「阪神淡路大震災の回顧」(1)

2015年1月18日日曜日 | ラベル: |

 1月17日(土)は阪神淡路大震災から20年目の日ということで、新聞やテレビは大きく報道しています。私は当時関西の都市銀行の子会社の損害保険代理店に勤務していました。
 平成7年(1995年)1月17日(火)は成人の日の連休明けでした。その日は関西から出張して貰って、東西打ち合わせの会議を開くことになっていましたが、地震で吹っ飛んでしまいました。
 このブログの第2回2011年(平成23年)4月15日の阪神淡路大震災に関する部分を再度引用致します。
 『平成7年(1995年)1月17日の朝6時少し前、当時都銀系の損害保険代理店に勤務していた私は、朝食の最中関西で大きな地震が起こったと言うTVのニュースを見ていました。神戸の震度計は振り切れて、ニュースでは最大震度は京都と報じていました。8時ころ会社に出社してTVで見た神戸市街からは何本かの火災の煙が立ち登っていました。大阪の本社とは専用線が通じていましたが誰も出社して来ません。9時近くにようやく連絡が取れ大阪の状況が把握出来ました。
 その朝、或る損害保険会社の神戸の単身赴任寮で、嘗て大きな地震の経験のある社員が、窓の外の状況を見て、大変な地震が起こったと判断し、地震直後でまだ電話が混雑する前に東京本社に「神戸で大変な地震が発生した。」と第一報を入れました。そのため、その会社は初動態勢が圧倒的に上手く行きました。「何が起こったのか」を早く的確に把握することが危機管理の第一歩です。
 私は翌日のJALの最終便で関西空港に向かいました。着陸寸前に機窓から見た神戸の街はまだ赤く燃えていました。会社の神戸支店は当分来て呉れるなと言います。交通機関も水道も途絶していて、外部の人が来るのは迷惑だと言うことです。
 2週間後にJRが住吉まで開通し、三の宮にある支店の水道も復旧したので神戸に向かいました。連絡バスの乗り場は長蛇の列だったので、住吉から三の宮まで歩きましたが、道路は波打っていました。市街地は寒く、断層の上だけが不公平に被害を受けていました。三の宮の商店街は惨憺たるものでした。帰途神戸の波止場から平時は遊覧船のサンタマリア号にすし詰めになって大阪の天保山に帰りました。そこには普通の生活があり、ひどい違和感を覚えました。
 ここに書いたような地震発生直後の経過は、神戸の人は全く判っていませんでした。何故ならば、地震直後はTVも見られず、ラジオも聞くことが出来ず、情報は全く途絶していたからです。(後略)』
 私がリスクマネジメントやBCPの実務に従事するについて、阪神淡路大震災の経験は非常に大きな影響を与えています。以下、幾つかの視点で私の意見を述べます。
①自然災害による死者等の推移
 下記の棒グラフは、戦後の自然災害による死者等の推移表です。
 一番右が1995年(平成7年)1月17日(火)に発生した阪神淡路大震災の死者 : 6,434名、行方不明者 : 3名、負傷者 : 43,792名の棒グラフです。その左の高い棒グラフは、1959年(昭和34年)9月26(土)の伊勢湾台風の死者4,697人・行方不明者401人負傷者38,921人の棒グラフです。
 言いたいことは、1959年(昭和34年)から1995年(平成7年)までの間の44年間は自然災害による死者等の数は46年間年1,000人以下の低い状態が継続していた、穏やかな状態だったと言うことです。

