QC(品質管理)とリスクマネジメント② 〜 リスクマネジメントの実務における経営的視点の欠如 〜

2012年7月20日金曜日 | ラベル: |

私は1961年に生産性本部の中小企業コンサルタント指導者養成講座に1年間参加し,石川馨教授の「SQC(統計的品質管理)」の講義を受講しました。その経験から、1年前の7月1日の記事で「QC(品質管理)とリスクマネジメント」について書きました。
 「QC(品質管理)とリスクマネジメント」、特に「リスクマネジメントの実務における経営的視点の欠如」について「QC(品質管理)の普及のプロセス」と比較して再度考えてみたいと思います。

 2009年に中小企業庁のBCP普及セミナーで高知市へ出張しました。
○早春の桂浜です。

 
○桂浜の小高い丘の上には阪本龍馬の銅像がそそり立っています。



○QC(品質管理)とリスクマネジメント 
          〜リスクマネジメントの実務における経営的視点の欠如〜

 東日本大震災の東京電力福島原子力発電所における事故、みずほ銀行のシステム障害に関する報告書を読みますと、「原子力の災害対応に当たる関係機関や関係者、原子力発電所の管理・運営に当たる人々の間で、全体像を俯瞰する視点が希薄であったことは否めない」と書かれています。また、みずほ銀行のシステム障害特別調査委員会の報告書でも「一連の障害を通じて、システム全体を俯瞰でき、かつ、多重障害の陣頭指揮を執り得るマネジメントの人材も不足していた」ことが指摘しされています。何れのケースでも「事故や災害発生時に企業全体を見ている人がいなかった」ということだと思います。「木を見て森を見ず」といいますが、部分・部分の対応ばかりに追われて、企業全体としていかに対応するかが疎かになっていたと指摘されています。
 私は、リスクマネジメント・BCMの実務において、企業全体を見るという視点が欠如しているのではないかと思います。私はこれを「経営的視点の欠如」と言いたいのです。
 経営者は、リスクマネジメントの技術的な部分は担当部門が保有するとしても、経営に重大な影響を及ぼすリスクをトータルに認識し評価出来るかが問題です。さらに、ERMの土台をなす、「従来型のリスクマネジメント」が確実に実行されていることを認識・評価出来ていなければなりません。
 経営者に危機意識があれば経営者自らがリーダーシップを取って対処することになる筈です。後述する戦後の,品質管理導入時の精神に立ち帰ることが必要です。当時はQCは経営の問題であるという自覚がありました。
 また、リスクマネジメントでは、中心となって推進する団体、リーダーがありません。QC導入時には,財団法人日本科学技術連盟(会長は初代経済団体連合会会長石川一郎氏)が中心になって推進されました。今は企業はバラバラにリスクマネジメントを推進し、コンサルタントの業務は個々のリスク対応の技術的部分が中心で、経営問題としての対応は少ないように思われます。
 学問の世界で見ても,コーポレート・ガバナンス論,監査論(外部、内部、監査役),リスクマネジメント論など専門分野が多岐に亙るので,内部統制,リスクマネジメントを企業に導入するについて指導的な役割を果す経営学者の存在も見つかりません。      
 
 昨年7月1日の記事でも触れていますが、財団法人日本科学技術連盟創立50年史の記述によれば、「我が国が第二次世界大戦に敗北した翌年の1946年11月に,連合郡最高司令部(GHQ)の担当者が統計的品質管理の導入を勧告した。」とされています。
 QC(品質管理)導入の中心人物だった東京大学石川馨教授らは、当初からわが国に適したQC手法の確立という思想を持っておられました。品質管理の普及活動は経営層・管理層・現場の3本立てで行われ、現場のQCサークル活動は“カイゼン”の名のもとに海外でも取り入れられました。
 統計的品質管理の本質を経営者が理解するのは容易でした。なぜならば、品質管理は主として製造部門の問題であって,理論は単純であり,製造担当役員を頂点とする製造部門が推進すればよく、縦割りの日本企業においては,きわめてやり易いことであったと思います。
 しかし、QC普及の当事者の自覚と努力により、生産部門の管理手法であった統計的品質管理は,我が国で独自の発展を遂げ,経営管理手法としての総合的品質管理(Total Quality control :TQC) へと発展して行き、その後のわが国の経済発展に大きく寄与しました。
 前記石川馨教授の弟さんである石川六郎氏が1978年2月に鹿島建設の社長に就任された際、「大企業病がはびこっている社内の精神作興を計るためにTQCを導入した。」と日本経済新聞の私の履歴書に書いておられます。
 管理手法は、経営の根幹をなすものであって、個々のテクニックの問題では無いと言うことを、QC導入当時の学者や経営者はしっかりと認識しておられたのだと思います。



