2月14日(金)関東地区2度目の大雪の日、経済産業省別館のセミナー室で行われたBBLセミナー*1で、熊本県商工観光労働部観光経済交流局 くまもとブランド推進課 課長 成尾雅貴様の「くまモンにみる熊本県のブランド戦略」というお話をお聞きし、「くまモン」と握手をして来ました。
くまモン オフィシャルHP https://kumamon-official.jp/ より
2011年3月の九州新幹線全線開通をきっかけに生まれ、「ゆるキャラグランプリ」を獲得した「くまモン」が、如何にして人気者になれたのかについては『①トップ(知事)の理解と支援、②くまモンの弛まぬ努力③軽快な動き・豊かな表現力④新旧メディアを最大限に活用⑤いつもサプライズを忘れないこと。』だと言われました。
地方の活性化のため色々な試みがなされ、各地で多くの「ゆるキャラ」が活動していますが、尋常一様のことでは上手くいかないのだと思いました。「くまモン」の事例には大変感銘しました。もうすぐ、BBLセミナーのHPに当日の資料がアップされると思いますので是非ご覧下さい。
*1:BBLセミナー (経済産業研究所のHPより)
米国の大学や研究機関では、先生、学生たちの間でBrown Bag Lunch Meetingというものが頻繁に行われています。(自分の昼食を茶色の紙袋に入れて集まるところから、この名前がついたそうです。) BBL(Brown Bag Lunch Seminar Series)とは、ワシントンのマサチューセッツアべニューにあるシンクタンクで日夜繰り広げられているような政策論争の場を日本にも移植し、policy marketを作りたいという思いで、当研究所が企画しているブレインストーミングセッションです。
国内外の識者を招き、様々な政策について、政策実務者、アカデミア、産業界、ジャーナリスト、外交官らとのディスカッションを行っています。会場スペースの制約もあり、現状では非公開としておりますが、これまでに行われたセミナーの概要や配付資料、今後の開催予定等は、こちらでご覧頂けます。
http://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/
9.企業におけるキャッシュフローの悪化と金融機関の役割について ①
2011年6月10日(金曜日)・2013年7月20日(土曜日)のブログで触れた経済産業省の「リスクファイナンス研究会報告書*2」には、
『わが国では、メインバンクは、最大の貸出しシェアを占める債権者として、また長期安定的な株主として、企業が災害や事故等により一時的に業績が悪化しても、長期的視野に立ち、事業活動の継続や相応の収益性が見込まれる場合には、(中略)メインバンクは融資先企業のリスクファイナンスをサポートする機能を提供してきたといえる。
しかし、企業の財務状況、金融環境の変化により、メインバンク制は次第に弱まってきており、企業がデフォルト(倒産)した際にメインバンクが被る損失も相対的に小さくなってきている。このためメインバンクによる企業救済のインセンティブは低下している可能性がある。「いざという時は、メインバンクに資金を手当てしてもらえる」と考えている企業も数多く見られるが、これまで提供されてきたメインバンクによるリスクファイナンス機能は、その提供される度合いや実現性が低下してきている点に留意する必要がある。』と記述されています。
事故や自然災害は企業のキャッシュフローを悪化させます。私が旧住友銀行に勤務していた時代は、私どもの銀行も融資先企業のリスクファイナンスをサポートしていました。
私の旧住友銀行における後輩は安宅産業の救済にあたり、アメリカでその業務に従事していました。当時彼はアメリカのバンカー達から「どうして住友銀行はそこまで企業を助けるのか。」と言われたと言っていました。2013年8月1日(木曜日)のブログに書きましたように,CSR(企業の社会的責任)の議論がまだあまり行われていなかった1970年代後半に、『安宅産業の破綻は日本の商社全般に対する国際信用の失墜と、日本の銀行に対する国際的な信用不安を齎し「第二の昭和恐慌」の引き金になるかも知れないから、安宅産業の破綻は日本経済のために絶対に避けなければならない。』と言う考えで、メインバンクとしての公共的使命を果たすべく、多額の負担の下に安宅産業の救済を行った事は評価されるべきことだったと私は今でも思います。
1978年10月第1次オイルショックの結果、原油価格が高騰し、アメリカにおけるロータリーエンジン車が売れなくなり、マツダが危機に陥った際、マツダが破綻すれば広島地区の経済が破綻するという事態を救済するため、メインバンクの旧住友銀行・サブメインの旧協和銀行などが支援をしました。資金支援・人材派遣に加え、支店長車を全面的にマツダの「ルーチェ」にした時私は亀戸支店長でした。他行の支店長車のトヨタ・クラウンや日産・セドリックなどに比べ,遥かに小さな車に乗っていました。
1980年代の後半「アサヒビール」の市場占有率が10%を割り「夕日ビール」と揶揄されていたころ、メインバンクの旧住友銀行従業員は、本体の資金支援・人材派遣に加え、支店における接待・会合や自宅での晩酌でも一生懸命「アサヒビール」を飲んでいました。
現在の、東京電力、オリンパス、シャープ等の経営危機におけるメインバンクの対応と比べて、当時のメインバンクの対応の著しい違いは、「メインバンクの公共的使命に徹し、メインバンの責任と犠牲において企業の救済を主導し」全社を挙げて努力をしいていたと言う点だと思います。
