「リスクとキャッシュフロー」について ⑯

2014年1月20日月曜日 | ラベル: |


 今から62年前の昭和27年(1952年)4月、九州の佐賀高校から現役で京都大学に入学した4人が、「お互い80歳になったので、又時計台の下に集まろう。」ということになり、1月9日に京都へ行って来ました。
 昔は「末は博士か大臣か」と言いました。一人は工学部から建設省・工学博士・参議院議員・法務大臣、ノーベル賞を受賞された湯川先生を慕って理学部へ行った一人は上智大学教授・理学博士、もう一人は福井医科大学教授・医学博士になり、何でもないのは法学部へ行った私だけです。
 4人とも元気でまだ何かしら仕事を続けていて、夕食の話題も豊富でした。希望に満ちた青春時代を思い出し、感慨に耽った一日でした。

8.事故とキャッシュフロー悪化の事例 
(2)雪印乳業
 12月10日のブログに、「私が企業に起こった事故とキャッシュフロー悪化のリスクの重要性を最初に実感したのは、平成9年(1997年)2月1日に起きたアイシン精機刈谷第一工場の火災事故についての分析でした。」と書きました。
 事故の発生によるキャッシュフローの悪化について、旧住友銀行時代の知識に基づき細かい分析を行った最初の事例が雪印乳業の事故です。
 雪印乳業の事故については、セミナーにおける説明や、平成23年1月25日号の「リスク対策Com.」などで屡々述べていますが、再度書きます。
 平成12年(2000年)の中毒事故の45年前、昭和30年(1955年)3月にも雪印乳業は東京都で学校給食の粉乳の中毒事故を起こしています。事故の原因は「北海道の工場で、製造中に機械の故障と停電事故が重なったために、原料の牛乳に溶血性ブドウ球菌が発生した。」ことによるものでした。平成12年の中毒事故も、「北海道の工場で停電事故があり、その結果脱脂粉乳に病原性黄色ブドウ球菌が増殖して毒素が発生していた。」ことが原因であると報じられました。「停電による毒素の発生」を繰り返しているので、「過去の失敗が生きていない。」と言われました。何故そうなったのか。
 前回の事故の教訓が会社のDNAになっていない理由は、一つは45年と言う時間の経過ですが、根本的には45年前の事故が雪印乳業の業績・キャッシュフローに殆ど影響を与えていなかったことが大きな理由だと私は考えます。もし、前回の事故による業績・キャッシュフローの悪化が雪印乳業の企業の存亡に関わっていたら、時間の経過に関わらず、何時までも事故の教訓は会社の記憶に留まっていたはずだと思います

(a)業績悪化の対比
‹平成12年の中毒事故による影響≻
 下記の損益計算書(単体)に明らかなように、平成12年6月の事故で、事故期の売上は2╱3に激減し、売上総利益も2╱3に激減、経常利益は709億円悪化しました。
○損益計算書                          (単位億円)

  平成 11 年度実績        平成12年度実績
(11.4.1 - 12.3.31) (12.4.1 - 13.3.31)
前年同期比
 前年度比
 売上高
 5.440   3.616 -1,824  66.5%
売上総利益
(同上率)
  1,788
( 32.9 %)
  1,036
( 28.7 %)
  -752
( -4.2 %)
 58.0%
営業利益
 (同上率)
    112
(  2.1 %)
  -560
( -15.5 %)
 -672
( -17.5 %)
   -
 経常利益
 (同上率)
    122
(  2.2 %)
   -587
( -16.2 %)
  -709
( -18.4 %)
   -

○平成12年6月に中毒事故発生。

‹昭和30年の中毒事故による影響≻
 事故の翌年度(前期末の3月に事故が発生しているので実質事故期)の売上(単体)は18%も増加し、売上総利益も25%増加しています。ただし、純利益(当時は経常利益の記載なし)は悪化していますが、これは事故処理費用が影響していると思われます。事故の業績・キャッシュフローへの影響はほとんどありませんでした。

〇損益計算書                           (単位億円)

 
昭和29年度実績
       昭和30年度実績
(29.4.1 - 30.3.31)
(30.4.1 - 31.3.31)
前年同期比
 前年度比
 売上高
     72      85     13 118.1 %
売上総利益
(同上率)
     12
( 16.7 %)
     15
(17.6%)
     3
(0.9%)
125.0 %  
 営業利益
 (同上率)
     3
( 4.2 %)
      3
( 3.5 %)
     0
( -0.7 %)
100.0 %  
 当期純利益
 (同上率)
     1   
(  1.4 %)
    未満
( 0.0 %)
   -1
(― 1.4 %)
   ―
○昭和30年3月に事故発生。