 その後、2011年(平成23年)3月11日(金)に東日本大震災が発生しました。2015年(平成27年)現在、死者は15,889人、重軽傷者は6,152人、警察に届出があった行方不明者は2,594人と報じられています。阪神淡路大震災後僅か16年後に死者の数が阪神淡路大震災を遥かに上回る地震が発生した訳です。そして、今首都直下型地震の発生が警告されています。上の棒グラフに見られる穏やかな時代は終わったように思われます。
因みに、1923年(大正12年)9月1日に発生生した関東大震災の死者・行方不明者は10万5千余名とされています。
 自然災害とは異なりますが、第二次世界大戦における、我が国の空襲の人的被害は、戦後の自然災害よりも遥かに大きく、例えば、1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲の人的被害は、警視庁の調査では死亡8万3793人とされていますが、実数はこれよりも多く、死者・行方不明者の数も10万人以上と言われています。
 1945年(昭和20年)8月6日の広島市の原爆の被害は、広島市の人口35万人(推定)のうち9万~16万6千人が死亡したとされています。
1945年(昭和20年)8月9日の長崎市の原爆の被害は、長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡したとされています。
 本稿とは関係の無いことですが、戦中派としては戦争の悲惨さを思わずにはいられません。
②被災者の死因
 遺体を検案した監察医のまとめによりますと、阪神淡路大震災の死者6,434名の80%相当、約5000人は木造家屋が倒壊し、家屋の下敷きになって即死したとされています。検視の際気管にススが入っていなければ,死後に火災に遭ったことになるということです。
 これに対し東日本大震災の犠牲者の死因の殆どが津波に巻き込まれたことによる水死であって、水死は90.64%(14,308体)とされています。
 首都圏直下地震対策としては、阪神淡路大震災の状況の方が参考にると思います。
 2014年5月1日(木)の記事に書きましたように、東日本大震災における「津波」に当たるものは、首都圏直下型地震では「大火災」です。
 都市銀行の亀戸支店長時代、亀戸には関東大震災(1923年)と東京大空襲(1945年)の両方を経験した方が数多くおられました。2回の大火災で生き延びることが出来た理由は、「早期に川を渡って対岸に逃げられたこと。」と異口同音に言われていました。当時は隅田川や江戸川という大きな川を渡って、漸く大火から逃れられた訳です。今は海岸の埋立地に逃げる手もあると思います。

〇DRPの時代に起こった都市直下型地震
 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以降、BCP((Business Continuity iency Plan)が叫ばれるようになりました。それまではDRP(Disaster Recovery Plan)災害復旧計画の時代でした。阪神淡路大震災は1995年に起こった都市直下型地震ですから、対策面で色々な不備が露呈しています。逆に、当時の記録は反面教師として対策を樹てるのに非常に参考になると思います。
 また、東日本大震災は地方の都市・集落中心の地震なので、首都直下型地震とは異った側面が多いと思います。

今回はここまでに致します。

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BCMSにおける企業トップへのサポート

2015年1月4日日曜日 | ラベル: |

 12月7日(日)に最初にアップした原稿を訂正し、再度アップしましたので12月は1回のみのアップになりました。申し訳ありませんでした。
 2011年4月1日「バラとリスクマネジメント」でスタートしたこのブログは129回目になりました。今年もどうか冝しくお願い申し上げます。

