私の戦後70年 テロについて ②

2016年3月21日月曜日 | ラベル: |

警察庁外事情報部長・松本光弘氏の「イスラム聖戦テロの脅威
―日本はジハード主義と戦えるかー」のご紹介

 5月26日~27日の三重県の志摩観光ホテルで開かれる「伊勢志摩サミット首脳会議」まで70日ほどになりました。2020年(平成32年)7月24日〜8月9日間に東京都を中心に開催される予定の第32回夏季オリンピックも含め、テロ対策が盛んに論じられています。
 私は警察政策学会「テロ・安保部会」に所属しています。2月8日(月)警察庁警備局外事情報部長 松本光弘氏の「国際テロ情勢について」のお話をお聞きしました。松本さんは、講談社から「イスラム聖戦テロの脅威」を出版されています。その内容の一部をご紹介致します。
 テロリスト、特に自爆テロリストは刑罰では抑止出来ません。また社会を狙ったテロでは誰でも被害に遭うことことが起こり得ます。昔の極左テロや民族紛争のテロに比べてテロの性格が異ってしまって、テロの対象は無差別化し、被害が甚大化しています。
 また、イスラム過激派メンバーではないが、その過激思想に共鳴して、イスラム過激派と同様のテロ行為を国内で独自に行うケース、例えばロンドン同時爆破事件やボストンマラソン爆弾テロ事件のようなホームグロウン・テロも発生して、テロの事前探知は非常に困難になっています。
 「イスラム聖戦テロの脅威」の記述によれば、
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 アルカイダには「本家アルカイダ(タリバン統治下のアフガニスタンの組織・ネットワークとその残党)」、「アルカイダ星雲(本家アルカイダからイデオロギー的鼓舞を受続ているグループ。本家アルカイダのイデオロギーとテロ方法論を奉じ、提携し、協賛している。)」があり、アルカイダ星雲は世界的に拡散している。本家は戦略的指導までで基本的には自活的で地元グループ独自の攻撃目標を否定しない。「アルカイダ星雲」に「本家アルカイダ」を加えて、「広義のアルカイダ」と呼ぶ。
 さらに、この「アルカイダ星雲」外側にホームグロウン・テロリストなどと呼ばれている「広義のアルカイダ」と直接の関係を持たないまま、その思想に感染した者たち、「勝手なアルカイダ」が存在している。
次の図をご覧ください。


 イスラム聖戦テロの脅威 P.95

  「イスラム国」は「アルカイダ星雲」に加わったが、その後土着化を強め、アルカイダからは距離をおいている。「国家崩壊地帯にイスラム国家を作ろう」が基本姿勢になっている。
  今日のテロの脅威は、且ての極左テロや民族紛争テロに比べ、一方でテロに走る者の性格が異なり、他方でテロの無差別化と被害甚大化により、事前阻止が求められているが、危険の早期探知は至難の技である。テロ対策と個人の自由とをどのように折り合いをつけるかも悩ましい点である。
 〇「イスラム聖戦テロの脅威」P.261我が国の課題の記述です。
  テロリストを暗殺したりせずにテロを未然防止するためには、正確な諜報を幅広く集め続けなければならない。欧米当局の諜報蒐集手段ハ、レパートリーが広い。とりわけ通信傍受は臨機応変にでき、多くのテロ阻止やテロリスト逮捕につながっている。
  欧米のテロネットワークは、従前なら血縁や地縁で辿られたが、今日ではアフガン訓練などで秘密裏に育んだ友情で結び付いている場合も多く、電話やインターネットで稀に、かつ目立たないように通信するだけで、顔も合せない。
  そのような、脅威に対抗するためには、ネットワークを炙り出し、監視するための技術的手段が必要。欧米では通信傍受や屋内監視が治安当局に授権されているのは、論理的に必然である。欧米などでは、真正な旅券を持ち、具体的な犯罪嫌疑もないテロ容疑者が入国下場合でも、行政的な通信傍受などにより、動静や接触相手を秘密裏に監視する。
  しかし、我が国ではそうした監視手段は極度に限定されている。誰と接触し、どこを狙っているのか、ほとんど知りようがない。外国では当然の手法を使えないと日本がブラックボックス化し、国民の国内外での安全に支障を生じかねない。
 日本の治安維持システムは、伝統的な法治国家の犯罪取り締り枠組みしか存在しない。それで国民、国家の安全を守りきれるのか - 我が国がテロ対策で直面している最大の課題だ。
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(所見)
 もし可能なら、「イスラム聖戦テロの脅威」¥920 講談社+α新書を是非お買い求め下さい。
 5月26日~27日の「伊勢志摩サミット首脳会議」の状況、オリンピックについては、2012年7月27日から8月12日までイギリスの首都ロンドンで開催された、第30回夏季オリンピックにおける英国の対応、さらには今年8月5日から8月21日までブラジルのリオデジャネイロで開催される第31回夏季オリンピックの状況をなど注視し、テロ対策に万全を期すべきだと思いますが、引用の最後に書かれれている「我が国がテロ対策で直面している最大課題」は当面改善されるとは思えません。警備当局の苦心と、国民の協力で何とか解決する他はないかと思いますが、私は極めて悲観的です。皆様はどうお感じでしょうか。