 昭和29年に書かれ、昭和39年に改定された、石川馨先生の「新編 品質管理入門」の前書きには、「QCは学問や勉強では無く実行するのみである。(中略)本書に書かれていることを実行して、企業の体質改善をしていただきたい。」と書かれています。 
 第1章新しい品質管理とは 1.1品質管理とは の書き出しは
「あなたの会社の製品についての責任は、経営者にある。」です。
 さらに、 1.1.1品質管理の定義 
 「新しい品質管理とは、経営に関する1つの新しい考え方,見方である。
新しい品質管理とは、もっとも経済的に、もっとも役に立つ、しかも買手が満足して買ってくれる品質の製品を開発し,設計し、生産し、販売し、サービスすることである。この目的を達成するために(中略)会社全体として総てが協力して、各部門が同じように努力しやすい組織を作り上げ、標準化を行い、これを確実に実行していくことが必要である。」
 と記述されています。

 私は約25年間リスクマネジメントに関ってきて痛感することは、中小企業のみならず、大企業でも(なおさら)リスクマネジメントの実行に当たり、技術論が先行し、経営的視点(全体像を俯瞰する視点とも言えます)が不足していることです。これは現在多くの経営者にリスクマネジメントの本質に対する理解が不足している結果であり、官庁・大企業の人事政策が、高度の専門家を官庁・大企業内で育成するシステムになっていないことが原因です。わが国企業のリスクマネジメントの在り方を根本的に再検討すべきだと思います。
 更に、東日本大震災の教訓についてBCPの実務家と議論をした際、わが国のような企業組織の場合は、事故・災害発生後速やかに会社の状況を把握し、経営判断の基礎になるデータを作成するソフトがあればという議論になりました。まだ世の中には無いと思いますし、ソフトを作成するのは容易ではありませんが、東日本大震災に対する企業の対応に関する報告書の指摘に対し、規模が大きく、連鎖の複雑な大企業の場合には各社固有の状況を踏まえて経営者自らの経営判断をするのに役立つデータが直ちに提供出来るかが問題です。 企業が被災時にとる実際の対処について、或いは平素PDCAサイクルを回すについて、わが国企業の現実を直視した実務の体制を考えるべきではないでしょうか。
 リスク対策COM.7.25号にも本稿と同じく「リスクマネジメントの実践における経営的視点の欠如」について書いています。もうすぐ発売されますのでご興味があったら読んで下さい。

○参考文献:一橋大学 佐々木聡教授 『戦後日本のマネジメント手法の導入』
        『一橋ビジネス レビュー』(東洋経済新報社)2002年秋号
        :財団法人日本科学技術連盟 「創立50年史」
        http://www.juse.or.jp/about/pdf/history/history_60.pdf

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国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書について

2012年7月10日火曜日 | ラベル: |

7月5日(木)国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書が公表されました。6日朝の各紙が大きく報道しています。
 同報告書は、『この事故が「人災」であることはあきらかで、歴代および当時の政府、規制当局、そして事業者である東京電力による、人の命と社会を守るという責任感の欠如があった。』と断定しています。ここがこの報告書の最大のポイントだと思いました。以下は私の感想です。
                                              *アンダーラインは筆者

 1987年高松に出張しました。当時の高松空港は滑走路が短く、YS11が就航していました。YS11は低空を飛ぶので下界が良く見えました。
○神奈川県の真鶴半島上空です。今が海のシーズンです。

