(2)雪印乳業 ②
1)事故発生前の業績とキャッシュフロー
雪印乳業では、2000年(平成12年)6月27日以降中毒事故が発生しました。
雪印乳業は乳業界のトップメーカーとして、事故発前は第1表のように年間5.500億円前後の売上で、経常利益も100億円以上を挙げていました。
(第1表) 雪印乳業 業績 (単位 億円)
第4 8 期実績 ( 9.4.1 〜 10.3.31 ) |
第49期実績 ( 10.4.1 〜 11.3.31 ) |
|
売上高 | 5,601 | 5,431 |
売上聡利益 ( 同上率 ) |
1 , 748 ( 31.3 %) |
1 , 696 ( 31.2 %) |
販売費・一般管理費 ( 同上率 ) |
1 , 653 ( 29.5 %) |
1 , 590 ( 29.3 %) |
営業利益 ( 同上率 ) |
95 ( 1.7 %) |
106 ( 2.0 %) |
経常利益 ( 同上率 ) |
109 ( 1.9 %) |
116 ( 2.1 %) |
第2表は雪印乳業のキャッシュフロー計算書の要約です。黒字の会社ですから、営業活動によるキャッシュフローは毎期150億円以上のプラスになっています。然し、当時の社長は新規事業の開拓に熱心だったので、投資活動によるキヤッシュフローの金額を差し引くと、フリーキャッシュフロー(事業活動の結果生み出されたお金)は毎期100億円程度のマイナスになっていました。フリーキヤッシュフローのマイナス(資金の不足)を社債の発行で補っていました。
(第2表) 雪印乳業 キヤッシュフロー実績 (単位 億円)
科 目 | 平成 9 年度 | 平成 10 年度 |
営 業 収 入 | 5,549 | 5,390 |
営 業 支 出 | 5,388 | 5,153 |
収 支 尻 | 211 | 237 |
営業外収支・決算支出 | 61 | 58 |
営業活動によるキヤッシュフロー | 150 | 179 |
投資活動によるキヤッシュフロー | 269 | 286 |
事業のキヤシュフロー | △119 | △107 |
財務活動によるキヤッシュフロー | *46 | △8 |
当期総合キヤッシュフロー | △73 | △115 |
雪印乳業の期末の資金残高(現・預金+一時保有の有価証券)は事故の直前の期末では月商の0.3ヶ月分に過ぎませんでした。手元資金残高は過小です。
(第3表) 雪印 資金残高推移 (単位 億円)
10.3.31 | 11.3.31 | |
現金・預金 | 232 | 117 |
一時所有の有価証券 | 6 | 6 |
期末資金残高 計 (平均月商比) |
238 ( 0.5 ヶ月) |
123 ( 0.3 ヶ月 ) |
事故が発生した時、月商の僅か0.3ヶ月分117億円程度の手元資金は直ちに枯渇し資金繰りは破綻する恐れがありました。雪印乳業は事故・災害発生時におけるキヤッシュフローの対応力は充分では無かったと言えます。
経験則ですが、手許資金残高は月商の1ヶ月分くらいはあった方が良いと言われています。この考えは,「リスク発生直後1ヶ月くらいを手元資金で事業を繰り回せなければ、事故の対策を講ずる暇もない。」と言う企業の財務担当者の実感に基づくものです。例えば
2003年3月期のソニー㈱の有価証券報告書の「流動性マネジメント」の項には「ソニー
は流動性確保のために、グループ全体で年度における平均月次売上高および予想される最大借入債務返済額合計の100%以上に相当する手元流動性を維持することを基本方針としています。」と記載されていました。(その後のソニー㈱の業績・キャッシュフローの悪化により現在は記載されていません。)
また、第4表に明らかなように雪印乳業の中毒事故発生直前の期末の長短借入金44億円に対して、預金残高は117億円でしたから、世間からは雪印乳業は「無借金の優良会社」だと言われていました。社債も外部負債ですから、私は無借金といえないと思いますが、世間の評価は「無借金」でした。雪印乳業自体も、取引金融機関も事故の発生によって、同社の資金繰りが危殆に瀕することがあるとは考えてもいなかったと思われます。
(第4表) 雪印乳業 有利子負債残高推移 (単位 億円)