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私の戦後70年 テロについて

2016年1月17日日曜日 | ラベル: |

2015年9月6日以降休んでおりましたが再開致します。

○ 私の戦後70年 テロについて

 2015年(平成27年)1月7日 にフランス・パリ11区にある風刺週刊誌を発行している「シャルリー・エブド」本社が襲撃され、警官2人や編集長、風刺漫画の担当者やコラム執筆者らあわせて、12人が殺害されました。
 更に11月13日にはパリ市街と郊外のサン=ドニ地区の商業施設において、イスラム国(ISILないしIS)の戦闘員と見られる複数のグループによる銃撃および爆発が同時多発的に発生し、死者130名、負傷者300名以上に達するテロ事件が起こりました。 
 我が国でも、2016年(平成28年)5月26日~27日の伊勢志摩サミット、2020年(平成32年)7月24日〜8月9日東京都で開催される予定の第32回夏季オリンピックを控え、テロ対策が喧しく論じられています。
 我が国はテロとは無縁だったと思われている方も多いと思います。

 私は、1969年(昭和44年)4月28日沖縄反戦デー当日、銀座松屋デパートの前にあった都市銀行の銀座支店に勤務していました。その夜銀座4丁目角の交番は焼き打ちされました。デモ隊と警官隊との衝突に備え支店の男子職員は店に待機していました。店の前にはデモ隊の学生達が投石の準備をして屯していました。新橋の方向から警官隊が迫って来て、あわや市街戦開始かという直前にデモ隊が逃げてしまい、店は無事でした。地下鉄銀座駅は閉鎖されていたので、築地から地下鉄に乗って帰宅しましましたが、銀座駅を通過する時催涙ガスで目が痛くなりました。
 その当時、過激な集団が銀行のカウンター越しに火炎瓶を投げ込む恐れがあると言われていました。銀行の来店客の持物を一々チェックすることは不可能です。「火炎瓶で火傷を負った場合、衣服を脱がそうとすると皮膚が剥がれてダメージが大きくなるので、衣服はそのままで先ず水を掛けて冷やす。」という対策の為、営業場に水の入ったバケツを幾つも置いていました。
 その頃、支店の外の道路に古い乗用車が放置されていて、何やらケーブルみたいなものが見えていました。爆発物を積んだ車かも知れないと警察に通報し、チェックして貰ったところ単なる故障車でした。
 それから5年後、1974年(昭和49年)8月30日のお昼、亀戸支店長だった私はお得意様の鉄骨橋梁メーカーの副社長の方と,建替え前のパレスホテル最上階のレストランで食事をしていました。午後0時45分丸の内の方向のビルから真白い煙が立ち昇りました。ビルの屋上で何かが爆発したのかと思いました。直後に地上を多数のパトカーと救急車が気違いのように走り始めました。そこへ、お得意様の鉄骨橋梁メーカーの社長が三菱重工業前の爆発で重傷を負い、日比谷病院に運ばれたという知らせが入りました。私は直ちに支店長車をお貸しし、副社長に日比谷病院に急行して頂きました。日比谷病院では負傷者が数多く運ばれて手が回らないので、別の病院に分散させようとしているさなかに副社長が到着され、社長を掛かりつけの関東逓信病院に運び、長時間の手術の末一命を取り止めることが出来ました。ビルの陰に駐車していた社長車の運転手が血まみれの社長を抱き起こしている写真が写真週刊誌の表紙になりました。これは、東アジア反日武装戦線「狼」による無差別爆弾テロ事件でした。
 その年の暮、「過激派が財閥系の金融機関を襲う恐れがある。」との情報がもたらされました。私の銀行は関西の財閥系で亀戸支店は亀戸駅の前で目立った所にあり、近くに同じ財閥系のメーカーの施設もありました。所轄の警察署にお願いして12月31日の営業時間中は制服の警官に店頭に立って頂きました。私は、万一の場合に恥をかかないよう,新しい下着を身に着けて出勤しました。31日午後3時無事営業が終り、店を閉めた後所轄警察署にお礼に行きました。
 私は都市銀行勤務中、何度かテロを身近に経験していますが、日本人としては異例なのでしょうか。。