 同じような事故に際し、何故事故の影響がこんなに違ったのかについて、私は以下のように考えています。
1)社会の反応・消費者の反応の相違
 昭和30年頃は、製造物責任の思想がまだ確立しておらず、社会の反応・消費者の反応は今日ほど企業にシビアーではありませんでした。昭和30年(1955年)3月の雪印乳業の中毒事故の直後、同年8月に発生した「森永乳業のヒ素ミルク事件*」が欠陥製品による大規模事故の走りで、製造物責任法成立の端緒となりました。
                        *森永乳業の粉ミルクにヒ素が混入、死者130名、中毒者13,000名発生。
2)事故後の会社側の対応と新聞・テレビ報道の影響の相違
 前回の事故の際は社長以下、会社側の対応は誠心誠意であったのに対して、今回は社長が、「わたしは寝ていないんだ」と報道陣に対し発言をしたことが、テレビで放映され、非難されるなど不手際が目立ちました。
昭和30年3月末のNHKのテレビ受信契約者数は僅々5万3千件であった*のに対し、平成12年3月末契約者数は3,688万件です。テレビ報道の消費者に対する影響は非常に大きかったと思われます。                             *NHK調べ。
3)販売チャンネルの変化
 昭和30年の事故当時は、牛乳は多数の牛乳販売店から各家庭に配達されていました。全国展開のスーパー・コンビニはまだ無く、販売チャンネルは小口分散化されていました。
 平成12年の事故当時、私は四谷の雪印乳業本社の近く、九段南の住友銀行の子会社に勤務していました。事故発生後雪印乳業の広報部にコンタクトし、種々お教え頂くことが出来ました。
 平成12年の事故発生当時、雪印乳業の製品の約70%がスーパー、コンビニで販売されていました。社長が「わたしは寝ていないんだ」とテレビに向かって話すと、消費者が反応して「あんな会社の製品を売るとはけしからん」とスーパー、コンビニに多数の苦情が寄せられました。その結果、スーパー、コンビニは雪印乳業の製品を一斉に売り場から撤去しました。
 その結果、事故の翌月から雪印乳業の売上げは1╱3に激減しました。牛乳で食中毒が起こったのですから、雪印乳業の牛乳が売場から撤去されるのは仕方ありませんが、主力のバターやチーズまで全製品が売り場から撤去されてしまいました。一般大衆向けの商品をスーパー、コンビニで売っている場合の事故によるマーケットのリスクは極めて大きいことがわかります。
 このことに関して、雪印乳業提供の番組「料理バンザイ!」に出演しておられた滝田栄氏が平成18年(2006年)7月13日号の週刊文春「阿川佐和子のこの人に会いたい」というコーナーで,次のように言っておられます。

滝田:20年やっていた「料理バンザイ!」という番組が終わってしまって。(中略)
あのときはマスコミの残酷さを感じましたね。
阿川:社長の失言がねえ。
滝田:あの方は本当に1週間くらい寝ずにみんなで必死に原因を調べていて、「わかったら発表する」と言っているのに、記者に「隠してるんだろう」と食い下がられて、キレちゃって「寝てないんだ」と言ったら、そこだけを何回も放送されちゃったんです。
阿川:あのエレベーターの場面だけが強烈に印象に残ってますもんね。

クライシス・マネジメントの見地からは散々酷評されたことですが、こうした見方もあるのだと考えさせられます。

(b)キャッシュフローの悪化
 平成12年の中毒事故発生の翌月18日の日本経済新聞朝刊に、「雪印乳業は当座の運転資金用に金融機関から300億円借り入れることを決めた。」と報じられました。
すなわち、わずか半月ほどで手許資金は無くなり、金融機関から借り入れをしなければ雪印乳業のキャッシュフローは破綻する状態になったわけです。
 平成12年の事故発生直前の平成12年3月末、雪印乳業の借入金合計42億円に対し、預金残高は144億円だったので、無借金の優良会社だと言われていました。(実は社債残高が600億円ありますのでこの表現には首を傾げます。)しかし、預金残高は雪印乳業の平均月商のわずか0.3ヶ月分で(一般にはリスク発生に備え平均月商の1ヶ月分は保有していることが望まれています。)リスク発生時の財務的な耐性は強固ではなかったと判断されます。

(c)事故発生後の株価推移の対比
 にもかかわらず、当時の株価は倒産を予想するような急落は生じませんでした。下記の表に明らかなように、事故直後の株価の最安値が350円(事故直前月の最高値に比し25%程度の下落に過ぎない)と言うことは、投資家は雪印乳業が僅か半月程度で資金繰りに窮するとか、また万一資金繰りに窮したとしても、その場合にメインバンクが支援しないなどと言うことは全く考えていなかったのだと思われます。
○雪印乳業の株価推移                  (単位 円) 
平成 年 月 12 年 5 月 12 年 6 月 12 年 7 月 12 年 8 月
月間高値 470 Ⓐ  433 404  385
月間安値 405  399 350 Ⓑ  350
Ⓑ/Ⓐ=74.5%

