「リスクとキャッシュフロー」について ⑳

2014年3月1日土曜日 | ラベル: |


〇演奏会のポスターより
 2月24日(月)東京文化会館小ホールで行われた、二期会会員で2013年の第56回NHKニューイヤーオペラコンサートでカルメンのホセ役で歌われた大澤一彰さんの初めての独演会を聞きに行きました。大澤さんは東京芸大卒業後ローマで研鑽を積み、180センチを越える恵まれた体躯と日本人離れした高音で聴衆を魅了します。
 アンコールでは拍手が鳴りやまず何曲も歌われました。アンコールを重ねるごとに更に盛り上がる拍手・ブラヴォーの声、私の80年の生涯で初めて体験した熱狂的なコンサートでした。26日の夕方大澤さんご夫妻からお礼のお電話を頂き、感激を新たにしました。2013年6月10日の「アンネ=ゾフィー・ムターさんのサイン」でも書きましたが、この歳になっても音楽に感動出来るのは、誠に幸せなことだと痛感します。

9.企業におけるキャッシュフローの悪化と金融機関の役割について ②
 一昨年の初頭、或る友人から、親しくしている営業担当専務の方の勤務する企業の業績が悪化しているので、アドバイスをして欲しいと頼まれました。大阪の商社でしたが、業績が悪化して取引銀行から「リスケ*1」をしたらと言われていました。
*1:「リスケ」とは「リスケジュール」の略。企業の業績が悪化し、毎月の融資の返済が困難になった際、銀行に依頼して、毎月の元金返済を少なくしてもらったり、元利金の返済を猶予してもらったりすること。
 「リスケ」は通常は企業から銀行に頼むものですが、この会社の場合はメインバンクの支店長さんから勧められていました。この会社の悩みは「粉飾決算」と「融通手形*2」でした。「どうしましょうか。」と相談を受けましたが、「リスケをするに際し、銀行は企業の内容を調査します。隠していても表れると思います。正直に白状して銀行の出方を見守るしかないでしょう。」と答えました。
*2:決済を必要とする現実の商取引がないにもかかわらず、振り出される手形。一方的またはお互いに手形を発行し、その手形を銀行で割り引いて貰うことにより、一時的に資金調達が出来る。
 巨額の粉飾、巨額の融通手形の存在を銀行に白状した後、結局銀行の指示で営業権を或る商社に売却し、その企業は民事再生手続に入りました。
 営業担当専務は代表取締役として取引銀行に対する連帯保証債務の履行請求と、担当取引先に対する融通手形の発行に関与したとして会社側から損害賠償の請求を受け、その金額は合計十数億円に達しました。銀行・会社側の弁護士からは「自己破産(自分で破産手続きに入る)しかないですよ。」と迫られ窮地に陥りました。
 営業担当専務は粉飾決算については,蚊帳の外でした。融通手形については、確かに当初先方の資金繰りのために依頼を受け会社に取次いだのですが、その後会社側も自社の資金繰りのため相互に手形を発行し、金額が大きくなっていったので、ある段階で「これ以上の増大は会社が危殆に瀕する」と役員会で反対したにも拘らず押し切られています。その時点で事態を明らかにしたら、会社自体が破綻するとの判断で押し切られたわけで、法的には責任は免れません。然し,永年勤務した会社から訴えられ、自己破産を迫られ本当にお気の毒でした。
 私は大学のゼミの後輩の有能な弁護士に助けを求め、彼は犠牲的な料金で相談に乗ってくれて、種々折衝の結果、結局債権者側から破産の申し立てがなされ(費用負担の点で大差があります。)彼は私財を吐き出して、2月上旬に免責が確定しました。この間彼に「癌」が発見されるなど、心身ともに大変だった2年間を強い意思で乗り切ったことは凄いことだと思います。
 重ねて言いますが、法的には請求手続に全く問題は無く、責任は免れません。しかし銀行の代理人である弁護士が、法的には殆ど無知である役員を追い詰め、冷酷に取り立てる状況は、古い銀行員としては耐え難い思いがしました。血も涙も無いベニスの商人の「シャイロック」です。私の考えは古いとは重々思いますが、その会社も業績が順調な時代は良いお得意様だった筈です。銀行は、お得意様の気持を少しは考えたらとつくづく思いました。