 都市銀行退職後ご縁があって、警察政策学会テロ・安保部会に所属しています。
 ある時イギリスの北アイルランドテロの話題でイギリスの専門家がお出でになりました。東京大学で会合がありました。お茶の水の聖橋から東大行きのバスが出ています。その専門家がJRお茶の水駅で降りられた時、ホームのベンチに紙袋が放置されていました。彼は真っ青になって「あれはなんだ」といったところ、案内役の東大の大学院の女性は、「誰かの忘れ物でしょう」と答えたそうです。放置された紙袋(爆発物ではないか)に対する意識がかくも異なるものかと、その会で話題になりました。英国の北アリルランド・テロ対策の法律では、疑わしい場合は何の根拠もなく家宅捜査をしたり、一定時間拘束することが出来るとなっていることに対し『わが国ではとんでもないことと反対されるだろう』という意見になりましたが、現実にはそうでもしなければ北アイルランド・テロ対策は出来なかったのだと思います。
 1995年(平成7年)3月20日に、東京都の帝都高速度交通営団の駅でオウム真理教が起こした、サリンを使用した同時多発テロ事件で、死者を含む多数の被害者を出しました。
 核(ATOMIC)、生物(BIO、)化学(CHEMICAL)の3つの頭文をとっててABCテロと呼びます。まだ伝統的な爆薬によるテロが主流ですが、この事件は化学兵器によるテロの世界最初の成功例として、世界に大きな衝撃を与えました。
 アメリカ・ニューヨークの危機管理監の方が警察政策学会テロ・安保部会で話をされた時、「日本人は何故あの事件で薬物がサリンだとすぐ判ったのか。」と質問されました。当時の警察庁の関係者が「実はその前1994年(平成6年)6月27日に長野県松本市でサリンが撒かれ,犯人はオウム真理教教徒らだと思われ、警察としては自衛隊と連絡を取りサリンについて研究していた。」と答えたところ初めて納得していました。日本人には地下鉄サリン事件が「化学兵器によるテロの世界最初の成功例」だとの認識が薄いうように思われます。
 築地の聖路加病院では日野原重明先生以下が多くの被害者の救護に当たられました。警察政策学会テロ・安保部会では聖路加病院の方のお話もお聞きしました。たまたま当日セミナーが行われる予定で、ビデオ機材が用意されており、サリン事件の救護の状況が記録されました。これは大変貴重な記録で米国からも閲覧の希望が寄せられたそうです。聖路加病院は廊下や礼拝堂にも救急施設が設けられていて大いに機能を発揮したようですが、礼拝堂の換気が不十分でサリンによる二次汚染が発生したとのことでした。
 昔の軍歌「戦友」に「軍律(ぐんりつ)嚴し(きびし)き中なれど/ 是(これ)が見捨て(みすてて)ゝ置かれよか /確りせよと抱き起し /假繃帶も彈丸(たま)の中」とありますが、ケミカル・テロの場合、「確りせよ」と抱き起こすについては、二次汚染を覚悟で抱き起す必要があります。二次汚染を除くには、衣服を脱ぎ棄て、シャワーを浴びるのが最も簡便な方法だとのことでした。爆発音も無く人がバタバタと倒れている場合はケミカル・テロかと疑って、一般人が救助する際には二次汚染を覚悟して行うべきだと言われています。
 ケミカル・テロについて、「一般の人は二次汚染を覚悟で救助する」といった知識の普及が我が国ではまだまだ不十分だと私は思います。
 私は今海外における社員の安全をサポートする会社のお手伝いをしています。その会社で、イギリスの危機管理対応の会社の方のセミナーをお聞きしました。例えば無差別テロでテロリストに銃口を向けられた場合はなるべくは逃げるべきだと言われました。然し、逃げる暇もなく銃口が向けられている場合は、一歩踏み込んで片手で相手の銃口を上に向け、もう一方の手で相手の腕を叩いて銃を落とす。その動作の訓練をされました。ケミカル・テロの場合の教訓もそうですが、最悪の場合座して命を落とすのか、死中に活を求めるのか、そういった知識をを知っているかいないかは重大な問題だ痛感します。
 我が国では、個人々々のテロに対する心構えや対策の普及が遅れているのではないかと思います。好むと好まざるに拘わらず、もっとテロに対する基本的な知識・心構えを普及させる必要があると私は思います。

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