〇東京電力の株価の推移
 平成23年3月11日以降の東京電力の状況については、このブログでも屡々書いていますので触れませんが、株価の推移については雪印乳業と大きく異なっています。
○株価推移             (単位 円)   
年初来高値 2月 23 日 2,197 Ⓐ
年初来安値 4月 6 日 292  Ⓑ
Ⓑ/Ⓐ=13.3%

 事故前後の株価推移を見ると、雪印乳業の株価は事故後も25%くらいしか下落していないのに比し、東京電力の株価は事故後76%くらい大幅に下落しています。
何故、雪印乳業と東京電力の株価の推移がこんなに大きく異なったのでしょうか。

 雪印乳業の事故の際、国内各紙は雪印乳業のキャッシュフローの危機について全く報じていません。(会社の足を引っ張る様な記事は書かないのか、実情が判らなかったのか、私はその両方だったと思うのですが。)また、雪印乳業の事故に対し外国のマスコミは無関心だったと思います。
 東京電力の場合は、事故後フィナンシャル・タイムスや、ロイター等が東京電力の先行きの経営不安を大きく報じたため、国内マスコミも追随して同様の報道をしました。
 雪印乳業の場合は、事故直後売上の急減により資金が枯渇し、7月中旬の融資でキャッシュフローの危機を脱したのに対し、東京電力の場合は、事故発生直後に大きな資金需要が起こったわけでは無く、しかも事故直後の3月末には2兆円(月商の約5ヶ月分)の融資が行われていますので、先行きは兎も角事故直後のキャッシュフローの状況ははむしろ雪印乳業の方が危機であったと判断されます。
 当面のキャッシュフローには全く問題が無かったのに東京電力の株価が大幅に下落したのは、マスコミの報道が投資家に大きく影響したものと考えます。私はマスコミの報道は、主として個人投資家の心理に影響したと考えたいのですが、機関投資家の判断にも影響を与えたのか。実態はどうだったのでしょうか。
 考えさせられる問題です。


