国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書について

2012年7月10日火曜日 | ラベル: |

7月5日(木)国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書が公表されました。6日朝の各紙が大きく報道しています。
 同報告書は、『この事故が「人災」であることはあきらかで、歴代および当時の政府、規制当局、そして事業者である東京電力による、人の命と社会を守るという責任感の欠如があった。』と断定しています。ここがこの報告書の最大のポイントだと思いました。以下は私の感想です。
                                              *アンダーラインは筆者

 1987年高松に出張しました。当時の高松空港は滑走路が短く、YS11が就航していました。YS11は低空を飛ぶので下界が良く見えました。
○神奈川県の真鶴半島上空です。今が海のシーズンです。

○高松市の栗林公園です。

○国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書(要約版)

1.「はじめに」の記述
『原子力は人類が獲得した最も強力な圧倒的エネルギーであるだけでなく、巨大で複雑なシステムであり、その扱いは極めて高い専門性、運転と管理の能力が求められる。(中略)世界の原子力に関わる規制当局は、あらゆる事故や災害から国民と環境を守るという基本姿勢を持ち、事業者は設備と運転の安全性の向上を実現すべく、持続的な進化を続けてきた。
 日本でも大小さまざまな原子力発電所の事故があった。多くの場合、対応は不透明であり、組織的な隠ぺいも行われた。日本政府は電力10社の頂点にある東京電力とともに、原子力は安全であり日本では事故などは起こらないとして原子力を推進してきた。
 そして、日本の原発は、いわば無防備のまま3.11の日を迎えることとなった。

 想定できたはずの事故がなぜ起こったのか。その根本的な原因は、日本が高度経済成長を遂げられたころまで遡る。政界、官界、財界が一体となり、国策として共通の目標に向かって進む中、複雑に絡まった「規制の虜(Regulatory Capture)」が生まれた。そこには、ほぼ50年にわたる一党支配と、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といった、官と財の際立った組織構造と、それを当然と考える日本人の「思いこみ(マインド セット)」があった。経済成長に伴い「自信」は次第に「おごり,慢心」に変わり始めた。入社や年次で上り詰める「単線路線のエリート」たちにとって前例を踏襲すること、組織の利益を守ることは、重要な使命となった。この使命は、国民の命を守ることよりも優先され、世界の安全に対する動向を知りながら、それらに目を向けず安全対策は先送りされた。(中略)
 この事故が「人災」であることは明らかで、歴代及び当時の政府、規制当局、そして事業者である東京電力による、人の命と社会を守るという責任感の欠如があった。』
2.津波対策 
東京電力㈱の「福島原子力事故調査報告書」では、津波への備えについて、国の審査・確認を得て行っていたこと。国の調査研究機関である地震調査研究推進本部の意見を参考にしていたこと。貞観津波に対する対策等も終始土木学会の「津波評価技術」に基づき評価することで一貫していと述べています。
 国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書では、
『平成18年(2006年)には、福島第一原発の敷地高さを超える津波が来た場合に全電源喪失に至ること、土木学会評価を上回る津波が到来した場合、海水ポンプが機能喪失し、炉心損傷に至る危険があることは、保安院と東電の間で認識が共有されていた。保安院は東電が対応を先伸ばししていることを承知していたが、明確な指示を行わなかった。(中略)この全交流電源喪失の可能性は考えなくても良いとの理由を事業者に作文させていたことが判明した。また、当委員会の参考人質疑で、安全委員会が深層防護「原子力施設の安全対策を多段的に設ける考え方。IAEA(国際原子力機構)では5割まで考慮されている。」について、日本は5割のうちの3割しか対応できていないことを認識しながら、黙認してきたことも判明した。
 規制当局は海外からの知見の導入にも消極的であった。(中略)防衛に関わる機器情報に配慮しつつ、必要な部分を電気事業者に伝え、対策を要求していれば、今回の事故は防げた可能性がある。

このように今回の事故は、これまで何回も対策を打つ機会があったにもかかわらず、歴代の規制当局及び東電経営陣がそれぞれ意図的な先送り、不作為、あるいは自己の組織に都合の良い判断を行うことによって、お安全対策が取られないまま3.11を迎えたことで発生したものであった。
 当委員会の調査によれば、東電は。新たな知見に基づく規制が導入されると、既設炉の稼働率に深刻な影響が生ずるほか、安全性に対する過去の主張を維持できず、訴訟などで不利になると言った恐れを抱いており、それを回避したいという動機から、安全対策の規制化に強く反対し、電気事業連合会を介して規制当局に働きかけていた。(後略)』
と記述されています。

東京電力㈱の「福島原子力事故調査報告書」の(16.事故原因と対策 <事故原因>) においては、
想定した津波高さを上回る津波の発生までは発想することができず,事故の発生そのものを防ぐことができなかった。このように津波想定については結果的に甘さがあったと言わざるを得ず,津波に対する備えが不え十分であったことが今回の事故の根本的な原因である。
とまるで人ごとのように記述されています。