○高松市の栗林公園です。

○国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書(要約版)

1.「はじめに」の記述
『原子力は人類が獲得した最も強力な圧倒的エネルギーであるだけでなく、巨大で複雑なシステムであり、その扱いは極めて高い専門性、運転と管理の能力が求められる。(中略)世界の原子力に関わる規制当局は、あらゆる事故や災害から国民と環境を守るという基本姿勢を持ち、事業者は設備と運転の安全性の向上を実現すべく、持続的な進化を続けてきた。
 日本でも大小さまざまな原子力発電所の事故があった。多くの場合、対応は不透明であり、組織的な隠ぺいも行われた。日本政府は電力10社の頂点にある東京電力とともに、原子力は安全であり日本では事故などは起こらないとして原子力を推進してきた。
 そして、日本の原発は、いわば無防備のまま3.11の日を迎えることとなった。

 想定できたはずの事故がなぜ起こったのか。その根本的な原因は、日本が高度経済成長を遂げられたころまで遡る。政界、官界、財界が一体となり、国策として共通の目標に向かって進む中、複雑に絡まった「規制の虜(Regulatory Capture)」が生まれた。そこには、ほぼ50年にわたる一党支配と、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といった、官と財の際立った組織構造と、それを当然と考える日本人の「思いこみ(マインド セット)」があった。経済成長に伴い「自信」は次第に「おごり,慢心」に変わり始めた。入社や年次で上り詰める「単線路線のエリート」たちにとって前例を踏襲すること、組織の利益を守ることは、重要な使命となった。この使命は、国民の命を守ることよりも優先され、世界の安全に対する動向を知りながら、それらに目を向けず安全対策は先送りされた。(中略)
 この事故が「人災」であることは明らかで、歴代及び当時の政府、規制当局、そして事業者である東京電力による、人の命と社会を守るという責任感の欠如があった。』
2.津波対策 
東京電力㈱の「福島原子力事故調査報告書」では、津波への備えについて、国の審査・確認を得て行っていたこと。国の調査研究機関である地震調査研究推進本部の意見を参考にしていたこと。貞観津波に対する対策等も終始土木学会の「津波評価技術」に基づき評価することで一貫していと述べています。
 国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書では、
『平成18年(2006年)には、福島第一原発の敷地高さを超える津波が来た場合に全電源喪失に至ること、土木学会評価を上回る津波が到来した場合、海水ポンプが機能喪失し、炉心損傷に至る危険があることは、保安院と東電の間で認識が共有されていた。保安院は東電が対応を先伸ばししていることを承知していたが、明確な指示を行わなかった。(中略)この全交流電源喪失の可能性は考えなくても良いとの理由を事業者に作文させていたことが判明した。また、当委員会の参考人質疑で、安全委員会が深層防護「原子力施設の安全対策を多段的に設ける考え方。IAEA(国際原子力機構)では5割まで考慮されている。」について、日本は5割のうちの3割しか対応できていないことを認識しながら、黙認してきたことも判明した。
 規制当局は海外からの知見の導入にも消極的であった。(中略)防衛に関わる機器情報に配慮しつつ、必要な部分を電気事業者に伝え、対策を要求していれば、今回の事故は防げた可能性がある。

このように今回の事故は、これまで何回も対策を打つ機会があったにもかかわらず、歴代の規制当局及び東電経営陣がそれぞれ意図的な先送り、不作為、あるいは自己の組織に都合の良い判断を行うことによって、お安全対策が取られないまま3.11を迎えたことで発生したものであった。
 当委員会の調査によれば、東電は。新たな知見に基づく規制が導入されると、既設炉の稼働率に深刻な影響が生ずるほか、安全性に対する過去の主張を維持できず、訴訟などで不利になると言った恐れを抱いており、それを回避したいという動機から、安全対策の規制化に強く反対し、電気事業連合会を介して規制当局に働きかけていた。(後略)』
と記述されています。