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東京電力の原子力発電所の事故のその後について

2014年1月10日金曜日 | ラベル: |

 私は2012年7月1日のブログで 東京電力㈱の「福島原子力事故調査報告書」についての所感で、『本報告書は、事故の詳細・災害時の対応態勢・事故想定に対する甘さ・情報伝達・情報共有・情報公開等々に大きなページを割いています。然し、あくまで国・或いは学会の方針に従ってやってきたことで、「想定外」のことが起こったのだから仕方がない。と言うスタンスです。これでは如何に分厚い報告書でも、その内容が今後の教訓になる筈がありません。』と書きました。
 2013年12月10日、リスク対策Com.主催の「危機管理カンファレンファレンス2013」で東京電力の原子力運営管理部・防災安全グループの方の「福島第一原子力発電所事故以降の東京電力における危機管理体制 ~原子力防災組織に現場・本店と連携したインシデント・コマンド・システムの導入~ 」と言うお話をお聞きしました。
 その冒頭「事故対応時の問題点(教訓)」で「想定を超える津波に対する防護が脆弱であった」と言われたことに大変な違和感を覚えました。
 2012年1月20日のブログでご紹介した「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の中間報告書」には、『福島第一原発で平成23 年3 月11 日に深刻な原子力災害が発生した直後関係者から、「想定外の事象が起こった。」との発言が相次いだ。「想定外」とは、「このような事象が起こることを考えていなかった。」との意味であろう。しかし、多くの国民はこの言葉を聞いたとき、「考えていなかった。」という意味だけではなく、「想定できないことが起こったのだから仕方がない。自分たちには責任がない。」という意味を持つ発言と受け取り、責任逃れの発言だとの印象を持った。当事者たちは「想定外」というが、このような厳しい状況を想定することが関係者の責務であったはずだと考える。』
 『今回の事故では、例えば非常に大きな津波が来るとか、長時間に及ぶ全交流電源の喪失ということは十分に確率が低いことと考えられ、想定外の事柄と扱われた。そのことを無責任と感じた国民は多いが、大事なことは、なぜ「想定外」ということが起こったかである。
 原子力発電は本質的にエネルギー密度が高く、一たび失敗や事故が起こると、かつて人間が経験したことがないような大災害に発展し得る危険性がある。しかし、そのことを口にすることは難しく、関係者は、人間が制御できない可能性がある技術であることを、国民に明らかにせずに物事を考えようとした。それが端的に表れているのが「原子力は安全である。」という言葉である。一旦原子力は安全であると言ったときから、原子力の危険な部分についてどのような危険があり、事態がどのように進行するか、またそれにどのような対処をすればよいか、などについて考えるのが難しくなる。「想定外」ということが起こった背景に、このような事情があったことは否定できない。
 何かを計画、立案、実行するとき、想定なしにこれらを行うことはできない。したがって、想定すること自体は必ずやらなければならない。しかし、それと同時に、想定以外のことがあり得ることを認識すべきである。たとえどんなに発生の確率が低い事象であっても、「あり得ることは起こる。」と考えるべきである。発生確率が低いからといって、無視していいわけではない。起こり得ることを考えず、現実にそれが起こったときに、確率が低かったから仕方がないと考えるのは適切な対応ではない。確率が低い場合でも、もし起きたら取り返しのつかない事態が起きる場合には、そのような事態にならない対応を考えるべきである。今回の事故は、我々に対して、「想定外」の事柄にどのように対応すべきかについて重要な教訓を示している。』と記述されています。 
 2012年7月10日のブログで、国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書は、『この事故が「人災」であることはあきらかで、歴代および当時の政府、規制当局、そして事業者である東京電力による、人の命と社会を守るという責任感の欠如があった。』と断定しています。ここがこの報告書の最大のポイントだと思いました。と書きました。
他の報告書でこれだけの批判が行われているのに、未だに冒頭に「想定を超える津波に対する防護が脆弱であった」と述べるのでは、東京電力の本件事故に対する責任感は現在でも無いのではないかと思いました。
更に今回の事故の教訓として、
  • 全ての電源を喪失した場合の、その後の手段(高圧注水・減圧・低圧注水・除熱・燃料プールへの注水。水源確保党が十分に準備されておらず、その場で考えながら対応せざるを得なかった。
  • 炉心損傷後の影響緩和の手段(格納容器損傷防止・水素制御・溶融炉心落下対策・環境への放射性物質の大量放出防止等)が整備されていなかった。
  • 照明や通信手段が限られた他、監視・計測手段を喪失し、プラント状況が把握できなくなった。
  • 大きな余震及び余震に伴う津波の恐れ、瓦礫等の散乱による現場のアクセス性・作業性低下等、著しい作業環境の悪化が事故の対応を困難にしていた。
が挙げられ、その対策の方針として、
  • 津波(かさ上げ。防水等)対策により、既存の安全上重要な設備及び事故時対応で使用を想定している設備の津波に対する防護を向上させる。
  • 深層防護の各層及び機能別に対策を講じ、各層・各機能の対応能力の厚みを向上させる。
  • 全電源喪失・ヒートシンク喪失の長時間継続への対応手段を確保する。
  • 応用性・機動性を高めた柔軟な機能確保策を講じる。
とされていますが、そもそも何故こういう結果になったのかについての、深刻な反省や、分析については何も述べず、人ごとのように今回の事故の結果からの改善策を講ずると言うのでは、今後も真に完全な事故対応策が可能なのか疑問に思われます。
「応用性・機動性を高めた柔軟な機能確保策を講じる。」といっても何故今まで出来ていなかったのか。何故今回は改善が出来るのか等々、これらはお題目に過ぎないのではないか。あと細かい対応策が縷々述べられていますが、根本となる従来の東京電力の組織・運営体制のどこに問題があって、どうしてこういうことになったのか、今後如何に改善するのかの点には全く触れられませんでした。
 私は、警察政策学会・テロ安保部会にも所属しています。この前日1月19日の部会で、「福島第一原子力発電所事故以降の世界各国の原子力発電所のテロ対策」についての話を聞きました。
 福島第一原子力発電所事故の最大の問題は、『世界のテロリストに「原子力発電所施設本体にダメージを与えなくても、送電線、予備発電設備を破壊すれば原子力発電所に大きなダメージを与えることが出来る」と知らしめたことである。』ということでした。従って『各国の原子力発電所の警備体制は大幅に変更せざるを得ず、次々n新しい問題が発生している。』とのことでした。
 東京電力の原子力運営管理部・防災安全グループの方の「福島第一原子力発電所事故以降の東京電力における危機管理体制」のお話の中には「テロ対策」は皆無でした。勿論細かい点は機密事項だとは思いますが、項目の中にも全く無いのは、もしかすると東京電力では危機管理体制の対策項目に「テロ対策」は入っていないのかと心配になりました。
テロは「想定外」ではありません。事故原因の根本的な反省事項に対する言及が無く、テロ対策への言及もない点に私は重ねて大変な違和感を感じました。
 これは、発表者ご本人の問題と言うよりも、東京電力の組織・運営体制が依然変わっていない証拠ではないかと私は思います。
 今、原子力発電所の操業再開が議論されています。経済的な問題も重要ですが、根本の安全対策がこれで良いのかと思いました。皆様はどう思われますか
 

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