QC(品質管理)とリスクマネジメント - 戦後のアメリカ流マネジメント手法の導入を振りかえる

2011年7月1日金曜日 | ラベル: |

 「第二次世界大戦に敗北した翌年の1946年11月に、連合軍最高司令部(GHQ)の担当者が日本電気の真空管工場視察の際、統計的品質管理(SQC・Statistical Quality Control)の導入を勧告した。
 1948年11月に統計的品質管理委員会が設置され、1949年1月日本科学技術連盟は経済安定本部から海外技術調査の委託を受け、3ケ月の調査を実施し、4月に調査報告書を提出した。調査費は10万円。この中で、ファクトリー・マネジメント〈統計的品質管理〉の調査がなされ、これが我が国に品質管理(QC・Quality Control)を導入するきっかけとなった。」と財団法人日本科学技術連盟「創立50年史」に記述されています 。*1

 1950年3月には雑誌『品質管理』創刊、6月にアメリカからデミング博士が初来日し、各地で講義を行いました。9月には統計的品質管理の研究のための研究会「K委員会」が発足しました。「K委員会」は東京大学の石川馨教授を始め、東京工業大学、神戸大学、総理府、日本科学技術連盟、太平鉱業、三井化学工業のメンバーが参画しています。1950年後半に日本科学技術連盟は『品質管理教程』を作成、教材も充実して来ました。1951年9月には第一回デミング賞の授賞式が行われました。
 ここで注目すべきことは、QC導入のスピードの早さです。戦後我が国の技術の後進性が極めて大きいことが認識され、官民を挙げて遅れを取り戻し、産業の合理化と高度化を実現しようと努力していた時代であったからだと考えられます。 
 日本科学技術連盟は、その後経営トップのための講習会、部課長クラスのための講習会を次々に開催し参加者も急増しました。
 1962年4月『現場とQC』が創刊され、5月に現場のQC活動に対しQCサークル本部が設置されました。かくして、QCの普及活動は経営層・管理層・現場の3本立てとなり、QCサークル活動は“カイゼン”の名のもとに海外でも取り入れられました。(財団法人日本科学技術連盟「創立50年史」の記述*2) 
 私は1961年に生産性本部の中小企業コンサルタント指導者養成講座に1年間参加し、石川馨教授の「SQC(統計的品質管理)」の講義を受講しました。
 1961年9月には、愛知県刈谷市にあるトヨタ自動車の下請けの中堅メーカーで2週間SQCのコンサルティング実習に従事しました。当時の報告書をひもときますと、
① 親会社(トヨタ自動車)から半強制的にQCの導入を指示され、統計技術を講習会で習得しこれを忠実に実施しようとしているに過ぎない。

② 工程管理は増産のための進度統制の面から進められているだけである。

③ QCに対する理解は不十分で、教育訓練もなされていないため、全社的盛り上りが無く、現場と品質管理担当者との乖離が甚だしい。
結論として、管理以前の状態において、如何なる高等な管理技術を駆使せんとしても、無益である。いやそれよりも有害であるとさえいえる。 
と慨嘆しています。

 SQCが有効に機能するためには、先ず生産工程が安定していて、不良品の発生する原因が十分管理されていることが前提となります。当時この会社では、工程管理の重点は増産のみにあって、生産工程の安定を顧慮しないまま増産し、製品を全数検査して、不良品を排除していました。SQCの前提が安定した生産工程であるということが、現場に浸透しないままSQCの実践を強行していたので、現場は不安と不信の念を持つだけでした。経営管理手法の導入について、経営者や社員が経営管理手法の真の意味を理解しないまま導入すれば、決して成功しないと思いました

 その後日本科学技術連盟の努力によって、SQCは着実に我が国の企業に定着していきました。さらに生産部門の管理手法であったSQCは、我が国で独自の発展を遂げ、全社的経営管理手法としてのTQC(総合的品質管理Total Quality Control ) へと発展していきました。

 QCの導入と定着の過程は、QCという言葉をリスクマネジメント、ERMや内部統制・コーポレート・ガバナンス体制の導入と定着という言葉に置き換えて考えるとき我々に数多くの示唆を与えてくれます。

