まえて、行われた訓練です。会場の内外で、応急時の三角巾の使用訓練、スタンドパイプ取扱訓練、初期消火訓練などに、80名の参加者が熱心に取り組みました。」と記載されています。
http://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/fujimi/shinchaku/h260310.html
 3月25日に、私の所属する学会の研究会に細内さんをお招きして、九段三丁目町会の 防災訓練についてお話をお聞きすることになりました。市民レベルの防災知識の向上・地震対策は大変重要なことだと思いますが、まだまだ不十分だと私は思います。
 1月18日のブログ「阪神淡路大震災の回顧」(1)の②被災者の死因の項で、「遺体を検案した監察医のまとめによりますと、阪神淡路大震災の死者6,434名の80%相当、約5000人は木造家屋が倒壊し、家屋の下敷きになって即死したとされています。検視の際気管にススが入っていなければ,死後に火災に遭ったことになるということです。」と書きました。
 首都圏直下地震に備えて、圧死するリスクを避けなければなりません。

〇東京大学社会情報研究所の「1995年阪神淡路大震災調査報告」
 阪神淡路大震災に関する文獻の一つに、東京大学社会情報研究所の広井脩教授(災害 社会学)が中心になって纏められた「1995年阪神淡路大震災調査報告」という論文集(237ページ)があります。故広井脩先生は一貫して 災害に関する研究に携わり、我が国における災害情報研究の第一人者として活躍された方です。 2006年〈平成18年〉4月15日ご逝去の際に、当時ご一緒に「中小企業BCP普及事業」に従事していた三菱総合研究所の災害関係の研究員の方々が挙ってお弔いに行かれたことを思い出します。
 その報告の中に、故広井脩先生が自ら執筆された「阪神淡路大震災と住民の行動」という論文があります。
 その中で、広井先生は、阪神淡路大震災を象徴する被害は「10万棟に達した家屋の倒壊である。」と仰っています。指摘されている問題点は下記です。
①一般家庭における家屋の耐震診断と補強対策の推進が重要である。
②今回は往来に人がいない時刻に地震が発生したが、ブロック塀や自動販売機等の危険
物による人的被害発生の可能性もあるので、被害防止策の充実が必要である。
➂家具の転倒と危険物の落下。
 ピアノや重いタンスは大きな人的被害を与えた。関西には大きな地震が来ないという意識のため家具類を殆ど固定していなかったことも被害を大きくした。

 95年8月中旬神戸市(700人)と西宮市(500人)のアンケート調査の結果
  神戸市(%) 西宮市(%)
自分自身けがをした   8.6   10.2
家族のなかにけがをした者がいた   9.2    7.4
家族ななかに亡くなった者がいた   1.4    0.6

 阪神淡路大震災の死者 : 6,434名、行方不明者 : 3名、負傷者 : 43,792名を生じてしまいましたが、負傷者の殆どは家庭内での負傷、主因は家具の転倒でした。
 その原因は「関西地震安全神話」で、それが被害を大きくしました。

  神戸市(%) 西宮市(%)
いつかは大きな地震がくると思っていた。    4.9    5.8
小さな被害が出る地震ならくるが大きな地震はこないと思っていた   13.0   13.5   
被害が出るような地震はこないと思っていた   20.6   15.3
地震のことなど考えたことはなかった   61.2   64.7

 そして、防災対策は何もしていなかった人は神戸市で68.2%、西宮市で66.9%だったと報告されています。
 「阪神淡路大震災の前に地震学者や防災研究者の中で、関西地方は地震の安全地帯だなどと主張していた人は皆無であった。(中略)市民レベルでは関西には大地震が来ないという常識のズレが被害を拡大した一つの要因だったといえよう。」
「極言すれば大地震に対して危機意識を持っているのは東京・神奈川・静岡などごく一部の住民だけだといえよう。阪神淡路大震災以降全国各地の防災意識は急速に高まっているのは認めるが、それがどこまで続くのか保証の限りではない。(中略)住民が不断に地震意識を維持するためには果たしてどうすればいいのか。」
と結んでおられます。
【 所見 】
 広井先生の論文は21ページに及び、本稿はその一部をご紹介したに過ぎません。
 . 私も阪神淡路大震災当時勤務していた保険代理店の関西地区の被災者から、「テレビが飛んで来ました。」「本棚の下敷きになりました。」とのお話をお聞きしました。
企業のBCPや地震対策については、専門家がコンサルを行っていますが、それでも中小企業や小規模企業については行き届いていません。まして各家庭の地震対策については、冒頭にご紹介した 九段三丁目町会長の細内さんのお話をお聞きしてもまだ不十分だと思われます。
 私が住んでいる横浜市では、昨年向う3軒両隣りで「地震対策・地震発生時の共助」についての話合いが行われました。私は「簡易トイレ」など防災グッズの見本を幾つか持参しましたが初めて見たという方もありました。
 「自助・共助・公助」と言いますが、まず自分でどうするかについて、阪神淡路大震災には学ぶべき点が多々あると思います。

