「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の最終報告書(3) 〜 柳田邦男氏の意見 〜

2012年8月20日月曜日 | ラベル: |

 「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の最終報告書について、今回は柳田邦男氏のご意見の部分の感想です。8月4日の朝日新聞13面に柳田邦男氏のインタビュー「原発事故調査を終えて」が掲載さています。「被害者への想像力・事故対策から欠如、2.5人称の視点を。」に感銘しました。
 前回の畑村洋太郎委員長のご意見もそうですが、調査に当たる人の持つ強固な思想と信念が調査報告に生きていると思いました。

○高校野球の熱戦が行われている甲子園のあたりの風景です。

 甲子園の浜辺は海浜公園になっています。
白い砂浜の明るい住宅地です。

 8月4日の朝日新聞13面、柳田邦男氏のインタビュー「原発事故調査を終えて」の冒頭で柳田氏は
「原発事故の調査では、放射線量が高くて直接原子炉を調べられないばかりか、被害地域が広大で、しかも被害内容が健康、生活、職業、環境など多岐にわたります。短期間で全容を明らかにすることはとても無理で、立ちすくむ思いでした。」「原発事故による避難の混乱を象徴的に示す事例として搬送中や避難先の体育館などで患者数十人が亡くなった大熊町の双葉病院について調査しました。(中略)一人ひとりの悲劇の経緯を調べることで原発事故時の避難がいかに大変で、生死を分ける条件は何かが判り、住民の命を守る避難計画の必要条件が引き出せるのですが、それには時間もマンパワーも足りませんでした。」
 と言っておられます。

 「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の最終報告書の双葉病院に関する記述です。                       *下線は筆者
『福島県は3 月11 日に、知事を本部長とする福島県災害対策本部(以下「県災対本部」という。)を設置し、原発事故の対応に当たったが、県災対本部内外の連携等が十分ではなかったために、幾つかの問題が発生した。そのうちの一つが、避難区域内に取り残された双葉病院の入院患者等の避難・救出における対応である。
避難区域内に取り残された双葉病院の入院患者等の避難・救出に当たり(中略)
  1. 3 月13 日まで、いずれの班も避難区域内の入院患者を把握するのは自班の業務ではないかとの問題意識に欠け、かつ、互いに確認することもしなかった。
  2. 県災対本部は、双葉病院の入院患者の多くが寝たきり状態にあるとの情報を得ていながら、その情報を県災対本部内で共有せず、そのため、同月14 日の搬送において、寝たきり患者の輸送には適さない乗換えが必要となる車両手配をした。
  3. 県災対本部とは別に、県の保健福祉部・障がい福祉課が独自に搬送先病院を手配していながら、そのことについて県災対本部と連絡を取らなかったため、搬送先は遠方の高等学校の体育館となってしまった。
  4. 同日夜、双葉病院長は、警察官と共に割山峠に退避して自衛隊の救出部隊を待っいたが、福島県警察本部から連絡を受けた県災対本部内でこの情報が共有されなったため、同院長らは自衛隊と合流できず、同月15 日の救出に立ち会えなかった。
    そのため、同日2 回目の救出に当たった自衛隊は、同病院別棟に35 名の患者が残されていることに気付かず、患者はそのまま残された。
  5. 県災対本部救援班は、同病院患者の避難のオペレーションの全体を統括していたわけではなく、全体についての情報を正確に把握していないのに、断片的な情報を基に、あたかも双葉病院関係者等が陸上自衛隊の救出を待たずに現場から逃走したかのような印象を与える不適切な広報を行った。
被災地からの避難・救出における今回のような事態の再発を防ぐためには、第1 に、県が設置する災害対策本部の班編成を、平時の組織を単に縦割り的に寄せ集めたものでなく、対応すべき措置に応じた横断的、機能的なものにするとともに、全体を統括・調整できる仕組みを設け、かつ、各班相互の意思疎通の強化を図ること、第2 に、防災計画においても、県の災害対策本部に詰める職員のみならず、必要に応じ、いつでも他の職員も災害対応に当たる全庁態勢をとること等が必要である。
また、原子力災害においては、その規模の大きさから、県が前面に出て対応に当たらなければならず、この点を踏まえた防災計画を策定する必要がある。』
柳田氏は『原発を推進してきた専門家、電力会社のすべてに共通するのは原子力技術への自信過剰です。(中略)自分自身や家族が原発事故によって自宅も仕事も田畑も捨て、いつ戻れるともしれない避難生活を強いられたらどうなるだろうか。そいう被害者の視点から発想して原発システムと地域防災計画を厳しくチェックし、事故対策を立てれば違った展開になっていただろうと思うのです。電力会社や行政の担当者は、システムの中枢部分の安全対策には精力を注ぎます。それも不十分だったわけですが、周辺住民をどうやって安全に避難させるかといった問題はいわば遠景として軽く見がちです。(中略)三人称の視点でみているわけです。「もしこれが自分の家族だったら」という被害者側に寄り添う視点があれば、避難計画の策定もより真剣になっていたでしょう。私は客観性のある三人称と二人称の間の[2.5人称]の視点を提唱しています。』とインタビューを結んでおられます。