 アメリカから導入されたSQCという経営手法が我が国の企業に定着し、さらに我が国独自のTQCに発展した理由について、私は次のように考えています。
  1. 当時の、経営者・管理者・現場では、我が国の技術の後進性が極めて大きいことが認識されており、企業構成員のすべてが新しい経営手法の導入に熱心であった。
  2. 本科学技術連盟を中心として、産、官、学一体となった普及活動が強力に推進された。
  3. SQCは生産部門という単一の部門に対する管理手法であったため、経営者の理解も得易く、縦割色の強い我が国企業において、他部門との調整をあまり必要としないで導入が可能であった。
  4. 我が国企業は、もともと生産工程の中に現場で情報の共有と協調の仕組みを持っていたため、現場の情報を基盤に自発的に生産工程を「改善」していくQCサークル活動により、高い品質と生産性を実現出来た
    アメリカでは現場はマニュアル通りに働くワーカーの集まりであった。
  5. 石川教授らは、当初からわが国に適したQC手法の確立という思想を持っておられた。
  6. SQCがまず企業に定着出来た結果、QCの思想・手法を全社に適用して経営管理の高度化を図る、我が国独自のTQCに発展し、全社的な経営管理手法に進化させることが可能となった。かくてQC・TQCはわが国の経済的発展に大きく貢献した。
 QCは、「戦後日本のマネジメント手法の導入」の歴史の中で、唯一、手法の日本化に成功した例だと言えます。今日我が国の企業がリスクマネジメント→ERMを導入するについて、QCの導入時とどのような相違点があるのでしょうか。私たちはQC導入の歴史と比較して、教訓を汲み取る必要があります。

  1. 危機意識の欠如
    QC導入時に比べ、経営者・管理者・社員の危機意識の欠如が根本問題だと思います。QC導入時の精神に立ち帰ることが必要だと思います。
  2. 導入にあたり、中心となって推進する団体、リーダーがいない。
    QC導入時には、財団法人日本科学技術連盟(会長は初代経済団体連合会会長石川一郎氏)が普及の主体となり、普及が進むにつれて、個別的なコンサルティングを行う民間のコンサルティング会社が発達して来ました.今日、リスクマネジメントさらにはERMを導入するについては、当時とは逆に個別マターを扱う民間のコンサルティング会社は夥しくありますが、我が国全体として導入の推進を図る嘗ての日本科学技術連盟のような団体は存在しません。
  3.  単独部部門の経営管理手法か、全社的経営管理手法か
    QCは主として製造部門の問題で、製造担当役員を頂点とする製造部門が推進すれば良く、縦割りの日本企業においては、やり易いことであったと考えられます。品質管理と違って、リスクマネジメント→ERMは全社的マターであり、縦割りの我が国の企業組織では定着するには問題があると思います。
  4. 前記石川馨教授の弟さんである石川六郎氏が1978年2月に鹿島建設の社長に就任された際、「大企業病がはびこっている社内の精神作興を計るためにTQCを導入した」と私の履歴書に書いておられます。
    リスクマネジメント→ERMの導入について、経営者自らがリーダーシップを取って全社を挙げて真摯に取組むと言う態勢が出来ていない企業がまだまだ存在することは憂慮に耐えません。
    リスクマネジメント→ERMの普及・推進には、経営者が自らリスクマネジメント→ERMの本質を理解して取り組むことしか方策は無いと思います。
 私が或る外資系の出版社の手伝いをしていた時に、デミング博士の自叙伝を翻訳出版しようと思って、日本科学技術連盟にご相談を致しました。日本科学技術連盟は、「現在日本において生産部門の地位は当時に比し低下しています。デミング賞も国内で無く、東南アジアの会社の受賞が増えています。恐らくその本は日本ではあまり売れないでしょう」と言うことでしたので,断念しました。
 私が若いころのQCに対する熱気を思い出す時、隔世の感があります。

○参考文献:一橋大学 佐々木聡教授 『戦後日本のマネジメント手法の導入』
       『一橋ビジネス レビュー』(東洋経済新報社)2002年秋号

*1・*2:財団法人日本科学技術連盟 「創立50年史」


○8月3日(水)印刷関連業者向けのBCPセミナーで話をします。

 http://www.print-info.co.jp/bcpseminar.php