陸前高田市・今泉天満宮の杉  樹木の生命力

2014年3月20日木曜日 | ラベル: |



〇震災前の高田松原
 陸前高田市の白砂青松の高田松原は、平成23年3月11日の大津波で壊滅しました。ただ一本残った「奇跡の一本松」はその後枯死し、保存工事がなされました。



〇奇跡の一本松(保存工事後)



 同じ陸前高田市気仙町に鎮座する今泉天満宮(荒木眞幸宮司)は、樹齢約800年と言われる御神木「天神の大杉」のみを残し、跡形もなく流失してしまいました。私はご縁があって、「今泉天満宮の再建を支援する会」のお手伝いをしています。3月12日の会議で嬉しいご報告がありました。
 御神木「天神の大杉」も「奇跡の一本松」同様、その後枯死したと思われていました。ところが昨年根元から新しい芽が生えて来ました。



 当初は草刈の際誤って何本かは刈ってしまったとのことですが、その後新芽と判り、現在は写真のように大きく伸びています。杉の木の根は生きていたわけで、古木の生命力には驚く他ありません。「今泉天満宮の再建を支援する会」会長の池上信夫様は園芸の専門家ですが、「奇跡としか言いようがない」と仰っていました。社殿の復興に希望を与える出来事だと痛感します。
 天満宮には菅原道真公が祀られています。住友銀行亀戸支店勤務時代「亀戸天神」はお得意様でした。当時お正月には休日出勤してお賽銭の整理に当たっていました。
「亀戸天神」は太宰府天満宮の東国一の宮です。亀戸天神の神主様からは、「太宰府天満宮は菅公(菅原道真公)の没後、そのご遺徳を偲んで建立されたお宮です。京都の北野天満宮は菅公の没後、京都でしきりに天変地異が起こり、疫病が流行ったため人々は<これは菅公の祟りである>と考え,菅公の霊を鎮めるために建立されたものです。両社は建立の趣旨が全く異なっています。」と言われていました。国宝「北野天神縁起」に天変地異や疫病のことが描かれています
 もし良かったら、三井住友銀行本店営業部 普通預金 2505973 「今泉天満宮の再建を支援する会」に一口1,000円からのご支援をお願い申し上げます。
 「今泉天満宮の再建を支援する会」HP
http://imaizumitenmangu-sien.net/

 古木の話を続けます。



〇薄墨の桜
 「薄墨の桜」は岐阜県根尾(現本巣市)にある樹齢1500年と推定される古木です。私は住友銀行岐阜支店在勤当時、1回だけ桜を見ることが出来ました。「淡墨の桜」は蕾のときは薄いピンク、満開時には白色、散りぎわには特異の淡い墨色になります。「淡墨の桜」の名前はこの散りぎわの花びらの色から来ています。気高い品のある桜でした。
 近年では老化が著しく、樹木医や地元の人々の手厚い看護によって守られています。作家の宇野千代さんがその保護を訴えて活動されたこともよく知られ、作品「薄墨の桜」が有名です。



〇荘川桜
 岐阜県御母衣ダムの湖畔に立っている2本の巨桜は、樹齢450余年といわれています。湖底に沈む地区の照蓮寺および光輪寺の境内にあった桜です。昭和34年、ダム建設中のこの地を訪れた電源開発(J-POWER)初代総裁高碕達之助氏は、この巨桜が湖底に沈むのを惜しみ、「桜博士」と言われた桜研究家の第一人者、故笹部新太郎氏に依頼し移植が実行されました。多くの専門家をして、「不可能」といわしめた世界に例を見ない大規模な移植工事は昭和35年12月に完了し、「荘川桜」と名付けられ今も咲き誇っています。私は「荘川桜」も岐阜在勤当時1回だけ見ることが出来ました。
 余談ですが、佐藤 良二(さとう りょうじ、1929年8月3日 - 1977年1月25日)さんという方は、名古屋市から金沢市までを結ぶ名金急行線の路線沿いに桜を植え続けた、旧国鉄バスの車掌さんです。御母衣ダム建設に伴い、水没地区にある桜の木の移植を撮影記録することを依頼され、その後、名金急行線の路線沿いに移植された荘川桜が再び開花したことに感銘を受け、1966年頃より名金急行線の道路沿いに桜を植え始め、以後、余暇を苗木の手入れや植樹に費やし、生涯に約2,000本の桜を植えたと言われています。
 このブログの第1回は「バラとリスクマネジメント」です。私は植物が好きで、今も狭い庭にはアメリカ花水木1本以外は全てバラを植えています。このところの暖かさでバラの赤い芽が日に日に大きくなっていきます。キザな台詞ですが「春の足音」が目に見えて、一年中で一番心温まる季節です。
次回からは、又本題に戻ります。