私は小学校、中学校、高等学校時代は九州の佐賀市で過ごしました。佐賀市は有明海に面した穏やかな平野部にあります。佐賀平野で行われる秋の佐賀インターナショナルバルーンフェスタが有名です。同じ有明海に面し佐賀のずっと南に水俣(みなまた)市があります。
水俣病は、チッソ水俣工場の工場廃水に含まれて排出されたメチル水銀化合物が水俣湾内の魚貝類を汚染し、それを摂取した地域住民が発病したものです。チッソの水銀汚染(水俣病)は昭和25年(1950年)ころ から発生していましたが、チッソは自社の責任とは認めず、原因が中々特定されなかったのですが、昭和48年(1973年)に原因が確定しました。チッソ側では、その後水俣病の補償金が急増しました。チッソの場合は 、補償金は当然全額チッソの負担になりました。
昭和48年(1973年)3月期(6ヶ月)チッソの売上高264億円、純利益7億円に対し、水俣病関係費用は66億円が計上されました。(昭和47年9月末の自己資本は70億円)
昭和53年(1978年)3月末には繰越欠損金は363億円に達し、期末自己資本は △276億円となり,上場廃止になりました。熊本県は県債を発行して、チッソに補償費用の融資を行い、水俣病の補償遂行のため 会社は存続しなければなりませんでした。
平成17年(2005年)3月期は、売上高1147億円・経常利益78億円(水俣病補償損失45億円・公害防止事業負担金12億円)、期末繰越損失1509億円、長期借入金1420億円でした。年間売上高を上回る繰越損失、長期借入金(熊本県からの借入金)です。返済も容易でなく、金利が上がれば利益も危ない、会社は実質死に体状態でした。
22年(2011年)3月期は売上2612億円、経常利益220億円、純利益105億円 (水俣病補償46億円)、長短借入金1881億円、純資産合計△807億円と状況は大分改善されて来ました。23年3月末に分社化し、事業譲渡受会社はJNC㈱ (チッソ子会社)、チッソ㈱は持株会社となり、従来同様補償を継続することになりました。原因確定から38年後のことです。
東京電力の事故処理も長期間掛ることでしょう。今回の東京電力の事故はまだ継続中であり、その内容は我が国のエネルギー政策の根幹を揺るがすものです。また事故による損害の規模はまだ拡大中で、チッソの場合とはと比較にならないほど大きいので、私はチッソのケースはあまり参考にならないと思います。
■ なお、リスク対策Comと言う雑誌5月25日号の私の寄稿をご参照下さい。