「リスクファイナンス報告書」の『これまで提供されてきたメインバンクによるリスクファイナンス機能は、その提供される度合いや実現性が低下してきている点に留意する必要がある。』と言うことは、場合によっては取引をしている金融機関に取って「貸倒れリスクの増加に繋がっている部分」もあるのではないかと古い銀行員である私は思います。
*2:経済産業省「リスクファイナンス研究会報告書」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1009715
世界銀行のレポートは、リスク発生時の資金繰り対策では、「自己資金+保険+災害復旧融資」のベスト・ミックスが大切であると論じています。
地震の発生により、金融機関本支店の建物・機械等が毀損され、固定資産関連の損失が発生します。従業員に死傷者も生じ、一部の店部では営業の継続が困難となりますが、更に貸出先顧客の被災により貸出金債権が毀損されます。その結果、貸倒引当金が増加します。
東日本大震災後の金融機関の損益状況を、東北地区の地方銀行の有価証券報告書で見ますと、平成23年3月期連結で、例えば下記のように報告されています。
・A銀行 災害による損失 50,687百万円 当期純損失 30,458百万円。
「災害による損失」には、貸倒引当金繰入額48,847百万円及び固定資産関連損失1,023百万円(うち災害損失引当金繰入額848百万円、固定資産処分損170百万円)を含む。
・B銀行 その他の特別損失 6,919百万円 当期純利益 1,109百万円。
東日本大震災による与信費用6,075百万円及び震災関連のその他費用807百万円を含む。
貸倒引当金繰入額5,100百万円及び固定資産関連費用84百万円を含んでおります。
・C銀行 貸倒引当金繰入額2,898百万円及び減損損失113百万円を含む。
当期純損失 4,834百万円
・D銀行 災害による損失 15億円 当期純損失 10億円。
貸倒引当金繰入額1,457百万円及び固定資産関連損失74百万円。
即ち、貸出先顧客の被災により貸出金債権が毀損された結果の貸倒引当金繰入増が民間金融機関の損益悪化の主因となります。
民間金融機関が融資先に対し「BCP(含むキャッシュフロー対策)」のサポートを行えば、金融機関の資産の太宗をなす貸出金債権が地震等のリスクで毀損することを防止することが出来ると私は思います。
企業におけるキャッシュフローの悪化と金融機関の役割について、古い銀行員の感想を次回も書きたいと思います。
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「リスクとキャッシュフロー」について ⑱
2014年2月10日月曜日 | ラベル: キャッシュフロー, リスクマネジメント, 企業経営 |
8.事故とキャッシュフロー悪化の事例
(2)雪印乳業 ③ 森永乳業の砒素ミルク事件との対比
平成12年(2000年)の中毒事故の45年前、昭和30年(1955年)3月にも雪印乳業は東京都で学校給食の粉乳の中毒事故を起こしています。その3ヶ月後昭和30年(1955年)5月から8月にかけて森永乳業のドライミルクに砒素が混入し、乳児128名が死亡、12,103名が被害を受けるという事故が発生しました。事故発生後の森永乳業の業績。売上の推移は下記の通リです。
〇損益計算書 (単位億円)
*更にその後後遺症に対する補償費用が発生している。
〇品目別販売実績 (単位 億円)
〇主要勘定科目増減
(単位 億円)
ドライミルク(扮乳)でこれだけの事故を起こしたのですから、扮乳の売上は激減するかと思いきや30%くらいしか減っていません。その他の品目の伸びもあって売上は4億円(4.4%)減、当期利益は1億円の増です。中毒事故の損失負担後も2億円の利益を計上しています。現在だったら128名の死者が出たら企業の存続は危殆に瀕していると思います。
当時の補償金は死亡者25万円・患者は一律2万円とされました。その後、後遺症に対する補償がなされています。
未だ「製造物責任法」が制定されていない時代のことです。人命の価値について非常に考えさせられます。こういった時代だったので、昭和30年の雪印乳業の事故の教訓が会社の中に残らなかったとも言えます。
(3)その他の企業の事故とキャッシュフロー悪化の事例
1)チッソの水俣病問題
2011年5月25日(水)のブログでチッソについて書きました。再度その要約です。
水俣病は、チッソ水俣工場の工場廃水に含まれて排出されたメチル水銀化合物が水俣湾内の魚貝類を汚染し、それを摂取した地域住民が発病したものです。昭和48年(1973年)に原因が確定し、その後チッソの水俣病の補償金が急増しました。
昭和48年(1973年)3月期(6ヶ月)チッソの売上高264億円、純利益7億円に対し、水俣病関係費用は66億円が計上されました。昭和53年(1978年)3月末には繰越欠損金は363億円に達し、期末自己資本は △276億円となり,上場廃止になりましたが、熊本県は県債を発行してチッソに補償費用の融資を行っていたので、水俣病の補償遂行のため 会社は存続しなければなりませんでした。)