 京橋の元全国信用金庫連合会の建物の横に、城南信用金庫理事長だった小原鐵五郎氏の胸像があります。私がまだ旧住友銀行員だった1983年に小原氏は「私の体験的経営論・貸すも親切貸さぬも親切」(東洋経済新報社)を上梓されました。そのなかで、
「もともと庶民金融は担保が十分あるから貸そう、利息も元金も取りはぐれがなさそうだから貸そうというものではないはずである。その人が手がけようとしている仕事がうまくいくかいかないか、どうすればうまくいくかを相手の身になって親切に考えてそのうえでおカネを貸すようにしなければ、本当の金融にはならない。考えてみて、どうもまずいと思った時には、どんないい担保があっても〃これはおやめになったらどうです。〃と説得する。(中略)リスクは当然ある。借り手が一所懸命やっても、景気やめぐり合わせでどうしようもない貸倒れも出てくる。しかしそれはやむをえない。貸倒れはないに越したことはないが、それをおそれて安全安全といって自分が損しないことばかり考えていたのでは、本当の生きた中小企業金融はできない。(50-51ページ)」と書かれています。私が現職の時代大いに考えさせられた言葉です。

 下記は、レイモンド・チャンドラーの「プレイバック」の中で、私立探偵のフィリップ・マーロウと一夜を共にした女主人公が「あなたのようなしっかりした男がどうしてそんなに優しくなれるの。」と訪ねた時の有名な台詞です。
 If I wasn’t hard、I wouldn’t be alive
 If I culdn’t ever gentle、I wouldn’t to be alive
「しっかりしていなかったら生きていられない。優しくなれなかったら生きている資格がない」(清水俊二訳・早川書房)

 企業を診るには冷徹な判断が必要です。しかし小原氏も言っておられるように「どうすればうまくいくかを相手の身になって親切に考えて」対処すべきです。上記のセリフと小原氏の考えには相通じるものがあります。
 私は現職時代、決してうまくやっていたとは思いませんが、こうした気持でお得意様と接し色々な問題を解決していくことが大切だと思っていました。

 企業のキャッシュフローは、企業活動の結果です。メインバンクは平素から企業の活動の状況を見て、問題点をアドバイスし、健全な経営が行われるようにしていれば、貸倒のリスクは減少します。与信管理です。
 2013年8月20日に書きましたように、旧住友銀行では、後に朝日監査法人理事長、日本公認会計士協会会長になられた小澤修冶氏の経営分析論『一般には「経営分析」の意味するところは、貸借対照表・損益計算書、その他財務諸表によって会社の資産内容などを分析してその適否・欠陥・傾向などを発見する方法である。』『「会社分析」と題した所以は、財務諸表の計数の分析にとどまらず、貨幣価値をもって表現出来ない外的な経済環境とその変化、内的な経営の人的要素とその運営管理を含めて会社の実態を認識すべきである。』という考えに基づき、定量的な分析に加え定性的な分析を加味した経営分析を行っていました。
 現在コンピューター・システムの発達により金融機関の担当者は定量的な分析作業をしなくても、コンピューター・システムがやってくれていると思います。そこに定性的な分析を加えるえることによって、効率的に与信管理が出来る状況が整備されているにも拘らず、今の金融機関では定性的な分析がおろそかになっているのではないかと私は思います。敢えて言わせて頂ければ、バブル期の不動産担保重視の貸出時代を経て、更にコンピューター・システムの発達が金融機関における定性的な分析能力を失わせたのではないかとさえ思います。効率の問題もあり、そんなことを考えている暇は無いのかも知れませんが、銀行員がそういった能力を持つことが効率に影響するのか。
 また、相手の身になって考えることが,与信管理上プラスになる場合もある私は確信します。