法律の解釈と適用について 〜法制度と実務の乖離〜

2012年10月10日水曜日 | ラベル: |

 我が国では法制度と実務が乖離している場合が多々あります。欧米から輸入した株式会社法の建前と、我が国の株式会社の実務・実状との甚しい乖離は大きな問題です。ごく最近そのことを痛感しました。

○長崎くんち
 今年、10月7日(日)8日(月)9日(火)は「長崎くんち」です。
 これは長崎の氏神様「諏訪神社」の秋季大祭です。 寛永11年(1634年)が「長崎くんち」の始まりと言われています。 爾来、長崎奉行の援助もあって年々盛んになり、さらに奉納踊には異国趣味のものが多く取り入れられ、江戸時代から絢爛豪華なお祭りとして有名です。私の父は長崎で育ちました。私は一回だけ「長崎くんち」を見物する機会がありました。

○諏訪神社です。



○演しものの一つです。

○取締役の善管注意義務
 取締役の基本的な義務として、会社に対する取締役の善管注意義務と忠実義務があります。
 取締役は、株主総会による選任決議を受けて、会社がこの者に経営を委任し、選任された者がこれを引き受ける(就任を承諾する)ことによって取締役の地位につきます。このように、会社と取締役の間には委任契約が存在し(会社法330条)、会社が委任者、取締役が受任者の関係にあります。
 そこで、取締役は委任契約における受任者として、善良なる管理者の注意をもって業務執行を行う義務を負うことになります(民法644条)。これを、「善管注意義務」といいます。 善管注意義務とは大まかにいえば、『取締役という地位にある者として一般に要求される程度の注意を払って業務を遂行する』ということになります。
 万が一、受任者に専門家としての注意不足があり、そのことにより委任者に損害が発生したときは、受任者は委任者に対して賠償しなければならないということになります。これが、善管注意義務違反による損害賠償です。

○60年前の教え
 私は1952年に京都大学法学部に入学しました。2年目から専門科目の授業が始まりました。今から約60年前、私は民法のゼミナールに所属し、当時新進気鋭の林良平教授からご指導を受けました。今もその教えに従っています。ゼミでは下記のようなことを徹底的に叩き込まれました。
①法律の解釈については、論理的であることは当然であるが、具体的妥当性のある解釈を下すについては、その人の経験・教養が重要である。全人格が解釈に反映するものである。
②法律の適用については、事実関係の確認が極めて重要である。事実の中に法律の解釈を決するものがある。

○何故裁判官を信用するのか

 私は銀行退職後、銀行のお世話で就職した大手製薬会社で、国際化に備えて英会話の個人レッスンを受けましたが、先生のアメリカ人から「刑事裁判において、何故日本人は職業裁判官を信用するのか」と言われました。当時はあまり議論されていなかった、陪審員制度のことです。アメリカ人は、社会の一般常識が刑事裁判の判決に反映されるべきだと思っています。これは民事裁判についても同じことが言えると思います
 判決は裁判の場における正義だと思います。裁判官・検事の一般常識と乖離した法律の解釈や適用についてあまり問題にしない日本人は、何とお人良しなのでしょうか。 私を含め、日本人の殆どは一生裁判に関係しないで済む幸せな(?)国に生きているからだと考えます。

○法制度と実務の乖離
 私の親しい中小企業の元代表取締役専務の方が相談役になられた後に、その会社は民事再生手続きを開始しました。会社は旧代表取締役に対し、善管注意義務違反として巨額の損害賠償を請求して来ました。私はゼミの後輩の弁護士と相談をして対応しました。
 その方は東日本地区の営業を担当する役員として職務に精励していたのですが、東日本地区の或る取引先に対する支援(含む融通手形の交換)がその会社の民事再生手続き開始の原因であるとして、彼の取締役としての善管注意義務違反が問われました。彼は担保範囲を越える支援には終始反対していました。また融通手形の交換については、彼の担当外である西日本地区の業績不振による資金繰りの悪化の糊塗策の結果とみられます。彼は決算粉飾を含め社長や経理担当常務からは何の情報も得ていなかったので、その旨を答弁したのですが、裁判官からは一顧だにされませんでした。
 私も上場会社の取締役・監査役の経験があります。我が国の企業では、担当外の事業の状況について、個々の取締役が実態を承知するのは至難の技です。実際は執行役員の立場でいながら、会社の制度上取締役になっているケースも多いと思われます。
 法律の建前と、実務が大きく乖離している場合でも、法律の解釈としては責任を逃れることは出来ないと思いますが、裁判官が法律の建前だけで、実務の実際に対して一顧だにしない事に彼は非常に傷ついています。全く責任を逃れることは出来ないにしても、裁判官には実情を理解して貰えないのかと嘆いています。
 当時、彼があくまで支援に反対する、或いは会社の状況に対し経理担当常務を詰問すれば、会社では内粉になり、得意先・金融機関の信用を失い、最悪の場合その時点で倒産に至っていたかも知れないと私は思います。結果からみれば,善管注意義務違反でしょうが、割り切れないものがあります。
 もし裁判官がこれらの事情を斟酌しようとすれば、会社経営に対する実務知識が必要になります。それは必要ないいう裁判官の判断だろうと思われます。
 林良平千先生から60年前に教えられた
②法律の適用については、事実関係の確認が極めて重要である。事実の中に法律の解釈を決するものがある
 は、その後会社経営の実務においても、裁判官の判断においても全く改善されることなく、今日に至っていることを痛感致します。
 裁判官からすれば、法律に定められた通りの会社経営をしていないことが問題だということでしょう。然し、多くの会社の取締役会が法律に定められた通りの会社運営をしていないという事実の重みも重大です。法曹界と実務の双方で、何故そうなのか、どうすべきかについてのシリアスな議論がなさるべきだと思います。
 今年1月オリンパスは現旧取締役に対し、巨額の損害賠償訴訟を提起しました。私の経験からオリンパスの多くの現旧取締役の方々に取っては大変酷な話だと思います。役員損害賠償訴訟に関して極めて有能な研究仲間の弁護士さんにその感想を述べました。彼は自分も同感だが、法律的には根拠のあることだからと言っていました。
「我が国の会社経営における、法制度と実務の乖離」特に「善管注意義務違反による損害賠償」の問題は会社に問題が起らなければ我が身に振りかかって来ませんから、現在の取締役の方々は楽観的なのだろうと思います。然し、実は大きなリスクだと考えます。
 次回以降、エンタープライズ・リスクマネジメントとコーポレートガバナンスについて、そのあたりを考えてみたいと思います。