平成17年(2005年)3月期は、売上高1147億円・経常利益78億円(水俣病補償損失45億円・公害防止事業負担金12億円)、期末繰越損失1509億円、長期借入金1420億円でした。年間売上高を上回る繰越損失、長期借入金(熊本県からの借入金)で、会社は実質死に体状態でした。
平成22年(2011年)3月期は売上2612億円、経常利益220億円、純利益105億円 (水俣病補償46億円)、長短借入金1881億円、純資産合計△807億円と状況は大分改善されて来ました。平成23年(2012年)3月末に分社化し、事業譲渡受会社はJNC㈱(チッソ子会社)、チッソ㈱は持株会社となり、従来同様補償を継続することになりました。原因確定から38年後のことです。
2)マツダの工場火災
平成16年(2004年)12月16日24時45分、主力工場の宇品第1工場から出火、塗装工程など8000平方メートルが焼失しました。
マツダ㈱は平成17年2月5日に平成17年年3月期の損益見通しを発表しました。そのなかで、昨年12月に広島の主力工場で発生した火災による損害は100億円超になると説明しています。 損害の内訳は、①火災で焼けた塗装設備・建物・半製品などの直接被害。②3万台の自動車の生産を取りやめる影響です。これが、キャッシュフローを悪化させます。
3)新潟三洋電子㈱の地震被害
公表されている新潟中越地震(平成16年)の三洋グループの被害です。
新潟三洋電子㈱の工場・機械が受けた直接的な被害額 184億円
在庫被害 46億円
復旧費用 270億円
復旧のための新たな設備投資 3億円
被害額合計 503億円
地震被害に起因した販売の機会損失 370億円
連結損益に与える影響 873億円
〇新潟中越地震が三洋電機のキヤッシュフローに与えた影響は、復旧費用+新たな設備投資+機会損失=643億円 となります。
(機会損失は新潟三洋電子だけでなく、本社、後工程の関係会社、販社分も含む連結べース。)
(4)「大阪アメ二ティパーク」の土壌汚染隠蔽
三菱マテリアル㈱・三菱地所㈱が三菱マテリアル㈱(旧三菱金属㈱)の精錬所跡に建設し平成13年(2001年)1月に完成したマンションで、平成14年ころより土壌汚染が問題化しました。平成16年11月には宅建業法違反で本社を捜索。平成17年3月には両社並びに両社役職員は宅建業法違反の疑いで書類送検されました。平成17年6月起訴猶予処分になりました。三菱マテリアル㈱西川会長・三菱地所㈱高木社長が引責辞任することで宅建業法違反による営業停止等の処分を免れたと言われています。
入居者(455所帯)に対する補償に関しては、平成17年5月に管理組合と確認書を締結し、①引き続き入居を希望する住民には購入額の25%を支払う。②売却希望者には不動産鑑定業者の示した金額で買取り、さらに別途鑑定価格の10%を補償する。ことになりました。
これによるキャッシュフローへの影響は公表されていませんが、本件支払いは75億円超と報道されていて企業の根幹を揺るがすほどのものではないと考えられます。然し、宅建業法違反で業務停止・営業停止等の処分を受ければ、企業の存続に関わる大問題となったかも知れない事例です。
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(2)雪印乳業 ③ 森永乳業の砒素ミルク事件との対比
平成12年(2000年)の中毒事故の45年前、昭和30年(1955年)3月にも雪印乳業は東京都で学校給食の粉乳の中毒事故を起こしています。その3ヶ月後昭和30年(1955年)5月から8月にかけて森永乳業のドライミルクに砒素が混入し、乳児128名が死亡、12,103名が被害を受けるという事故が発生しました。事故発生後の森永乳業の業績。売上の推移は下記の通リです。
〇損益計算書 (単位億円)
昭和30年度実績
|
昭和31年度実績
|
||
(29.4.1-30.3.31) | (30.4.1-31.3.31) | 前年同期比 | |
売上高 | 91 | 87 | -4 |
売上総利益 (同上率) |
13 (14.3%) |
14 (16.1%) |
1 (1.8%) |
販売費・一般管理費 (同上率) |
8 (8.8%) |
9 (10.3%) |
1 ( 1 。5%) |
営業利益 (同上率) |
5 ( 5.5%) |
5 (5.7%) |
0 (0.2%) |
営業外収支 | ―2 | ―1 | 1 |
税引前当期純利益 (同上率) |
3 (3.3%) |
4 (4.6%) |
1 (1.3%) |
中毒事故損失 | 0 | 6* | -6 |
中毒事故損失 | 0 | ―2 | ―5 |
〇品目別販売実績 (単位 億円)
昭和30年度実績 |
昭和31年度実績
|
|||
( 29.4.1-30.3.31 )
|
(30.4.1-31.3.31)
|
前 年同期比
|
前年度比
|
|
練 乳
|
22
|
24
|
2
|
109.1%
|
份 乳
|
33
|
23
|
―10
|
69.7%
|
バター・チーズ
|
4
|
4
|
0
|
100.0%
|
市 乳
|
29
|
30
|
1
|
103.4%
|
その他
|
3
|
6
|
3
|
200.0%
|
計
|
91
|
87
|
―4
|
95.6%
|
〇主要勘定科目増減
(単位 億円)
31.3.31 現在 30.3.31 対比増減額 |
|
現・預金 | ―3 |
長期借入金 | 未満 |
