「リスクとキャッシュフロー」について⑮

2013年12月20日金曜日 | ラベル: |

8.事故とキャッシュフロー悪化の事例 
(1)アイシン精機 ②
 平成9年(1997年)2月1日に起きたアイシン精機刈谷第一工場の火災で、事故が起こったのはプロポーショニング・バルブの製造工程です。プロポーショニング・バルブが属する制動装置分野の事故期におけるウエイトは、生産・販売実績ともに全社の13.5%であり、その中のプロポーショニング・バルブのウエイトは売上の数%(多分5%未満)だったと思われます。火災事故は2月1日に発生し、4月末までに内製化が完了したとされているので、売上の5%未満程度の製品の生産が3ヶ月ストップした訳です。
 事故期の決算は前回書きましたように、売上・利益ともに増大し、事業そのものは順調に推移していた形になっています。業績面からはキャッシュフローの悪化は起らず、火災事故に関する特別損失7,803は百万も直ちに資金が必要になるのではなく、復旧に際して資金が必要になる訳ですから、大きなキャッシュフローの悪化は起こらないように見えました。
 然し、当時の有価証券報告書に記載されている資金繰実績を整理検討すると、大きなキャッシュフローの悪化が生じていました。
 第1表で明らかなように、事故の起こった平成8年10月1日~平成9年3月31日までの6月間の営業収支尻は前年同期間に比べて9,231百万円も悪化しています。
 第2表で明らかなように、事故発生の翌期の前半平成9年4月1日~平成9年9月30日までの6月間の営業収支尻も前年同期間に比べて5,080百万円悪化しています。
事故発生直後の短期間と続く6ヶ月で、売上・生産のウエイトとはかけ離れた大きなインパクトがキャッシュフローに生じています。この内容の詳細は外部からは窺い知れませんが、会社はプロポーショニング・バルブの外部からの仕入れや、代替生産などについて資金を惜しまずに対策を講じた。しかし期末に計上した売上は直ちには資金になっていないなどの結果かと推測されます。
 手元現・預金残高は平成9年9月30日には5,309百万円(月商の0.1ヶ月強)の水準にまで落ち込んでいます。
 平成9年10月1日~平成10年3月31日までの6月間に営業収支は大幅に改善し、社債250億円の新規発行もあって、手元現・預金残高は13,505百万円と大きく増え、漸く事故の影響が薄れています。
〇第1表                            (単位 百万円)
 
科  目
      事  故  前  期   事 故 期
 第73期下期実績  第74期上期実績  第74期下期実績
7.10.1-8.3.31 前年同期比 8.4.1-8.9.30 前年同期比 8.10.1-9.3.31 前年同期比
営業収入 224,040   ― 230,158 7,587 248,784 24,744
営業支出 -209,013   ― -215,928 6,047 -242,988 33,975
営業収支尻 15,027   ― 14,230 1,540 5,796 -9,231
営業外収支尻 1,542   ― 1,298 169 1,580 38
決算支出等 -3,512   ― -6,985 17 -4,072 560
営業活動によるキャッシュフロー  
13,057
 
  ―
 
8,543
 
1,692
 
3.304
 
-9,753
投資活動によるキャッシュフロー  
-23,420
  ―  
-18,320
 
892
 
-16,086
 
7,334
事業のキャッシュフロー  
-10,364
 
 ―
 
-9,777
 
2,585
 
-12,782
 
-2,418
財務活動によるキャッシュフロー  
4,915
 ―  
4,965
 
1 ,860
 
3,654
 
-1,261
当期総合キャッシュフロー  
-5,449
 
  ―
 
-4,812
 
4,444
 
-9,121
 
-3,672


期末資金残高
(月商比)
31,568
(0.8 ヶ月 )
  ― 26,756
( 0.6 ヶ月)
-10,261 17,634
( 0.4 ヶ月)
-13,934

〇第2表                        (単位 百万円)
 
科  目
     事  故  翌  期
 第 75 期上期実績  第7 5 期下期実績
9.4,1-9.9.30 前年同期比 9.10.1-10.3.31 前年同期比
営業収入 256,793 26,635 251,992 3,208
営業支出 247,643 31,715 -241,887 -1,101
営業収支尻 9,150 -5,080 10,105 4,309
営業外収支尻 1,733 435 2,232 652
決算支出等 -3,943 -3,042 -1,753 2,319
営業活動によるキャッシュフロー  
6,940
 
-1,603
 
10,584
 
7,280
投資活動によるキャッシュフロー  
-16,646
 
1,674
 
-11,557
 
4,529
事業のキャッシュフロー -9,707 69 -971 11,811
財務活動によるキャッシュフロー  
1,506
 
-3,391
 
22,055
 
18,401
当期総合キャッシュフロー  
-8,202
 
-3,391
 
 
21,084
 
30,205


期末資金残高
(月商比)
9,431
( 0.2 ヶ月 )
-17,325 30,515
( 0.7 ヶ月)
12,881

アイシン精機は、当時営業活動によるキャッシュフローのプラス金額を上回る旺盛な設備投資を続けていて、その資金は主として転換社債で調達していました。転換社債というのは、一定の価格で株式に転換できる権利の付いた社債です。社債発行時に転換価格が決まっています。株価が転換価格を上回っていたら株式に転換した方が利益になりますから、社債権者は株式に転換します。そうなると社債を償還しなくて済みますからキャッシュフロー上はプラスになります。前回も書きましたように事故発生前日の株価は1,850円、事故翌日の株価は1,770円となり、事故直後同社株はストップ安になるまで叩き売られました。社債の転換価格は1,650円でした。
 同社には事故翌期末に償還期限の来る転換社債が148億7300万円ありました。事故発生の結果同社の業績に不安が生じ、株価が転換価格以下に低落すれば、翌期には社債を約149億円償還しなければならなくなります。前回書きましたように、業績は好調だと世間にアッピールして、株価の下落を防ぎ、結果アイシン精機では、事故期末に14,873百万円あった1年以内償還の転換社債は翌期末までには殆どが転換され、新たに社債250億円が発行され、結果、事故によるキャッシュフローの悪化は解消されました。「戦略的なリスク・ファイナンスの取り組みの成果」と評価されるべきことだと思います。

前回も書きましたように、アイシン精機は手元現・預金減と有価証券の売却でキャッシュフローの不足を賄い、金融機関に融資を依頼しませんでしたから、キャッシュフローの危機だったとまでは言えないかも知れません。

 当時、世間では同社のキャッシュフローのことなど全く問題にもしていませんでした。しかし、私はこの分析を通して、事故・自然災害発生時の企業のキャシュフロー対策「リスク・ファイナンス」の重要性を痛感しその後の私の議論の原点になっています。