H. 10.3.31 | H. 11.3.31 | |
短期借入金 | 35 | 34 |
社債・転換社債 | 608 | 600 |
長期借入金 | 11 | 10 |
計 | 652 | 644 |
中毒事故発生の翌月7月18日の新聞に「雪印乳業は当座の運転資金として金融機関から300億円を借り入れる」と報じられました。すなわち僅か半月で手許資金は無くなり、金融機関から借り入れをしなければ雪印乳業の資金繰りは破綻する状態になったわけです。
雪印乳業の製品は約70%がスーパー、コンビニで販売されていました。社長が「自分も寝ていないんだ」とテレビに向かって話すなど対応に不十分なところが多々ありましたので、消費者がスーパー、コンビニに「あんな会社の製品を売るとは怪しからん」と電話をかけてくると、スーパー、コンビニは雪印乳業の製品を一斉に売場から撤去しました。その結果、事故の翌月から雪印乳業の売上げは1/3に激減しました。
牛乳で食中毒が起こったのですから、牛乳が売り場から撤去されるのは仕方ありませんが、主力のバター・チーズまで雪印乳業の全製品が売り場から撤去されてしまいました。一般大衆向けの商品をスーパー、コンビニのマーケットで売っている場合の事故によるマーケットのリスクは極めて大きいことがわかります。
事故発生9ヶ月後の決算では第6表の通り、売上高は前年度売上高5,440億円の3分の2の3,616億円に激減し、資金不足は955億円の巨額に達しました。中毒事故の処理費用302億円に対し、売上の減少による損益の悪化を原因とするキヤッシュフローの悪化額は643億円と事故処理費用の2倍以上に達しています。(第7表)後者の金額が事故
処理費用を大きく上回っている点に注意して下さい。
雪印乳業は不足資金を、手元現・現金減127億円、有価証券売却106億円の他は、殆どを金融機関からの借入671億円で賄いました。
(第6表)雪印乳業損益計算書 (単位億円)
第 50 期実績 | 第 51 期実績 | |||
(11.4.1 - 12.3.31) | (12.4.1 - 13.3.31) | 前年同期比 | 前年度比 | |
売上高 | 5.440 | 3.616 | -1,824 | 66.5% |
売上総利益 (同上率) |
1,788 ( 32.9 %) |
1,036 ( 28.7 %) |
-752 ( -4.2 %) |
58.0% |
販売費・一般管理費 (同上率) |
1,676 ( 30.8 %) |
1,596 ( 44.1 %) |
-80 ( 13.3 %) |
― |
営業利益 (同上率) |
112 ( 2.1 %) |
-560 ( -15.5 %) |
-672 ( -17.5 %) |
- |
経常利益 (同上率) |
122 ( 2.2 %) |
-587 ( -16.2 %) |
-709 ( -18.4 %) |
- |
特別利益 特別損失 |
21 530 |
396 *427 |
375 103 |
ー - |
税引前当期純利益又は純損失 (同上率) |
-387 ( -7.1 %) |
-618 ( -17.1 %) |
-231 ( -10.0 %) |
- |
* 中毒関係特別損失 たな卸資産除却損 113億円
補償金他 189億円
計 302億円
(第7表)雪印乳業主要勘定科目増減 (単位 億円)
第 50 期末 | 第 51 期 期末 | ||
12.3.31 | 13:3:31 | 前年同日比 | |
現金・預金 ( 平均月商比 ) |
144 ( 0.3 ヶ月) |
17 (0.06 ヶ月 ) |
-127 |
投資有価証券 | 188 | 82 | -106 |
短期借入金 | 36 | 707 | 671 |
社 債 | 600 | 650 | 50 |
長期借入金 | 6 | 7 | 1 |
〇資金不足額 現金・預金減127+投資有価証券減106+短期借入金増671
+社債増50+長期借入金増1=955億円
(事故前月商の2.1ヶ月分)
+社債増50+長期借入金増1=955億円
(事故前月商の2.1ヶ月分)