社 債 | 5 |
資金流出額 | 8 |
ドライミルク(扮乳)でこれだけの事故を起こしたのですから、扮乳の売上は激減するかと思いきや30%くらいしか減っていません。その他の品目の伸びもあって売上は4億円(4.4%)減、当期利益は1億円の増です。中毒事故の損失負担後も2億円の利益を計上しています。現在だったら128名の死者が出たら企業の存続は危殆に瀕していると思います。
当時の補償金は死亡者25万円・患者は一律2万円とされました。その後、後遺症に対する補償がなされています。
未だ「製造物責任法」が制定されていない時代のことです。人命の価値について非常に考えさせられます。こういった時代だったので、昭和30年の雪印乳業の事故の教訓が会社の中に残らなかったとも言えます。
(3)その他の企業の事故とキャッシュフロー悪化の事例
1)チッソの水俣病問題
2011年5月25日(水)のブログでチッソについて書きました。再度その要約です。
水俣病は、チッソ水俣工場の工場廃水に含まれて排出されたメチル水銀化合物が水俣湾内の魚貝類を汚染し、それを摂取した地域住民が発病したものです。昭和48年(1973年)に原因が確定し、その後チッソの水俣病の補償金が急増しました。
昭和48年(1973年)3月期(6ヶ月)チッソの売上高264億円、純利益7億円に対し、水俣病関係費用は66億円が計上されました。昭和53年(1978年)3月末には繰越欠損金は363億円に達し、期末自己資本は △276億円となり,上場廃止になりましたが、熊本県は県債を発行してチッソに補償費用の融資を行っていたので、水俣病の補償遂行のため 会社は存続しなければなりませんでした。)
平成17年(2005年)3月期は、売上高1147億円・経常利益78億円(水俣病補償損失45億円・公害防止事業負担金12億円)、期末繰越損失1509億円、長期借入金1420億円でした。年間売上高を上回る繰越損失、長期借入金(熊本県からの借入金)で、会社は実質死に体状態でした。
平成22年(2011年)3月期は売上2612億円、経常利益220億円、純利益105億円 (水俣病補償46億円)、長短借入金1881億円、純資産合計△807億円と状況は大分改善されて来ました。平成23年(2012年)3月末に分社化し、事業譲渡受会社はJNC㈱(チッソ子会社)、チッソ㈱は持株会社となり、従来同様補償を継続することになりました。原因確定から38年後のことです。
2)マツダの工場火災
平成16年(2004年)12月16日24時45分、主力工場の宇品第1工場から出火、塗装工程など8000平方メートルが焼失しました。
マツダ㈱は平成17年2月5日に平成17年年3月期の損益見通しを発表しました。そのなかで、昨年12月に広島の主力工場で発生した火災による損害は100億円超になると説明しています。 損害の内訳は、①火災で焼けた塗装設備・建物・半製品などの直接被害。②3万台の自動車の生産を取りやめる影響です。これが、キャッシュフローを悪化させます。
3)新潟三洋電子㈱の地震被害
公表されている新潟中越地震(平成16年)の三洋グループの被害です。
新潟三洋電子㈱の工場・機械が受けた直接的な被害額 184億円
在庫被害 46億円
復旧費用 270億円
復旧のための新たな設備投資 3億円
被害額合計 503億円
地震被害に起因した販売の機会損失 370億円
連結損益に与える影響 873億円
〇新潟中越地震が三洋電機のキヤッシュフローに与えた影響は、復旧費用+新たな設備投資+機会損失=643億円 となります。
(機会損失は新潟三洋電子だけでなく、本社、後工程の関係会社、販社分も含む連結べース。)
(4)「大阪アメ二ティパーク」の土壌汚染隠蔽
三菱マテリアル㈱・三菱地所㈱が三菱マテリアル㈱(旧三菱金属㈱)の精錬所跡に建設し平成13年(2001年)1月に完成したマンションで、平成14年ころより土壌汚染が問題化しました。平成16年11月には宅建業法違反で本社を捜索。平成17年3月には両社並びに両社役職員は宅建業法違反の疑いで書類送検されました。平成17年6月起訴猶予処分になりました。三菱マテリアル㈱西川会長・三菱地所㈱高木社長が引責辞任することで宅建業法違反による営業停止等の処分を免れたと言われています。
入居者(455所帯)に対する補償に関しては、平成17年5月に管理組合と確認書を締結し、①引き続き入居を希望する住民には購入額の25%を支払う。②売却希望者には不動産鑑定業者の示した金額で買取り、さらに別途鑑定価格の10%を補償する。ことになりました。
これによるキャッシュフローへの影響は公表されていませんが、本件支払いは75億円超と報道されていて企業の根幹を揺るがすほどのものではないと考えられます。然し、宅建業法違反で業務停止・営業停止等の処分を受ければ、企業の存続に関わる大問題となったかも知れない事例です。
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「リスクとキャッシュフロー」について ⑰
2014年2月1日土曜日 | ラベル: キャッシュフロー, リスクマネジメント, 企業経営 |
8.事故とキャッシュフロー悪化の事例
(2)雪印乳業 ②
1)事故発生前の業績とキャッシュフロー
雪印乳業では、2000年(平成12年)6月27日以降中毒事故が発生しました。