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「阪神淡路大震災の回顧」(2)

2015年2月1日日曜日 | ラベル: |

➂交通への影響
 平成7年(1995年)1月17日(火)に発生した阪神淡路大震災では地域の交通網にも甚大な被害が発生しました。

〇道路の状況
 兵庫県の「阪神淡路大震災の支援・復旧状況」という報告書によりますと、道路の状況は以下のようにまとめられています。
 以下、鉄道の状況、港湾の状況も同報告書の記述です。

 
区分
震災直後不通区間
復旧
阪神高速道路
(神戸線)


(湾岸線)
(北神戸線)
全線
(うち京橋~摩揶)
(うち若宮~京橋)
(うち摩揶~深江)
全線
全線
平成 8 年 9 月 30 日
平成 8 年 2 月 19 日
平成 8 年 8 月 31 日
平成 8 年 8 月 31 日
平成 7 年 9 月 1 日
平成 7 年 2 月 25 日
名神高速道路
第二神明道路
中国自動車道
西宮~府県境
伊川谷~須磨
西宮北~府県境
平成 7 年 7 月 29 日
平成 7 年 2 月 25 日
平成 7 年 7 月 21 日
国道 43 号
国道 2 号
西宮~岩屋
若宮~岩屋
平成 7 年 1 月 17 日
平成 7 年 1 月 17 日

 阪神高速道路(神戸線)の倒壊が極めて強烈な印象でした。
 高速道路の復旧は最終平成8年9月30日です。



 危うく落下を免れたバス  YAHOO「阪神淡路大震災の画像」より



 倒壊した高速道路  YAHOO「阪神淡路大震災の画像」より

阪神淡路大震災の丁度1年前、1994年1月17日午前4時30分55秒(太平洋標準時)、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市ノースリッジ地方で発生した地震「ノースリッジ地震」または「ロサンゼルス地震」で、高速道路が崩壊しました。私は良く覚えているのですが、我が国の関係者は「我が国の高速道路が地震で倒壊することは無い。」と豪語していました。ところが1年後、阪神淡路大震災によって高速道路の倒壊は我が国でも現実のことになりました。



ノースリッジ地震で倒壊した高速道路 「ウイキペディア」より

 その後、高速道路の耐震化工事がなされていると思いますから、首都圏直下地震では大丈夫なのだろうと思います。
 道路は震災直後、随所で道路自体の破損や沿道家屋の倒壊で通行不能となった上、通行可能な道路でも、信号機の倒壊、交通規制を行う人員の不足等の悪条件の下で、様々な目的で多くの車両が走行しようとするため大変な渋滞となり緊急自動車や救援車両の通行を不能にし、人命救助の優先などについて極めて大きな問題を生じました。
 その後、事態の改善について対策が樹てられていると思いますが、震災直後は自家用車での移動は困難だと考えておくべきだと思います。

 2014年7月1日(火曜日)のブログでご紹介した、『国土交通省首都直下地震対策計画 [第1版](中央防災会議首都直下地震対策検討ワーキンググループ)』の記述は下記です。
・1日約100万台が利用する首都高速道路では、市街地火災の影響による鋼桁の損傷、地盤変異による高架橋の大変形が生じた場合、首都高3号線、4号線や湾岸線等で数ヶ月に渡り通行不能となる。