雪印乳業のメインバンクは都市銀行ではありませんでした。雪印乳業の起源は北海道の酪農農家の組合であり、組合設立当初から関係の深かった農林中央金庫にとって雪印乳業は古い大切な顧客でした。また、雪印乳業の興廃は北海道の酪農業者に大きな影響を与えるものと考えられ、当時役員も派遣していたメインバンクの農林中央金庫にとって、雪印乳業を支援しないと言う選択肢は殆ど無かったものと考えられます。
然し、当面の運転資金の貸出しが報道された7月18日ころの貸出決定は、7月6日に社長が辞意を表明して経営者不在、再建策の行方も見えず、不足資金の総額も、ましてや返済の目処も全く立っていない時期の決断です。極言すれば殆ど何も検討出来ない状態での融資決定だったと言わざるを得ません。また、一度救済融資に踏み切れば、中途で止めれば即倒産ですから最後まで融資を継続しなければなりません。
メインバンクの支援方針の決定を受けて取引各銀行も応分の支援を行ったので、雪印乳業の当面の資金繰りは無事解決しました。このような背景でリスクファイナンスが可能となった雪印乳業は非常に恵まれていたと言うべきです。ところが、雪印乳業はその後、国内産牛肉の廃棄処理に輸入牛肉を混入した子会社が解散のやむなきに至り、その子会社の債務超過は198億円に達しました。この結果雪印乳業も債務超過に陥り、上場廃止の危機に陥りました。
メインバンクは、最初の事故発生から僅か2年9ヶ月後の2003年(平成15年)3月に300億円の債務免除を行いました。実質2度目の破綻です。メインバンクは都市銀行ではなかったので債務免除を行えましたが、サブメインの都市銀行は債務免除ではなく、債務の株式化200億円を引受けました。更に減資・増資を行って債務超過を解消し雪印乳業は上場を継続しました。実質無借金の状態から急速に貸出しを行い、僅か2年9ヶ月で債務免除をしたわけですから、若しメインバンクが都市銀行だったら株主代表訴訟が提起されたかも知れなかった事態です。
それでは、メインバンクが翌月に運転資金の支援を決定したのは誤りだったのでしょうか。これは大変難しい問題です。前回書きましたように、世の中→投資家は雪印乳業が資金繰りで行詰まるとは毛頭考えていませんでした。事故後7月7日の新聞記事でも「財務体質は極めて強固だ。借入金は42億円で、豊富な手元資金を考えると実質無借金」と記述されています。7月18日、に「雪印乳業は当座の運転資金として金融機関か300億円を借り入れることになった」と報じた新聞にも「借入金を300億円増やしても優良な財務体質がすぐに崩れる心配は無い。(中略)しかし事件の処理が長引いて販売再開が遅れれば収益への影響は大きくなり、財務体質が悪化されることも懸念される」と解説しています。雪印乳業の当面の資金繰りに対する懸念は全く感じられません。世の中は、バランスシートの静的な財務体質や収益ばかりを見ています。自己資本の金額が如何に大きくとも、手元に現・預金がどれだけあるかが重要です。新聞の経済面も暗黙のうちにメインバンクの資金支援を当然のことと考えていたのだと思われます。
メインバンクと雪印乳業との長い親密な取引関係からすれば、支援は当然であったとして、それで良かったのかについては、グループ関係会社を含めた貸出後の管理をもっともっと厳にすべきであったと考えます。当時は新会社法制定前で、グループ関係会社に関する内部統制の規定は明文化されていませんでした。(注1)
経営陣は雪印乳業本体に関しては内部管理体制・コンプライアンス等に関して十分な努力をされていたことと推察しますが、関係会社には浸透していなかったのではないか。特にコンプライアンスに関しては徹底が不十分であったといわざるを得ません。
本件は事故・災害時における救済融資のリスクの大きさ、難しさを示しています。2003年(平成15年)3月ころはまだ不良債権償却の話題が多く、300億円程度の債務免除は当時としては巨額と言う印象は無く、あまり話題になりませんでしたが、事故・災害発生時のメインバンクの救済融資のあり方に関して、極めてシリアスな問題を提起した事例だと言えます。
(注1)(会社法施行規則)第100条
法第362条第4項第六号に規定する法務省令で定める体制は次の体制とする。
五.当該株式会社並びにその親会社及び子会社から成る企業集団における業務の適正を確保するための体制