白木屋の火災とリスクマネジメント〜 利益保険について 〜

2011年12月1日木曜日 | ラベル: |

東京電力の話題が5回連続しましたので、今回は違った話題にしました。
 
COREDO 日本橋

○白木屋の火災
 東京、日本橋交差点の角にCOREDO日本橋があります。 今は跡形もありませんが、嘗てそこには老舗のデパート白木屋があり、昭和7年に大火災が発生しました。

白木屋の火災

 白木屋三百年史(昭和32年発行)には次のように記述されています。
『昭和七年(1932年)十二月十六日午前九時十五分、歳末大売出しとクリスマスデ
コレーションで店内くまなく華やかに装飾された四階玩具売場の装飾電気器具接触
部附近から突然発火、装飾用モールを伝ってかたわらに山積されてあったセルロイド
玩具にアットいう間に引火、火はたちまち店内に燃えひろがった。』
 白木屋の火災は当時としては空前のデパートの大火災であり、高層建築の火災としても未曾有のものでした。死者14名、重傷者21名を出しましたが、問屋の関係者一人を除き、死者はすべて店員でした。また重傷者もほとんどすべてが店員で、顧客の死者は一人も無かったことが国際的な賛嘆と同情を生みました。
 ニューヨークのヘラルド・トリビューン紙は翌17日の社説で「武士道」と題して、このことを賞賛しました。同じくウィメンズ・ウェア・ディリー、上海英字日報なども、白木屋の全店員が決死の救助活動を行い、多くの死傷者を店員間から出したにもかかわらず、顧客の一人をも傷つけることのなかった勇敢な行動を誉め称えました。
 また、当時としては全く異例のことですが、天皇,皇后両陛下から金一封が御下賜されました。
 12月22日、芝増上寺において合同告別式が行われました。弔辞の中で「皆様が、自分の身を犠牲にしてお客様を救い出されたことは,眞の大和魂の発露で,7,000万人の同胞が皆泣いております。」と述べられました。
 火災後一週間、12月24日に地下鉄が京橋から日本橋へ延伸開通したのに合わせ3階までを開店しました。4階以上の修理については損害調査に3ケ月を要し、保険金支払額の決定迄に時日を空費し、4階以上は6月9日に漸く開店しました。
 その間に日本橋高島屋の開店があり、花見時も過ぎる等、「有形無形の営業損失は莫大なものがあった」と白木屋三百年史に記述されています。当時はこのような損失をカバーする保険(利益保険)はまだありませんでした。白木屋の火災は、火災が企業に与える影響を今も生々しく我々に訴えかけています。

○利益保険
 利益保険とは、火災の結果、営業が休止または阻害されたために生じる損失(営業利益や経常費について生じる間接損害)をてん補する保険です。
*損害保険業界の用語で、直接原価計算における固定費にあたります。
 損害保険各社の社史を見ますと、下記のように記述されています。
① 東京火災50年史(昭和13年11月)
 白木屋の火災に就いて特に注目すべき問題は……火災後の営業休止によって意外の損害を蒙ったことから、一般に「火災後休業保険」の要望が強くなったことである。(中略)当社においては昭和4年7月、該保険の事業免許を商工省に申請してあったがいまだその免許を得るに至っていない。
② 安田火災80年史(昭和43年11月)
 利益保険は、昭和14年春漸く火災保険の条項の一つとして認可され、14年12月1日から発売した。然し予想に反してこの保険は普及をみないまま、戦時体制化の簡素化の時代に入り、自然休止のかたちとなった。
③ 東京海上80年史(昭和39年4月)
 昭和13年に利益担保火災保険の引き受けを開始したが契約量は極めて少なかった。
 昭和31年約款の改定を行って積極的に引き受けを開始し、その後契約は順調な伸びを示している。
④ 住友海上100年史(平成7年1月)
 昭和13年12月利益保険の認可を受けた。

 我が国では、工場に火災保険を掛け、なお利益保険を掛けている割合は十数%以下だと思われます。火災が起こったら、事業が中断するのは必至なのですが、何故火災保険と利益保険を同時に付保しないのか。それは、火災発生時のキャシュフロー対策の重要性が多くの企業で、未だ十分に認識されていないからです。
 白木屋の火災から79年、利益保険の認可から73年、白木屋百年史の記述から54年、経っています。我が国におけるリスク発生時のキャッシュフロー対策の遅れには、絶望的にならざるを得ません。

○白木屋の火災に関する文献をご紹介頂いたのは、旧住友海上火災保険㈱情報センター長だった故植村達男さんです。 
 植村さんは昨年12月22日に逝去されました。心から哀悼の意を表します。