(所感)
 「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」は、非常に広汎な問題について触れていますが、大きな特色は調査に当たる中心人物の持つ強固な思想と信念が調査報告に生きているということです。
 8月4日の朝日新聞の柳田邦男氏のインタビュー記事の最後に山口栄二記者の「取材を終えて」は『「死ぬ気でやっていますから」という言葉にどきりとした。委員長代理を引き受けてから作家としての新しい仕事は断り(中略)翌日の委員会に出す原稿を書くのに睡眠1-2時間という日が続いた。(中略)改めて最終報告を読み返すと、言葉がより強く心に迫ってきた。』と結ばれています。
 会社の経営、大きな事業の推進、委員会報告書の作成等の総てに共通することですが、如何に多くの人間が参画していても、リーダーの強固な思想と信念が無ければ優れた成果は決して得られません。
 東京電力福島第一原子力発電所の事故に関しては、四つの報告書が出されています。
  • 「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」の報告書 (24.2.28)
  • 東京電力㈱の「福島原子力事故調査報告書」(24.6.20)
  • 国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書 (24.7.5)
  • 「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の最終報告書 (24.7.23) 
7月24日の朝日3面の寄稿で、加藤陽子東大教授は、第2次世界大戦終結時政府が自ら歴史の総括をしなかった事と対比して今回の国会と政府の大規模な事故調査と報告書作成の画期性を指摘されています。

 最近、保坂正康氏の「昭和史二つの日」を読みました。同氏は『開戦への決定過程の解明が足りない。また「一億総懺悔」は戦争の責任を曖昧にする非常に日本的な総括だ。』と指摘されています。責任の所在が曖昧なままでは教訓が活きません。事故の責任を明らかにすべきだと思います。
 私は敗戦の日、昭和20年8月10日は小学校の6年生でしたので、中・高・大学時代を通しての経験から、わが国で第2次世界大戦が敗戦に至った事情の分析と反省が十分に行われなかった結果が、現在の社会や企業に禍根を残していることを痛感します。これを東京電力の福島原子力事故で繰り返してはなりません。
 責任回避と弁明に終始している東京電力㈱の「福島原子力事故調査報告書」を除けば,何れの報告書にも傾聴すべきご意見が記載されています。
 私は客観的な事実を整理した上、今回の事故の教訓を活かすためには如何にあるべきかについて、報告書作成の中心になる方々の強固な思想と信念が滲み出ている「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の最終報告書に最も感銘致しました。
 今後、東京電力福島原子力発電所における事故の処理、損害賠償、それを踏まえた東京電力の再建には多大の困難が予想されます。政府の抜本的決断無くしては東京電力の再建は不可能だと思います。これらの報告書の提言を活かし、わが国の将来のために如何に対処するのか政府・東京電力関係者の責任は重大です。