(所感)
 国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書は、646ページに及ぶ膨大なものです。各方面に亙る報告の内容は貴重なものですが、私は今回要約版を読んだ感想を申し上げます。
 何よりも印象的なのは、6月20日公表の東京電力㈱の「福島原子力事故調査報告書」の内容との大きな差異です。
 東京電力㈱の「福島原子力事故調査報告書」が事故の責任の回避・弁明に終始しているのに対し、国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書は、
『この事故が「人災」であることは明らかで、歴代及び当時の政府、規制当局、そして事業者である東京電力による、人の命と社会を守るという責任感の欠如があった。
と断定しています。
 東京電力㈱は『想定した津波高さを上回る津波の発生までは発想することができず,』と言っていますが、国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書は
『福島第一原発の敷地高さを超える津波が来た場合に全電源喪失に至ること、土木学会評価を上回る津波が到来した場合、海水ポンプが機能喪失し、炉心損傷に至る危険があることは、保安院と東電の間で認識が共有されていた。保安院は東電が対応を先伸ばししていることを承知していたが、明確な指示を行わなかった。』
と明記しています。
 更に、同報告書は「東京電力㈱のリスクマネジメントの考え方の歪み」を指摘しています。
 『東電はシビアアクシデントによって周辺住民の健康等に被害を与えること自体をリスクとして捉えるのではなく、シビアアクシデント対策を立てるに当たって、既設炉を停止したり、訴訟上不利になったりすることを経営上のリスクとして捉えていた。
 これは極めて重大な指摘だと思います。リスクマネジメントの実践に際し、色々な事象から、将来起こるであろうリスクを想定し評価する場合、想定リスクの内容は当事者によって大きく変わってきます。
 私は、ずっと東京電力㈱を筆頭とする原子力発電の事業者は、原子力発電所の事故の恐ろしさを十分自覚していて、然し表向きは安全だと主張しているのだと信じていました。リスクの認識・評価はリスクマネジメントの基本です。もし国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書の指摘が事実ならば、東京電力㈱のリスクの評価はリスクマネジメントの関係者として驚き以外の何物でもありません。
 1月20日のブログに、『2011年12月26日に公表された「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」中間報告書の最も重要なテーマは「想定外」の問題だと思いました。』と書きました。同報告書は「想定外」に関して、 
『「想定する」とは、考える範囲と考えない範囲を決め、境界を設定することである。人間は物事を考えるとき、考える範囲を決めないときちんとものを考えることができない。そこで、物事を考えようとするとき、どの範囲までを考えることにするかという境界を設定する。この境界を決めた後は、その境界の内部について詳細に考えを進め、考えを作り上げていく。
 それでは、境界はどのようにして設定されるのであろうか。境界は様々な制約条件の影響を受けて定まる。経済的な制約はもとより、社会的制約、歴史的制約、地域的制約等の様々な制約があり、その制約を満たすように境界が設定されていく。これらの制約は、明示的に示されているものばかりではない。どこにも文言として明示はされていない、関係者間の暗黙の前提という形をとる制約も存在するということに注意が必要である。一方、境界の外側については「考えない」と決めたことになるので、考えなくなる。いったん想定が行われると、どのような制約の下にその境界が作られたのかが消えてしまう。ことが起こった後で見えるのは、この想定と想定外との境界だけである。境界がどのようにして決まったかを明らかにしなければ、事故原因の真の要因の摘出はできない。
と言われていますが、事故原因の根本は「東京電力㈱のリスクマネジメントの考え方の歪み」だったのだと思いました。
 ピーター・バーンスタイン著「リスク」(日経ビジネス文庫)の原題は「AGAINST THE GOODS (神々への挑戦)」です。この本の「はじめに」に、
「未来を現在の統制下に置くためにはどうすべきか。リスクをどのように理解し、またどのように計測し、その結果をどのようにウエート付けるかを示すことにより、リスクを許容するという行為を今日の西側社会を動かす基本的な触媒行為に変えていった。
 ギリシャ神話に出てくるプロメティウスが神に挑戦し、火を求めて暗闇に明かりをもたらしたように、未来という存在を敵から機会へと変えた。
 将来に何が生起し得るかを定義し、代替案の中からある行為を選択しうる能力こそが現代社会の中核に存在すべきものである。リスクマネジメントによって多岐にわたる意思決定問題についての指針が与えられることになる。」
と書いてあります。
 西側の社会では、多くの人々は神を信じているので、「リスクを想定すると言うことは、プロメティウスが神に挑戦し、火を求めて暗闇に明かりをもたらしたことに匹敵する大変なこと(AGAINST THE GOODS )だ。」という認識があるのだと思います。前記のように、 「原子力は人類が獲得した最も強力な圧倒的エネルギーであるだけでなく、巨大で複雑なシステムであり、その扱いは極めて高い専門性、運転と管理の能力が求められる。(中略)世界の原子力に関わる規制当局は、あらゆる事故や災害から国民と環境を守るという基本姿勢を持ち、事業者は設備と運転の安全性の向上を実現すべく、持続的な進化を続けてきた。」にも拘わらず、我が国の規制当局、そして事業者である東電の経営陣が自己の組織に都合の良い判断を行い「シビアアクシデント対策を立てるに当たって、既設炉を停止したり、訴訟上不利になったりすることを経営上のリスクとして捉えていて、津波に対する原子力発電所の真のリスクを正しく想定していなかった。」ことは、将に神をも恐れぬ思い上がったリスク想定であったと思います。
 しかも、東京電力㈱の「福島原子力事故調査報告書」が、依然本件事故は想定外のことであったと主張していて、深刻な反省が無いことは非常に遺憾なことだと思います。わが国のリーディングカンパニーとされ、経団連会長も輩出した東京電力㈱の現状と将来は将に暗澹たるものがあります。
 東京電力㈱は、国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書、「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」中間報告書の提言を真摯に受け止め、新経営陣の下で今回の事故原因の真の要因の摘出に努力すべきだと思います