雪印乳業は乳業界のトップメーカーとして、事故発前は第1表のように年間5.500億円前後の売上で、経常利益も100億円以上を挙げていました。
(第1表) 雪印乳業 業績 (単位 億円)
第2表は雪印乳業のキャッシュフロー計算書の要約です。黒字の会社ですから、営業活動によるキャッシュフローは毎期150億円以上のプラスになっています。然し、当時の社長は新規事業の開拓に熱心だったので、投資活動によるキヤッシュフローの金額を差し引くと、フリーキャッシュフロー(事業活動の結果生み出されたお金)は毎期100億円程度のマイナスになっていました。フリーキヤッシュフローのマイナス(資金の不足)を社債の発行で補っていました。
(第2表) 雪印乳業 キヤッシュフロー実績 (単位 億円)
* 社債発行200億円を含む。
雪印乳業の期末の資金残高(現・預金+一時保有の有価証券)は事故の直前の期末では月商の0.3ヶ月分に過ぎませんでした。手元資金残高は過小です。
(第3表) 雪印 資金残高推移 (単位 億円)
事故が発生した時、月商の僅か0.3ヶ月分117億円程度の手元資金は直ちに枯渇し資金繰りは破綻する恐れがありました。雪印乳業は事故・災害発生時におけるキヤッシュフローの対応力は充分では無かったと言えます。
経験則ですが、手許資金残高は月商の1ヶ月分くらいはあった方が良いと言われています。この考えは,「リスク発生直後1ヶ月くらいを手元資金で事業を繰り回せなければ、事故の対策を講ずる暇もない。」と言う企業の財務担当者の実感に基づくものです。例えば
2003年3月期のソニー㈱の有価証券報告書の「流動性マネジメント」の項には「ソニー
は流動性確保のために、グループ全体で年度における平均月次売上高および予想される最大借入債務返済額合計の100%以上に相当する手元流動性を維持することを基本方針としています。」と記載されていました。(その後のソニー㈱の業績・キャッシュフローの悪化により現在は記載されていません。)
また、第4表に明らかなように雪印乳業の中毒事故発生直前の期末の長短借入金44億円に対して、預金残高は117億円でしたから、世間からは雪印乳業は「無借金の優良会社」だと言われていました。社債も外部負債ですから、私は無借金といえないと思いますが、世間の評価は「無借金」でした。雪印乳業自体も、取引金融機関も事故の発生によって、同社の資金繰りが危殆に瀕することがあるとは考えてもいなかったと思われます。
(第4表) 雪印乳業 有利子負債残高推移 (単位 億円)
中毒事故発生の翌月7月18日の新聞に「雪印乳業は当座の運転資金として金融機関から300億円を借り入れる」と報じられました。すなわち僅か半月で手許資金は無くなり、金融機関から借り入れをしなければ雪印乳業の資金繰りは破綻する状態になったわけです。
雪印乳業の製品は約70%がスーパー、コンビニで販売されていました。社長が「自分も寝ていないんだ」とテレビに向かって話すなど対応に不十分なところが多々ありましたので、消費者がスーパー、コンビニに「あんな会社の製品を売るとは怪しからん」と電話をかけてくると、スーパー、コンビニは雪印乳業の製品を一斉に売場から撤去しました。その結果、事故の翌月から雪印乳業の売上げは1/3に激減しました。
牛乳で食中毒が起こったのですから、牛乳が売り場から撤去されるのは仕方ありませんが、主力のバター・チーズまで雪印乳業の全製品が売り場から撤去されてしまいました。一般大衆向けの商品をスーパー、コンビニのマーケットで売っている場合の事故によるマーケットのリスクは極めて大きいことがわかります。
事故発生9ヶ月後の決算では第6表の通り、売上高は前年度売上高5,440億円の3分の2の3,616億円に激減し、資金不足は955億円の巨額に達しました。中毒事故の処理費用302億円に対し、売上の減少による損益の悪化を原因とするキヤッシュフローの悪化額は643億円と事故処理費用の2倍以上に達しています。(第7表)後者の金額が事故
処理費用を大きく上回っている点に注意して下さい。
雪印乳業は不足資金を、手元現・現金減127億円、有価証券売却106億円の他は、殆どを金融機関からの借入671億円で賄いました。
(第6表)雪印乳業損益計算書 (単位億円)
* 中毒関係特別損失 たな卸資産除却損 113億円
補償金他 189億円
計 302億円
(第7表)雪印乳業主要勘定科目増減 (単位 億円)
雪印乳業のメインバンクは都市銀行ではありませんでした。雪印乳業の起源は北海道の酪農農家の組合であり、組合設立当初から関係の深かった農林中央金庫にとって雪印乳業は古い大切な顧客でした。また、雪印乳業の興廃は北海道の酪農業者に大きな影響を与えるものと考えられ、当時役員も派遣していたメインバンクの農林中央金庫にとって、雪印乳業を支援しないと言う選択肢は殆ど無かったものと考えられます。
然し、当面の運転資金の貸出しが報道された7月18日ころの貸出決定は、7月6日に社長が辞意を表明して経営者不在、再建策の行方も見えず、不足資金の総額も、ましてや返済の目処も全く立っていない時期の決断です。極言すれば殆ど何も検討出来ない状態での融資決定だったと言わざるを得ません。また、一度救済融資に踏み切れば、中途で止めれば即倒産ですから最後まで融資を継続しなければなりません。