東京電力㈱の「福島原子力事故調査報告書」の(16.事故原因と対策 <事故原因>) においては、
想定した津波高さを上回る津波の発生までは発想することができず,事故の発生そのものを防ぐことができなかった。このように津波想定については結果的に甘さがあったと言わざるを得ず,津波に対する備えが不え十分であったことが今回の事故の根本的な原因である。
とまるで人ごとのように記述されています。

(所感)
 国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書は、646ページに及ぶ膨大なものです。各方面に亙る報告の内容は貴重なものですが、私は今回要約版を読んだ感想を申し上げます。
 何よりも印象的なのは、6月20日公表の東京電力㈱の「福島原子力事故調査報告書」の内容との大きな差異です。
 東京電力㈱の「福島原子力事故調査報告書」が事故の責任の回避・弁明に終始しているのに対し、国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書は、
『この事故が「人災」であることは明らかで、歴代及び当時の政府、規制当局、そして事業者である東京電力による、人の命と社会を守るという責任感の欠如があった。
と断定しています。
 東京電力㈱は『想定した津波高さを上回る津波の発生までは発想することができず,』と言っていますが、国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書は
『福島第一原発の敷地高さを超える津波が来た場合に全電源喪失に至ること、土木学会評価を上回る津波が到来した場合、海水ポンプが機能喪失し、炉心損傷に至る危険があることは、保安院と東電の間で認識が共有されていた。保安院は東電が対応を先伸ばししていることを承知していたが、明確な指示を行わなかった。』
と明記しています。
 更に、同報告書は「東京電力㈱のリスクマネジメントの考え方の歪み」を指摘しています。
 『東電はシビアアクシデントによって周辺住民の健康等に被害を与えること自体をリスクとして捉えるのではなく、シビアアクシデント対策を立てるに当たって、既設炉を停止したり、訴訟上不利になったりすることを経営上のリスクとして捉えていた。
 これは極めて重大な指摘だと思います。リスクマネジメントの実践に際し、色々な事象から、将来起こるであろうリスクを想定し評価する場合、想定リスクの内容は当事者によって大きく変わってきます。
 私は、ずっと東京電力㈱を筆頭とする原子力発電の事業者は、原子力発電所の事故の恐ろしさを十分自覚していて、然し表向きは安全だと主張しているのだと信じていました。リスクの認識・評価はリスクマネジメントの基本です。もし国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書の指摘が事実ならば、東京電力㈱のリスクの評価はリスクマネジメントの関係者として驚き以外の何物でもありません。
 1月20日のブログに、『2011年12月26日に公表された「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」中間報告書の最も重要なテーマは「想定外」の問題だと思いました。』と書きました。同報告書は「想定外」に関して、 
『「想定する」とは、考える範囲と考えない範囲を決め、境界を設定することである。人間は物事を考えるとき、考える範囲を決めないときちんとものを考えることができない。そこで、物事を考えようとするとき、どの範囲までを考えることにするかという境界を設定する。この境界を決めた後は、その境界の内部について詳細に考えを進め、考えを作り上げていく。
 それでは、境界はどのようにして設定されるのであろうか。境界は様々な制約条件の影響を受けて定まる。経済的な制約はもとより、社会的制約、歴史的制約、地域的制約等の様々な制約があり、その制約を満たすように境界が設定されていく。これらの制約は、明示的に示されているものばかりではない。どこにも文言として明示はされていない、関係者間の暗黙の前提という形をとる制約も存在するということに注意が必要である。一方、境界の外側については「考えない」と決めたことになるので、考えなくなる。いったん想定が行われると、どのような制約の下にその境界が作られたのかが消えてしまう。ことが起こった後で見えるのは、この想定と想定外との境界だけである。境界がどのようにして決まったかを明らかにしなければ、事故原因の真の要因の摘出はできない。
と言われていますが、事故原因の根本は「東京電力㈱のリスクマネジメントの考え方の歪み」だったのだと思いました。
 ピーター・バーンスタイン著「リスク」(日経ビジネス文庫)の原題は「AGAINST THE GOODS (神々への挑戦)」です。この本の「はじめに」に、
「未来を現在の統制下に置くためにはどうすべきか。リスクをどのように理解し、またどのように計測し、その結果をどのようにウエート付けるかを示すことにより、リスクを許容するという行為を今日の西側社会を動かす基本的な触媒行為に変えていった。
 ギリシャ神話に出てくるプロメティウスが神に挑戦し、火を求めて暗闇に明かりをもたらしたように、未来という存在を敵から機会へと変えた。
 将来に何が生起し得るかを定義し、代替案の中からある行為を選択しうる能力こそが現代社会の中核に存在すべきものである。リスクマネジメントによって多岐にわたる意思決定問題についての指針が与えられることになる。」
と書いてあります。
 西側の社会では、多くの人々は神を信じているので、「リスクを想定すると言うことは、プロメティウスが神に挑戦し、火を求めて暗闇に明かりをもたらしたことに匹敵する大変なこと(AGAINST THE GOODS )だ。」という認識があるのだと思います。前記のように、 「原子力は人類が獲得した最も強力な圧倒的エネルギーであるだけでなく、巨大で複雑なシステムであり、その扱いは極めて高い専門性、運転と管理の能力が求められる。(中略)世界の原子力に関わる規制当局は、あらゆる事故や災害から国民と環境を守るという基本姿勢を持ち、事業者は設備と運転の安全性の向上を実現すべく、持続的な進化を続けてきた。」にも拘わらず、我が国の規制当局、そして事業者である東電の経営陣が自己の組織に都合の良い判断を行い「シビアアクシデント対策を立てるに当たって、既設炉を停止したり、訴訟上不利になったりすることを経営上のリスクとして捉えていて、津波に対する原子力発電所の真のリスクを正しく想定していなかった。」ことは、将に神をも恐れぬ思い上がったリスク想定であったと思います。
 しかも、東京電力㈱の「福島原子力事故調査報告書」が、依然本件事故は想定外のことであったと主張していて、深刻な反省が無いことは非常に遺憾なことだと思います。わが国のリーディングカンパニーとされ、経団連会長も輩出した東京電力㈱の現状と将来は将に暗澹たるものがあります。
 東京電力㈱は、国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書、「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」中間報告書の提言を真摯に受け止め、新経営陣の下で今回の事故原因の真の要因の摘出に努力すべきだと思います

