栗田美術館と劉薇さんの演奏会

2014年11月9日日曜日 | ラベル: |

 顧問をしている会社で、お隣の方から10月25日(土)に、「足利市の栗田美術館で中国の方のバイオリンの演奏会がありますがおいでになりませんか。」と誘われました。
 栗田美術館は、足利市の郊外にあり、伊万里・鍋島を館蔵する世界最大級の陶磁美術館です。私は小・中・高と佐賀で育ちましたので伊万里・鍋島は身近なものでした。栗田美術館の館長様直々のご説明は大変勉強になりました。



〇栗田美術館 本館 (栗田美術館 パンフレットより)


〇重要文化財 鍋島色絵付植木鉢文大皿(栗田美術館 パンフレットより)

 
〇ヨーロッパへ輸出された伊万里の品々(栗田美術館 パンフレットより)

・肥前国(佐賀)における磁器の製造について
 初代佐賀藩の藩主鍋島直茂が1592-1598の文禄・慶長の役に参加したことをきっかけに、朝鮮から多くの陶工が日本へ渡り、通説では「陶工李参平が有田の泉山で磁器の原料になる磁土を発見し、1616年(元和元年)有田で磁器の製造を始めた。」とされていますが異説もあるようです。
 1670年代になると、「濁手」という殆ど青みのない乳白色の素地が作られるようになり、この素地に色絵で文様を書く「柿右衛門様式」が確立し、17世紀末には西欧の王侯貴族達はオランダの商館を通して、大いに日本の磁器を購入しました。
 私はこれらの製品は主に有田地区で生産されたと思うのですが、佐賀県の西北部にある輸出港の名をとって「伊万里」と言われています。
 一方、鍋島藩は1640年ころから、将軍家・諸大名などへの贈答用の高級磁器を製造する藩窯の活動を開始します。この藩窯の製品を「鍋島」と言います。藩窯は技術漏洩防止のため有田や伊万里から離れた山間の大川内にありました。
 大川内藩窯は1871年(明治4年)の廃藩置県によりその歴史を閉じましたが、「鍋島」の技法と伝統は有田・赤絵町の「今泉今右衛門家」によって復興・継承されています。
 私事で恐縮ですが、私の父は戦前内務省という役所の官吏で、私は子供の頃は、父の転勤に伴って各地の県庁所在地を転々としました。
 昭和15年に父は佐賀県知事になりました。当時の今右衛門窯は戦時中は贅沢品ということで技術保存のため細々と職人さんが仕事をされていたようですが、父から貰った今右衛門窯の品物は大変緻密な職人芸のもので、戦後今右衛門窯の関係者の方から「大事になさって下さい」と言われました。朝鮮総督府の局長を最後に、昭和17年に父が退官後は一家は佐賀に住みつきました。そういう関係で、今でも今右衛門窯、柿右衛門窯、唐津の中里様の品々が身近にあります。父は11代今右衛門様と面識があったようです。私は13代今右衛門様と2回お話をする機会がありました。
 今回、今まで断片的に知っていた伊万里・鍋島のことについて栗田館長様直々のご案内で実物を目のあたりにし、系統的に理解することが出来て誠に幸せでした。栗田美術館は、かねてから一度訪れてみたいと思っていましたが、期待していたより遥かに大きな感銘を受けました。足利の地にこのような素晴らしい美術館があることを佐賀の人々はもっともっと知っているべきだと痛感しました。



〇バイオリンの演奏会場
 

〇劉薇(Liu Wei)さん(後援会ニュースより)

 栗田美術館見学の後、美術館のホールで中国の西安音楽学院ご出身の劉薇さんのバイオリンの演奏会をお聞きしました。
 100人ほどの演奏会は大変緊密な環境になります。伴奏のギターとのコラボがこんなにも素晴らしいとは思ってもいませんでした。伴奏をされたギターの小川和隆様はスペインのナルシソ・イェペスに師事されたとの事ですが、私どもの年代にとってイェペスはルネ・クレマン監督の映画「禁じられた遊び」の音楽です。クレマンは「海の牙」「太陽がいっぱい」「パリは燃えているか」など優れた作品を作った映画監督です。
 私の青春時代、キャロル・リード監督の「第三の男」のアントン・カラスのチターの演奏と、ルネ・クレマン監督の「禁じられた遊び」のナルシソ・イェペスのギターの演奏は忘れられない映画音楽です。
 秋の一日、素敵な週末を過ごすことが出来ました。