 前回ISO 22301(JIS22301)の「5.リーダーシップ及びコミットメント」に関する部分の議論をご紹介致しました。この点に関し、12月4日に、別の研究会で東京ガスの吉野太郎様から 企業のBCMSや危機管理の実状についての具体的なお話をお聞き出来て大変参考になりましたので今回ご報告申しあげます。
 吉野様からは、昨年8月30日に公表された日本内部統制研究学会のERM部会での報告「企業におけるERMの役割とその実施方法に関する考察」という論文についてのお話をお聞きしました。吉野様は永年に亘り東京ガスのリスクマネジメント、特にERM(Enterprise Risk Management)とBCP(Business continuity plan)の担当者としてご活躍になっておられます。『 』内は「企業におけるERMの役割とその実施方法に関する考察」の記述です。
 但し、「本論文はあくまでも吉野様の一つの見方で、意見に関する部分は,吉野様の個人的な見解であり,吉野様が所属される企業の意見ではない。また,記載した事例等は,公開資料を基に作成したものであり,吉野様が所属される企業の事例ではない。」とされています。
 吉野様は、論文の冒頭で『ERMの第一の役割は,リスク管理部門が,企業全体のリスクとその対応状況を一覧化・総括して経営に報告することにより,リスクマネジメントの観点から経営者の経営の現状把握を支援し,リスク対応についての全体最適の経営判断をサポートすることである。』と言われています。我が国のリスクマネジメントの専門家でこう言っておられる方は非常に少ないと私は思います。
 企業は『平時には,個別具体的なリスクに対しては,各部門・子会社(以下,「各部門」という)が責任を持って対応することが基本となる。経営者がリスクマネジメントに対する最終的な責任を負うことを前提とした上で,各部門は自部門の業務遂行に伴うリスクを自ら把握すると共に,対応策を自ら策定・実施し,自部門におけるリスクマネジメントを整備・運用する役割と責任を負うという分権型組織体制がとられている。』
 危機管理については、『企業におけるERMの第二の役割は,危機管理体制を強化することである。危機管理体制を強化するためには,以下の三点が必要と筆者は考えている。①ERMと危機管理・BCPとの関係を理解し,ERMの一環として危機管理体制を強化すること。②平時のリスクマネジメントと有事のリスクマネジメントとの役割の違いを理解し,それぞれの役割に応じて強化すること。③危機管理体制には,各担当部門長が権限を持つ分権的な体制をとる場合と,社長に権限を一元化する中央集権的な体制をとる場合との二つの類型があること。両者は必要となる事項やリスク管理部門の役割が一部異なることを理解した上で,それぞれの特性に応じて強化することである。』と述べておられます。
 この記述は、前回議論致しました「BCMSにおける企業トップのリーダーシップのあり方」について我が国では如何に行うべきかということに対する、実践的な解決策を示しているものだと私は思います。
 更に『企業では,ERMと危機管理・BCP(Business Continuity Plan 事業継続計画)を別の部門が所管している場合も多い。その場合,ERMと危機管理・BCPとの関係が社内で理解されていないと,両者が別々に整備・運用され,会社全体でリスクマネジメントが統一的に行われず,リスクマネジメントが効率的・効果的に実施されていない場合がある。また,ERMが危機管理体制を強化する手段として活用されていない場合がある。
 企業全体でリスクマネジメントを統一的に実施し,ERMを危機管理強化の手段として活用するためには,危機対応やBCPをERMの一環として行う,もしくはそれらをERMの一部として取り扱うことが必要である。』
 と言っておられ、我が国の企業のERMやBCPの実践に関する問題点を的確に指摘されています。
 『有事のリスクマネジメントの役割は,リスクが顕在化した時に組織として迅速かつ適切に対応することである。そのためには第一に,事案の重要性に応じたしかるべき階層の経営層による意思決定に基づいた対応を行うことが必要である。第二に,事案の重要性を見極め,有事であるか否かの判断を迅速かつ適切に行うため,しかるべき階層の経営者へのリスク情報の迅速な報告と,関係部門による多面的な検証と支援が必要である。』
 『危機管理体制には,各担当部門長が権限を持つ分権的な体制をとる場合と,社長に権
限を一元化する中央集権的な体制をとる場合との2つの類型がある。
(1)部門長が権限を持つ分権的な体制をとる場合(内容省略)
(2)社長に権限を一元化する中央集権的な体制をとる場合
   例えば,大規模な地震,事故,システム障害など,損失拡大のスピードが急速であ
   り、当初から危機であることが明確な場合である。影響範囲が広く,対応に要する
   関係部門の数が多数にのぼり,日常業務の多くを中断して,全社一体となって対応
   に当たる必要がある場合が多い。
   前記(1)の体制であっても,後に社長に権限を一元化した体制で対応することが必要
   と判断された段階で,本体制に移行する。なお,その可否の判断は社長が行う。』
 『権限を社長に一元化する場合の危機管理におけるリスク管理部門の役割は、第一に,経営者のサポートを行うことである。経営者への情報一元化,および指揮命令系統の一元化を確実に行うことにより,経営者が限られた時間の中で,限定的な情報を整理・統合して,企業としてとるべき行動を判断し,実行できるようサポートすることが必要である
 復旧段階におけるリスク管理部門の役割は,第一に必要な復旧対策を実現するために,経営者に予算など経営資源の最適な配分を意思決定するために必要な情報を提供することである。』と言ってられます。
 最後に『企業価値向上の手段は企業特性や経営環境により異なるため,企業が対処すべきリスクも企業により様々である。そして,ERMの役割や実施方法も,企業により異なり,定型化されたものはない。そのため,企業価値向を持続的に向上する手段としてERMを整備・運用するに当たっては,自社の企業特性,経営環境,およびステークホルダーの期待などを総合的に検討して,自社に適した体制を個別に作ることが必要である。本稿を一つの例として,ERMを整備・運用する際の参考にしていただければ幸いである。』とされていますが、このことはBCPの実践についても同様だと私は考えます。
 【 所見 】
 前回のご報告に書きましたように私どもは或る研究会の場で、
 『日本の経営者は、ボトムアップ型の組織の頂点にいて部下の補佐によって職務を遂行するケースが多いため、日本の経営者がISO 22301で想定しているマネジメントスタイルを実行するためには、日本の組織を前提とした補完的なサポート策を加味したやり方を考えるべきではないか。』
 『創業者型の経営者、欧米の子会社のトップを経験し欧米型の経営に同感している経営者を除いて、現状日本の経営者の多くは、ISO22301が要求していることは実行出来ないと思われるので、当面は次善の策として、ERMやBCPの担当者が経営者の判断をサポートして
ISO 22301の要求事項が実行可能となるような対応策を講ずべきである。』
という問題提起をしたのですが、吉野様のお話は我が国の企業においてERMやBCPの担当者が如何に経営者に対して補完的なサポートをするかについての実践的な解決策の一案を提示されていると私は思います。