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東京電力㈱の「福島原子力事故調査報告書」について

2012年7月1日日曜日 | ラベル: |

6月27日(水)に東京電力㈱の株主総会が開かれ、東京電力㈱の実質国有化が決まりました。しかし、原子力発電所の再稼働の見通し、廃炉費用の見通し、除染費用の見通し、原子力損害賠償総額・賠償事務費用の見通しは何れも不明のまま、発電と送電の分離問題、発電事業者の参入問題、企業体質の改善問題等も先送りのままの実質国有化なので、前途は暗澹たるものがあると思います。
 6月20日(水)には東京電力㈱の「福島原子力事故調査委員会」による「福島原子力事故調査報告書」が公表されました。
 概要版44ページ、概要版別添26ページ、正誤表1ページ、本編373ページ、別紙①11ページ、別紙②155ページ、添付資料567ページ、平成23 年12 月2 日の中間報告書からの主な変更点について54ページ,正誤表27ページ合計1,258ページの極めて膨大な報告書です。私は主に概要版を読んでこの感想を書きました。

 今回は九州の唐津市の景色です。佐賀県の北部にあり、風光明媚、唐津焼も有名です。
 唐津市の西隣りが、九州電力・玄海原子力発電所のある玄海町です。
○唐津(舞鶴)城です。藩主小笠原氏の居城でした。
 天守閣からの大パノラマが素敵です。 

○虹の松原 
 全長5km、幅1kmにわたって続く松は、約100万本と言われています。
 三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原の一つに数えられ、国の特別名勝に指定されています。有明海は干潟なので、佐賀市からは唐津に海水浴に行きます。


 ○東京電力㈱の「福島原子力事故調査報告書」概要版の抜粋
                                            *アンダーラインは筆者