〇鉄道の状況
区分
震災直後不通区間( km )
復旧
JR 新幹線
JR (東海道・山陽本線)
(福知山線)
(和田岬線)
京都~姫路 (130.7)
尼崎~西明石 (48 . 2)
塚口~広野 (37.2)
全線 (2.7)
平成 7 年 4 月 8 日
平成 7 年 4 月 1 日
平成 7 年 1 月 21 日
平成 7 年 2 月 15 日
阪神(本線)
(武庫川線)
甲子園~元町 (18.0)
全線 (1.7)
平成 7 年 6 月 26 日
平成 7 年 1 月 26 日
阪急(神戸線)
(甲陽線)
(伊丹線)
(今津線)
西宮北口~三宮 (16.7)
全線 (2.2)
全線 (3.1)
全線 (9.3)
平成 7 年 6 月 12 日
平成 7 年 3 月 1 日
平成 7 年 3 月 11 日
平成 7 年 2 月 5 日
神鉄(有馬線)
(三田線)
(粟生線)
全線 (22.5)
全線 (12.0)
全線 (29.2)
平成 7 年 6 月 22 日
平成 7 年 1 月 19 日
平成 7 年 1 月 19 日
山陽
西代~明石 (15.7)
平成 7 年 6 月 18 日
神戸高速(東西線)
(南北線)
全線 (7.2)
全線 (0.4)
平成 7 年 8 月 13 日
平成 7 年 6 月 22 日
神戸市営地下鉄
板宿~新神戸 (8.8)
平成 7 年 2 月 16 日
神戸新交通(ポートライナー)
(六甲ライナー)
全線 (6.4)
全線 (4.5)
平成 7 年 7 月 31 日
平成 7 年 8 月 23 日



JR六甲道駅 YAHOO「阪神淡路大震災の画像」より

 山陽新幹線は、8ヶ所で落橋しましたが、始発前だったので旅客への被害はありませんでした。4月8日に全線開通しました。
阪神間を結ぶ、JR(東海道、山陽本線)・阪急(神戸線)・阪神(本線)は何れも不通となり、JRは4月1日、阪急は6月12日、阪神は6月26日に開通しています。その他については前記の表をご覧下さい。 

 『国土交通省首都直下地震対策計画 [第1版](中央防災会議首都直下地震対策検討ワーキンググループ)』の記述は下記です。
・被災等により1日のべ4,000万人(大阪~神戸間のJR、阪急、阪神の合計の輸送人員は 当時1 日45万人)の輸送を担う鉄道の運行停止が長期化、発災後1ヶ月経過しても約60%の復旧に止まり、被災地外からの通勤困難等により首都圏の企業活動が停滞。
・また、東海道新幹線の小田原以東、上越新幹線の熊谷以南、東北新幹線の小山以南が不通となり、広域的な移動に支障が生じる。

〇港湾の状況(平成12年4月1日現在)

公共岸壁
震災前の
全体バース数
震災直後の
着岸不能バース
着岸可能バース
着岸不能バース
減少バース
神戸港
186
186
164
*9
13
尼崎西宮芦屋港
10
10
9
*1
0
*整備中バース

 「ウイキペディア」の記述によれば、神戸港には、フェリーなどが四国・九州方面を中心に多く発着していましたが、各発着所が壊滅的な損害を受けて使用不能に陥ったため、一時的には大阪南港などに発着地を変更して運航されました。
 その後は、陸上輸送が麻痺状態の間は、四国・九州方面とを結ぶメインルートとして、機能しました。また、ウォーターフロントの地盤が陥没した岸壁に仮設の桟橋を設けて、大阪 - 神戸間、神戸 - 西宮間など短距離の臨時航路も設けられ、代替交通機関として疎開する人・復興支援者の負担を少しでも軽減する努力がなされました。
 前回書きましたように、私は震災2週間後神戸へ行きましたが、帰途は神戸の波止場から平時は遊覧船のサンタマリア号にすし詰すし詰めになって大阪の天保山に帰りました。

 前記『国土交通省首都直下地震対策計画 [第1版](中央防災会議首都直下地震対策検討ワーキンググループ)』の記述は下記です。・
・全国の外貨取扱貨物量の約3割を占める東京湾各港では、非耐震岸壁での陥没や沈下、
荷役機械の損傷等により、多くの埠頭で港湾機能を失う。
・東京湾内では重要港湾の923岸壁のうち250岸壁が被災し、東京湾内では石油
等が流出して船舶の入出港が困難となる。
 更に空港等について、下記のように記述されています。
・全国の国内線乗降客数の約3割を占める羽田空港では、液状化により滑走路2本が
使用できなくなり、またアクセス交通(鉄道、モノレール、道路)の停止により、
空港機能が低下。
・輸送ルートの被災等によりサプライチェーンが寸断され、企業の生産活動が低下。
その影響が長期化した場合には、生産機能の国外移転等が進み、我が国の国際競争
力が低下。

 以上交通関係について考えて来ました。首都直下地震派生の際は、阪神淡路大震災とは比較にならない大規模な災害になると思います。それでも阪神淡路大震災の状況を参考に、首都圏直下地震では如何に対処すべきか考えるべきだと思います。

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