メインバンクの支援方針の決定を受けて取引各銀行も応分の支援を行ったので、雪印乳業の当面の資金繰りは無事解決しました。このような背景でリスクファイナンスが可能となった雪印乳業は非常に恵まれていたと言うべきです。ところが、雪印乳業はその後、国内産牛肉の廃棄処理に輸入牛肉を混入した子会社が解散のやむなきに至り、その子会社の債務超過は198億円に達しました。この結果雪印乳業も債務超過に陥り、上場廃止の危機に陥りました。
メインバンクは、最初の事故発生から僅か2年9ヶ月後の2003年(平成15年)3月に300億円の債務免除を行いました。実質2度目の破綻です。メインバンクは都市銀行ではなかったので債務免除を行えましたが、サブメインの都市銀行は債務免除ではなく、債務の株式化200億円を引受けました。更に減資・増資を行って債務超過を解消し雪印乳業は上場を継続しました。実質無借金の状態から急速に貸出しを行い、僅か2年9ヶ月で債務免除をしたわけですから、若しメインバンクが都市銀行だったら株主代表訴訟が提起されたかも知れなかった事態です。
それでは、メインバンクが翌月に運転資金の支援を決定したのは誤りだったのでしょうか。これは大変難しい問題です。前回書きましたように、世の中→投資家は雪印乳業が資金繰りで行詰まるとは毛頭考えていませんでした。事故後7月7日の新聞記事でも「財務体質は極めて強固だ。借入金は42億円で、豊富な手元資金を考えると実質無借金」と記述されています。7月18日、に「雪印乳業は当座の運転資金として金融機関か300億円を借り入れることになった」と報じた新聞にも「借入金を300億円増やしても優良な財務体質がすぐに崩れる心配は無い。(中略)しかし事件の処理が長引いて販売再開が遅れれば収益への影響は大きくなり、財務体質が悪化されることも懸念される」と解説しています。雪印乳業の当面の資金繰りに対する懸念は全く感じられません。世の中は、バランスシートの静的な財務体質や収益ばかりを見ています。自己資本の金額が如何に大きくとも、手元に現・預金がどれだけあるかが重要です。新聞の経済面も暗黙のうちにメインバンクの資金支援を当然のことと考えていたのだと思われます。
メインバンクと雪印乳業との長い親密な取引関係からすれば、支援は当然であったとして、それで良かったのかについては、グループ関係会社を含めた貸出後の管理をもっともっと厳にすべきであったと考えます。当時は新会社法制定前で、グループ関係会社に関する内部統制の規定は明文化されていませんでした。(注1)
経営陣は雪印乳業本体に関しては内部管理体制・コンプライアンス等に関して十分な努力をされていたことと推察しますが、関係会社には浸透していなかったのではないか。特にコンプライアンスに関しては徹底が不十分であったといわざるを得ません。
本件は事故・災害時における救済融資のリスクの大きさ、難しさを示しています。2003年(平成15年)3月ころはまだ不良債権償却の話題が多く、300億円程度の債務免除は当時としては巨額と言う印象は無く、あまり話題になりませんでしたが、事故・災害発生時のメインバンクの救済融資のあり方に関して、極めてシリアスな問題を提起した事例だと言えます。
(注1)(会社法施行規則)第100条
法第362条第4項第六号に規定する法務省令で定める体制は次の体制とする。
五.当該株式会社並びにその親会社及び子会社から成る企業集団における業務の適正を確保するための体制
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(2)雪印乳業 ②
1)事故発生前の業績とキャッシュフロー
雪印乳業では、2000年(平成12年)6月27日以降中毒事故が発生しました。
雪印乳業は乳業界のトップメーカーとして、事故発前は第1表のように年間5.500億円前後の売上で、経常利益も100億円以上を挙げていました。
(第1表) 雪印乳業 業績 (単位 億円)
第4 8 期実績 ( 9.4.1 〜 10.3.31 ) |
第49期実績 ( 10.4.1 〜 11.3.31 ) |
|
売上高 | 5,601 | 5,431 |
売上聡利益 ( 同上率 ) |
1 , 748 ( 31.3 %) |
1 , 696 ( 31.2 %) |
販売費・一般管理費 ( 同上率 ) |
1 , 653 ( 29.5 %) |
1 , 590 ( 29.3 %) |
営業利益 ( 同上率 ) |
95 ( 1.7 %) |
106 ( 2.0 %) |
経常利益 ( 同上率 ) |
109 ( 1.9 %) |
116 ( 2.1 %) |
第2表は雪印乳業のキャッシュフロー計算書の要約です。黒字の会社ですから、営業活動によるキャッシュフローは毎期150億円以上のプラスになっています。然し、当時の社長は新規事業の開拓に熱心だったので、投資活動によるキヤッシュフローの金額を差し引くと、フリーキャッシュフロー(事業活動の結果生み出されたお金)は毎期100億円程度のマイナスになっていました。フリーキヤッシュフローのマイナス(資金の不足)を社債の発行で補っていました。
(第2表) 雪印乳業 キヤッシュフロー実績 (単位 億円)
科 目 | 平成 9 年度 | 平成 10 年度 |
営 業 収 入 | 5,549 | 5,390 |
営 業 支 出 | 5,388 | 5,153 |
収 支 尻 | 211 | 237 |
営業外収支・決算支出 | 61 | 58 |
営業活動によるキヤッシュフロー | 150 | 179 |