1.本報告書の目的
 福島第一原子力発電所(以下,「福島第一」)の事故について,これまでに明らかとなった事実や解析結果等に基づき原因を究明し,原子力発電所の安全性向上に寄与するため,必要な対策を提案すること。
このため,同様の事態を再び招かぬよう,現に生起した事象を設備や運用の改善につなげていくことが重要であるとの観点から,炉心損傷の未然防止に関する課題を中心に検討した。

2.福島原子力事故の概要
 平成23年3月11日,福島第一では,1 号機~3号機は運転中,4号機~6号機は定期検査のため停止中,福島第二原子力発電所(以下,「福島第二」)では1号機~4号機が運転中。14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震を受けて,運転中の原子炉は全て自動停止した。
 福島第一では,全ての外部電源が失われたが,非常用ディーゼル発電機(以下,「非常用D/G」)が起動し,原子炉の安全維持に必要な電源が確保された。
 その後,史上稀に見る大きな津波により,福島第一では,多くの電源盤が被水・浸水するとともに,6号機を除いて非常用D/Gが停止し,全交流電源を喪失,交流電源を用いる全ての冷却機能が失われた。1号機~3号機では直流電源喪失により交流電源を用いない炉心冷却機能も順次停止した。(後略)

3.東北地方太平洋沖地震の概況と地震・津波への備え
 (5) 津波への備え
① 津波高さの評価
当初,小名浜港で観測された既往最大の潮位として,昭和35年のチリ地震津波による潮位(O.P.+3.122m)を設計条件とした。国の審査においても,この潮位により「安全性は十分確保し得るものと認める」として原子炉設置許可を取得している。設置許可申請書に記載されているこの津波高さについては,現状でも変更されていない。
 当社は津波評価技術に基づく津波評価を行うとともに,必要な対策を実施し,平成14年3月に国へ報告し確認を受けた。
 その後も,確立された最新の知見に基づき津波の高さを評価してきた。
② 地震本部の見解,貞観津波に対する当社の取り扱い決定経緯
 当社は,津波高さについては,土木学会の「津波評価技術」に基づき評価することで一貫しているが,津波に関する知見・学説等が出された場合は,試算も含め,自主的に検討・調査等を実施。その一環として,津波評価に必要な波源モデル等の知見が定まっていない中,以下の2つの仮定に基づく試算や津波堆積物調査を実施。
 平成14年に国の調査研究機関である地震調査研究推進本部(以下,地震本部)が「三陸沖から房総沖の海溝沿いのどこでもM8.2前後の地震が発生する可能性がある」との見解(以下,「地震本部の見解」)を公表。
  • 当社は,平成20年に,耐震バックチェックにおいて,地震本部の見解をどのように扱うか社内で検討するための参考として,試し計算を実施(福島県沖の海溝沿いの津波評価をするために必要な波源モデルが定まっておらず,三陸沖など他の地域に設定されていた波源モデルを仮に借用して計算したに過ぎない)。
    この概要について,当時の武藤原子力・立地本部副本部長,吉田原子力設備管理部長は以下のように判断・決定(平成20年7月)。後日武黒原子力・立地本部長に報告。
  • 津波評価技術による評価は保守性を有し,発電所の安全性は担保。
  • 地震本部の見解には具体的な波源モデルもなく,即座に津波高への影響が定まるものではない。
  • 原子力発電所の津波評価は,津波評価技術に従って実施していることなどから,大きな地震は起きないとされてきた福島県沖の日本海溝沿いを含む太平洋側津波地震の扱いを土木学会に検討依頼し,明確にルール化した上で対応。それまでは現行ルールである津波評価技術に従って評価。
<貞観津波の波源モデルによる試し計算と津波堆積物調査>
  • 平成20年10月,産業技術総合研究所(当時)佐竹氏から貞観津波に関する投稿準備中の論文の提供を受け,未確定ながら示されていた波源モデル案を用いた試し計算を実施。
  • その後,吉田部長は,貞観津波の正確な情報を得ることを主たる目的に,福島県沿岸の津波堆積物調査を決定するとともに,地震本部の見解と同様に貞観津波も土木学会へ審議を依頼することとし,後日武藤副本部長,武黒本部長に報告。
  • 平成21年6月に土木学会へ審議を依頼。
  • 津波堆積物調査の結果,福島県南部では津波堆積物を確認できず。調査結果と試し計算に使用した波源モデル案で整合しない点があることが判明したことから,貞観津波の波源確定のためには,さらなる調査・研究が必要と考えた。
    なお,今回の地震は,地震本部の見解に基づく地震でも,貞観地震でもなく,より広範囲を震源域とする巨大な地震であったことが判明している。