 
 私は我が国の経営者に対して、ISO22301が要求している事項に関して、基本的な素養や考え方の教育をしっかりと行う必要があると考えます。少なくとも、BCMSにおいて行われようとしている内容が、どうして必要なのか、概略どのようにして行うべきものなのか、どのような効果を持ち、どのような弊害やリスクを伴っているかなどを経営者は理解している必要があります。さもなければ吉野様の言われる「経営者に対するサポート」が活きません。そのような能力は付け焼刃で身に付けようとしても付くものではありません。また、そもそもマネジメントとは何かについてのしっかりとした考え方や哲学が必要で、日本的な経営スタイルでは容易ではないことだと考えます。
 一方、当面の次善の策として、リスクマネジメント、BCPの担当者が経営者をサポートをして、経営者がISO22301が要求している事項の実行が可能となるような対応策を講ずるについても問題が残っています。
 東日本大震災に対する企業の対応に関する報告書、例えば東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の中間報告書は、「原子力の災害対応に当たる関係機関や関係者、原子力発電所の管理・運営に当たる人々の間で、全体像を俯瞰する視点が希薄であったことは否めない」としています。また、みずほ銀行の「システム障害特別調査委員会」報告書でも「一連の障害を通じて、システム全体を俯瞰でき、かつ、多重障害の陣頭指揮を執り得るマネジメントの人材も不足していた。」ことを指摘しています。
 いずれのケースでも「事故や災害発生時に企業全体を見ている人がいなかった」ということだと思います。「木を見て森を見ず」といいますが、部分、部分の対応ばかりに追われていて、企業が被災時に取る実際の対応について、或いは平素PDCAサイクルを回すについて、更には経営者の判断をサポートするについては、我が国企業の現状を直視した場合、実務体制の再構築が必要な企業が多いのではないかと私は思います。現在の我が国の状況では、リスクマネジメント・BCMの実務担当者に、企業全体を見るという視点が十分ではないと私は思います。私はこれを「経営的視点の欠如」と言いたいのです。
 吉野様が言われるように、リスク管理部門が,企業全体のリスクとその対応状況を一覧化・総括して経営に報告することが可能になるためには、そこに従事している方々に企業全体を見るという視点「経営的視点」が不可欠です。ここにも問題があります。
 今回は悲観論ばかりになりましたが、現実に吉野様のような方も存在されているわけですから、経営者、リスクマネジメント、BCPの担当者の双方の努力によって、望ましい方向に少しでも近づけたらと言うのが、私の結論です。

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