投資活動によるキヤッシュフロー | 269 | 286 |
事業のキヤシュフロー | △119 | △107 |
財務活動によるキヤッシュフロー | *46 | △8 |
当期総合キヤッシュフロー | △73 | △115 |
雪印乳業の期末の資金残高(現・預金+一時保有の有価証券)は事故の直前の期末では月商の0.3ヶ月分に過ぎませんでした。手元資金残高は過小です。
(第3表) 雪印 資金残高推移 (単位 億円)
10.3.31 | 11.3.31 | |
現金・預金 | 232 | 117 |
一時所有の有価証券 | 6 | 6 |
期末資金残高 計 (平均月商比) |
238 ( 0.5 ヶ月) |
123 ( 0.3 ヶ月 ) |
事故が発生した時、月商の僅か0.3ヶ月分117億円程度の手元資金は直ちに枯渇し資金繰りは破綻する恐れがありました。雪印乳業は事故・災害発生時におけるキヤッシュフローの対応力は充分では無かったと言えます。
経験則ですが、手許資金残高は月商の1ヶ月分くらいはあった方が良いと言われています。この考えは,「リスク発生直後1ヶ月くらいを手元資金で事業を繰り回せなければ、事故の対策を講ずる暇もない。」と言う企業の財務担当者の実感に基づくものです。例えば
2003年3月期のソニー㈱の有価証券報告書の「流動性マネジメント」の項には「ソニー
は流動性確保のために、グループ全体で年度における平均月次売上高および予想される最大借入債務返済額合計の100%以上に相当する手元流動性を維持することを基本方針としています。」と記載されていました。(その後のソニー㈱の業績・キャッシュフローの悪化により現在は記載されていません。)
また、第4表に明らかなように雪印乳業の中毒事故発生直前の期末の長短借入金44億円に対して、預金残高は117億円でしたから、世間からは雪印乳業は「無借金の優良会社」だと言われていました。社債も外部負債ですから、私は無借金といえないと思いますが、世間の評価は「無借金」でした。雪印乳業自体も、取引金融機関も事故の発生によって、同社の資金繰りが危殆に瀕することがあるとは考えてもいなかったと思われます。
(第4表) 雪印乳業 有利子負債残高推移 (単位 億円)
H. 10.3.31 | H. 11.3.31 | |
短期借入金 | 35 | 34 |
社債・転換社債 | 608 | 600 |
長期借入金 | 11 | 10 |
計 | 652 | 644 |
中毒事故発生の翌月7月18日の新聞に「雪印乳業は当座の運転資金として金融機関から300億円を借り入れる」と報じられました。すなわち僅か半月で手許資金は無くなり、金融機関から借り入れをしなければ雪印乳業の資金繰りは破綻する状態になったわけです。
雪印乳業の製品は約70%がスーパー、コンビニで販売されていました。社長が「自分も寝ていないんだ」とテレビに向かって話すなど対応に不十分なところが多々ありましたので、消費者がスーパー、コンビニに「あんな会社の製品を売るとは怪しからん」と電話をかけてくると、スーパー、コンビニは雪印乳業の製品を一斉に売場から撤去しました。その結果、事故の翌月から雪印乳業の売上げは1/3に激減しました。
牛乳で食中毒が起こったのですから、牛乳が売り場から撤去されるのは仕方ありませんが、主力のバター・チーズまで雪印乳業の全製品が売り場から撤去されてしまいました。一般大衆向けの商品をスーパー、コンビニのマーケットで売っている場合の事故によるマーケットのリスクは極めて大きいことがわかります。
事故発生9ヶ月後の決算では第6表の通り、売上高は前年度売上高5,440億円の3分の2の3,616億円に激減し、資金不足は955億円の巨額に達しました。中毒事故の処理費用302億円に対し、売上の減少による損益の悪化を原因とするキヤッシュフローの悪化額は643億円と事故処理費用の2倍以上に達しています。(第7表)後者の金額が事故
処理費用を大きく上回っている点に注意して下さい。
雪印乳業は不足資金を、手元現・現金減127億円、有価証券売却106億円の他は、殆どを金融機関からの借入671億円で賄いました。
(第6表)雪印乳業損益計算書 (単位億円)
第 50 期実績 | 第 51 期実績 | |||
(11.4.1 - 12.3.31) | (12.4.1 - 13.3.31) | 前年同期比 | 前年度比 | |
売上高 | 5.440 | 3.616 | -1,824 | 66.5% |
売上総利益 (同上率) |
1,788 ( 32.9 %) |
1,036 ( 28.7 %) |
-752 ( -4.2 %) |
58.0% |
販売費・一般管理費 (同上率) |
1,676 ( 30.8 %) |
1,596 ( 44.1 %) |
-80 ( 13.3 %) |
― |
営業利益 (同上率) |
112 ( 2.1 %) |
-560 ( -15.5 %) |
-672 ( -17.5 %) |
- |
経常利益 (同上率) |
122 ( 2.2 %) |
-587 ( -16.2 %) |
-709 ( -18.4 %) |
- |
特別利益 特別損失 |
21 530 |
396 *427 |
375 103 |
ー - |
税引前当期純利益又は純損失 (同上率) |
-387 ( -7.1 %) |
-618 ( -17.1 %) |