16.事故原因と対策 
 <事故原因>
  • 今回の福島第一1号機~3号機が炉心損傷事故に至った直接的な原因は,1号機では津波襲来によって早い段階で全ての冷却手段を失ったことであり,2,3号機では津波による瓦礫の散乱や1号機の水素爆発により作業環境が悪化したため,高圧炉心注水から安定的に冷却を継続する低圧炉心注水に移行できず,最終的に全ての冷却手段を失ってしまったことである。
  • すなわち,これまでの原子力発電所における事故への備えは,今般の津波による設備の機能喪失に対応できないものであった。津波の想定高さについては,その時々の最新知見を踏まえて対策を施す努力をしてきた。この津波の高さ想定では,自然現象である津波の不確かさを考慮していたものの,想定した津波高さを上回る津波の発生までは発想することができず,事故の発生そのものを防ぐことができなかった。このように津波想定については結果的に甘さがあったと言わざるを得ず,津波に対する備えが不十分であったことが今回の事故の根本的な原因である。
<対策の考え方>
 今回の津波のような事例に対するためには,基本的な考え方として想定を超える事象が発生することを考慮した上で,以下の考えに沿って対策を講じる。
① 津波に対して遡上を未然に防止する対策を講じる。
② さらに,津波の遡上があったとしても,建屋内に侵入することを防止する。
③ 万一,建屋内に津波が侵入したとしても,機器の故障と違って,津波の影響範囲は甚大で多くの機器に影響を与える可能性があることから,その影響範囲を限定するために,建屋内の水密化や機器の設置位置の見直し等を実施する。
④ 上記①~③の徹底した対策の実施により津波によるプラントへの影響は,最小限にとどめることが出来ると考えられるが,それさえも期待せず,津波により発電所のほとんど全ての設備機能を失った場合を前提としても,原子炉への注水や冷却のための備えを発電所の本設設備とは別置きで配備することで事故の収束を図る。
 以上の考え方に従い,設計想定として,蓋然性のある脅威に対して徹底した設備設計で対抗することを基本とするとともに,今般の事故のようにほぼ全ての設備の機能が喪失する場合についても対抗策を備えておく。
 すなわち,『今回の事故原因となった津波事象を含む外的事象に対して,事象の規模を想定し,徹底した対応をすることで事故の発生を未然に防止することを基本とするが,さらに発電所の設備がほぼ全て機能を喪失するという事態までを前提とした事故収束の対応力を検討すること』が安全思想面からの対策として必要不可欠と考える。

(所感)
 『本報告書の目的は、福島第一原子力発電所(以下,「福島第一」)の事故について、これまでに明らかとなった事実や解析結果等に基づき原因を究明し,原子力発電所の安全性向上に寄与するため,必要な対策を提案すること。』とされています。

 東京電力㈱は福島第一原子力発電所を運転していた事業者です。福島第一原子力発電所(以下,「福島第一」)の事故について原因を究明した場合、これだけの大きな事故を起こしたのですから、痛烈な反省が述べられていて然るべきだと思って報告書を読みましたが、淡々とした記述ばかりで、全くそのような記述はありません。
 「地震発生後、福島第一では,全ての外部電源が失われたが,非常用ディーゼル発電機いて(以下,「非常用D/G」)が起動し,原子炉の安全維持に必要な電源が確保された。
 その後,史上稀に見る大きな津波により,福島第一ででは、(中略)全交流電源を喪失,交流電源を用いる全ての冷却機能が失われた。1号機~3号機では直流電源喪失により交流電源を用いない炉心冷却機能も順次停止した。(後略)」と記述されています。ここも本当にそうだったのか議論がある点だと思います。
 津波への備えについては、国の審査・確認を得て行っていたこと。国の調査研究機関である地震調査研究推進本部(以下,地震本部)の意見を参考にしていた。貞観津波に対する対策等も終始土木学会の「津波評価技術」に基づき評価することで一貫していたと述べられています。更に『今回の地震は,地震本部の見解に基づく地震でも,貞観地震でもなく,より広範囲を震源域とする巨大な地震であったことが判明している。』と記述しています。

 2011年12月26日に公表された畑村洋太郎氏・柳田邦男氏等の「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の中間報告書には、
『何かを計画、立案、実行するとき、想定なしにこれらを行うことはできない。したがって、想定すること自体は必ずやらなければならない。しかし、それと同時に、想定以外のことがあり得ることを認識すべきである。たとえどんなに発生の確率が低い事象であっても、「あり得ることは起こる。」と考えるべきである。発生確率が低いからといって、無視していいわけではない。起こり得ることを考えず、現実にそれが起こったときに、確率が低かったから仕方がないと考えるのは適切な対応ではない。確率が低い場合でも、もし起きたら取り返しのつかない事態が起きる場合には、そのような事態にならない対応を考えるべきである。今回の事故は、我々に対して、「想定外」の事柄にどのように対応すべきかについて重要な教訓を示している。』
と記述されています。
 これだけの事態が発生した後なのに、畑村洋太郎氏・柳田邦男氏等の報告書の指摘の最も重要な部分についての東京電力の反省は全く見られません。
 16.事故原因と対策  <事故原因> において、『想定した津波高さを上回る津波の発生までは発想することができず,事故の発生そのものを防ぐことができなかった。このように津波想定については結果的に甘さがあったと言わざるを得ず,津波に対する備えが不え十分であったことが今回の事故の根本的な原因である。』とまるで人ごとのように記述されています。『津波想定については結果的に甘さがあった』ことの東京電力としての反省が全くありません。<対策の考え方>においても、起こった結果の対策であって、東京電力㈱が今回の津波発生前に立てていた津波対策に関する問題点の反省は全くなされていません。 事故を起こした当事者の報告書では無く、まるで第三者からみた報告書のようです。
 今回のような厳しい状況を想定しておくことは、原子力発男電事業を行う東京電力も含む関係者の責務であったはずです。もし損害賠償責任のことを考えているのならば、こう言うことで自社の責任が軽くなるとでも思っているのでしょうか。
 本報告書は、これ以外にも事故の詳細・災害時の対応態勢・事故想定に対する甘さ・情報伝達・情報共有・情報公開等々にも大きなページを割いています。然し、『あくまで国・或いは学会の方針に従ってやってきたことで、「想定外」のことが起こったのだから仕方がない。』と言うスタンスは変わっていません。これでは如何に分厚い報告書でも、その内容が今後の教訓になる筈がありません。
 たまたま、29日の朝日新聞19面、原子力委員会近藤駿介委員長のインタビュー記事で「事実は何よりも雄弁です。専門家として、とことん突き詰められなかったことを深く反省しています。(中略)日本の過酷事故対策はお詰めが甘かった。悪い時にはさらに悪いことが起こると考えるのが、事故対応を考える人間の基本。それが現場でどこまで貫徹されていたのか。」と近藤委員長は言っておられます。
 本報告書を読むと、東京電力は実際に原子力発電事業を行っている者としての責任感が不足していたのではないかと私は思います。もし徹底した安全策をとることが私企業としての限界を越えると言うのであれば、原子力発電事業の「国策民営」を返上すべきであったのかも知れません。
 本報告書は東京電力旧体制下の最後の主張だと思います。トップは交替しましたが、このままでは東京電力の前途は真っ暗だと思います。

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