-231 ( -10.0 %) |
- |
* 中毒関係特別損失 たな卸資産除却損 113億円
補償金他 189億円
計 302億円
(第7表)雪印乳業主要勘定科目増減 (単位 億円)
第 50 期末 | 第 51 期 期末 | ||
12.3.31 | 13:3:31 | 前年同日比 | |
現金・預金 ( 平均月商比 ) |
144 ( 0.3 ヶ月) |
17 (0.06 ヶ月 ) |
-127 |
投資有価証券 | 188 | 82 | -106 |
短期借入金 | 36 | 707 | 671 |
社 債 | 600 | 650 | 50 |
長期借入金 | 6 | 7 | 1 |
〇資金不足額 現金・預金減127+投資有価証券減106+短期借入金増671
+社債増50+長期借入金増1=955億円
(事故前月商の2.1ヶ月分)
+社債増50+長期借入金増1=955億円
(事故前月商の2.1ヶ月分)
雪印乳業のメインバンクは都市銀行ではありませんでした。雪印乳業の起源は北海道の酪農農家の組合であり、組合設立当初から関係の深かった農林中央金庫にとって雪印乳業は古い大切な顧客でした。また、雪印乳業の興廃は北海道の酪農業者に大きな影響を与えるものと考えられ、当時役員も派遣していたメインバンクの農林中央金庫にとって、雪印乳業を支援しないと言う選択肢は殆ど無かったものと考えられます。
然し、当面の運転資金の貸出しが報道された7月18日ころの貸出決定は、7月6日に社長が辞意を表明して経営者不在、再建策の行方も見えず、不足資金の総額も、ましてや返済の目処も全く立っていない時期の決断です。極言すれば殆ど何も検討出来ない状態での融資決定だったと言わざるを得ません。また、一度救済融資に踏み切れば、中途で止めれば即倒産ですから最後まで融資を継続しなければなりません。
メインバンクの支援方針の決定を受けて取引各銀行も応分の支援を行ったので、雪印乳業の当面の資金繰りは無事解決しました。このような背景でリスクファイナンスが可能となった雪印乳業は非常に恵まれていたと言うべきです。ところが、雪印乳業はその後、国内産牛肉の廃棄処理に輸入牛肉を混入した子会社が解散のやむなきに至り、その子会社の債務超過は198億円に達しました。この結果雪印乳業も債務超過に陥り、上場廃止の危機に陥りました。
メインバンクは、最初の事故発生から僅か2年9ヶ月後の2003年(平成15年)3月に300億円の債務免除を行いました。実質2度目の破綻です。メインバンクは都市銀行ではなかったので債務免除を行えましたが、サブメインの都市銀行は債務免除ではなく、債務の株式化200億円を引受けました。更に減資・増資を行って債務超過を解消し雪印乳業は上場を継続しました。実質無借金の状態から急速に貸出しを行い、僅か2年9ヶ月で債務免除をしたわけですから、若しメインバンクが都市銀行だったら株主代表訴訟が提起されたかも知れなかった事態です。
それでは、メインバンクが翌月に運転資金の支援を決定したのは誤りだったのでしょうか。これは大変難しい問題です。前回書きましたように、世の中→投資家は雪印乳業が資金繰りで行詰まるとは毛頭考えていませんでした。事故後7月7日の新聞記事でも「財務体質は極めて強固だ。借入金は42億円で、豊富な手元資金を考えると実質無借金」と記述されています。7月18日、に「雪印乳業は当座の運転資金として金融機関か300億円を借り入れることになった」と報じた新聞にも「借入金を300億円増やしても優良な財務体質がすぐに崩れる心配は無い。(中略)しかし事件の処理が長引いて販売再開が遅れれば収益への影響は大きくなり、財務体質が悪化されることも懸念される」と解説しています。雪印乳業の当面の資金繰りに対する懸念は全く感じられません。世の中は、バランスシートの静的な財務体質や収益ばかりを見ています。自己資本の金額が如何に大きくとも、手元に現・預金がどれだけあるかが重要です。新聞の経済面も暗黙のうちにメインバンクの資金支援を当然のことと考えていたのだと思われます。
メインバンクと雪印乳業との長い親密な取引関係からすれば、支援は当然であったとして、それで良かったのかについては、グループ関係会社を含めた貸出後の管理をもっともっと厳にすべきであったと考えます。当時は新会社法制定前で、グループ関係会社に関する内部統制の規定は明文化されていませんでした。(注1)
経営陣は雪印乳業本体に関しては内部管理体制・コンプライアンス等に関して十分な努力をされていたことと推察しますが、関係会社には浸透していなかったのではないか。特にコンプライアンスに関しては徹底が不十分であったといわざるを得ません。
本件は事故・災害時における救済融資のリスクの大きさ、難しさを示しています。2003年(平成15年)3月ころはまだ不良債権償却の話題が多く、300億円程度の債務免除は当時としては巨額と言う印象は無く、あまり話題になりませんでしたが、事故・災害発生時のメインバンクの救済融資のあり方に関して、極めてシリアスな問題を提起した事例だと言えます。
(注1)(会社法施行規則)第100条
法第362条第4項第六号に規定する法務省令で定める体制は次の体制とする。
五.当該株式会社並びにその親会社及び子会社から成る企業集団における業務の適正を確保するための体制
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