電機大手の業績について想う ④ 「赤字では会社はつぶれない」

2012年9月20日木曜日 | ラベル: |

 16日の日本経済新聞32面「私の履歴書」今井敬様の文章の中に、富士製鉄永野重雄社長が「赤字では会社はつぶれない。手元にキャッシュがなくなり銀行が貸してくれなくなったときが本当の危機だ。」と語られたと書かれています。キャシュフローリスクの重要性を唱える者として「我が意を得たり」の思いが致します。

○8月末、35年振りに嘗ての勤務地岐阜へ行って「鵜飼い」を見て来ました。

 山の上は 岐阜城です。

 長良川です。
 

○「赤字では会社はつぶれない」 

16日の日本経済新聞32面今井敬様の「私の履歴書」
 


○赤字では会社はつぶれない 
 東京電力のケースでも、自己資本がマイナスになったら会社が倒産すると言うような議論が散見されます。東証の上場廃止基準は、「債務超過の状態となった場合において、1年以内に債務超過の状態でなくならなかったとき(原則として連結貸借対照表)」となっています。自己資本がマイナス(債務超過)になっても、直ちに上場廃止にもなりません。
 企業の損益が赤字であっても、更にその結果自己資本がマイナス(債務超過)になっても、手元にキャッシュがあれば会社は潰れません。そこのところをはっきりと理解することが肝心です。元富士製鉄社長永野重雄様の言葉として、「赤字では会社はつぶれない。手元にキャッシュがなくなり銀行が貸してくれなくなったときが本当の危機だ。」と、16日の日本経済新聞の今井敬様の「私の履歴書」の中で、キャッシュフロー・リスクの神髄を語って頂きこんなに嬉しいことはありません。
 昨年6月10日にご紹介した「経済産業省のリスクファイナンス研究会報告書」を是非読んで頂きたいと思います。私の申し上げたいことがみんな書いてあります。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1009715
 シャープのケースでは、主力銀行の態度が判然としないまま、主力銀行が8月の新規融資に担保権を設定して内外に不信を招きました。
 9月5日の朝日新聞9面に「新規融資に際し8月31日付でシャープ本社・亀山工場に主力銀行が担保権を設定。異例のこと。」と報じられたため、主力銀行はシャープの将来を信用していないことを内外に知らしめました。
 また、前回にも書きましたが、9月4日の日本経済新聞に『6月末の残高は3年前の3倍弱4600億円に上るが、(主力銀行は)経営改善に積極的に関与してこなかった。「シャープほどの優良企業なら大丈夫だと思った。」と銀行幹部は明かす。(中略)バブル崩壊を経て一度遠くなった企業との距離を埋められずにいる。』とか、9月5日の朝日新聞には『これ以上の融資には黒字転換するための事業計画が必要」(幹部)との声もある。』と報じられるなど、新聞記事で見る限りは銀行幹部の言動は今一つでした。
 支援の方針を明かにしないままの担保権の設定も一因となって、シャープは格付けの低下、株価の低落を招き、鴻海に足元を見られるなど、支援の順序が違っていたのではないかと古い銀行員としては思います。直近の融資に担保を付けてもエクスキューズにしかならないと思います。過去の無担保融資はシャープが行詰まれば損失になります。
 昔ならメインバンクとしての支援の姿勢を先ず明確にし、他方会社側と一緒に知恵を絞って事態の打開を図る場面です。その間の融資を躊躇っても全くプラスは無いのではないかと思います。主力銀行は歯を食いしばってでも支援する姿勢を示すのがシャープのためだったのではないかと思います。
 15日の朝日新聞11面に「シャープ創業100周年の記念行事は奥田社長の訓示のみ」と報じられています。哀れな100周年記念日になりました。
 主力銀行のみずほコーポレート銀行佐藤頭取は13日の会見で「モバイル端末の中核技術を高く評価し、協力を惜しまない」と言われました。何故最初からそう仰らなかったのでしょうか。投資政策を誤ったとしても、培った液晶技術が他国に流出するのは国益に反するのではないかと私は思います。
 折しも、18日の各紙は、アサヒビール元社長樋口広太郎氏のご逝去を報じています。嘗て勤務した銀行の大先輩です。ビールのシェアが10%を切って「夕日ビール」と言われ、土俵際にあったアサヒビールに1986年住友銀行副頭取から社長に転じ、スーパードライで同社を復活・再生させた方です。企業とメインバンクの協力の好事例だと思います。
 私は「夕日ビール」の時代から個人で飲む時でもビールはアサヒビールしか飲みませんでした。メインバンクの社員として、窮地にあるアサヒビールのためには他社のビールを飲むのはご法度でした。蛍光灯はナショナルかNECを付けていました。事の可否は別にして、そのくらい企業とメインバンクは強く結び付いていました。
 企業が窮地に陥った場合、メインバンクは先ず支援の姿勢を表明していました。一方メインバンクと企業の間では会社再生の方策を巡って徹底した協議がなされました。営業店の融資部門とは別に、銀行の企業調査部門は、業界を分担して業界の調査を行うと共に、業界別に自行の融資先の内容を分析し問題は無いかを常に検討していました。企業の危機に際し、営業店と調査部は協力して企業の再生方策を検討します。「自行のどの企業の支援を受けるか」などについても調査部は業界横断的な検討が出来ました。今回、オリンパスがソニーの出資を受けるについて、オリンパスは旧住友がメイン、ソニーは旧三井がメインです。他の理由もあったのでしょがが、金融面ではベストの組み合わせだと思います。
 今の主力銀行がそうした能力を失っている筈はないと思います。然し、シャープが液晶に会社の将来を賭けていた以上、世界のマーケットにおける液晶テレビのシェアの推移を見ていれば、主力銀行として将来に対する問題点は当然何年か前から予測されていた筈だと思います。「シャープほどの優良企業なら大丈夫だと思った。」と銀行幹部が明かしたなどとは信じられません。もしそうならば、「バブル崩壊を経て一度遠くなった企業との距離を埋められずにいる」のではなく、貸出金債権の保全という重大な義務をないがしろにしていたことだと思います。液晶テレビの世界的な生産・販売状況の問題は、シャープとの距離の問題では無く、業界調査の不備だと思います。また問題点が明らかになった場合、企業に意見を言わなかった(言えなかった?)としたら、与信保全上の怠慢だと思います。
 外から見ているので、当事者の方からは異論があると思います。また、欧米の銀行では取引先企業の苦境に当たってサポートすると言った議論は無いのかも知れません。仮にそうであっても貸出金債権の保全を図ることは、今でも銀行業務の重要な基本業務の一つだと思います。
 今の銀行で、定量的なデータをコンピューターに打ち込んで正確な分析結果が機械的に表示される仕組みは、効率的で手作業の時代に比べ大変良いことだと私は思います。ただ中小企業取引だけでなく(それにも大いに異存がありますが)大企業の与信判断でも主にコンピューターのデータで行い、定性的な部分が抜けているのではないかと懸念します。
 嘗ての銀行は貸出金利息収入と預金支払利息の差が収益の基盤でした。従って企業の倒産による貸倒れは銀行の収益基盤を揺るがすもので、「貸倒れリスクの管理」=「貸出金債権の保全」は銀行員に取って最重要業務でした。
 『財務諸表の計数の分析は過去の実績の分析ですから、現在の状態並びに将来の見通しは別途分析検討が必要です。更に貨幣価値をもって表現できない外的な経済環境とその変化、内的な経営の人的要素とその運営管理を含めて会社の実態を認識すべきであるという定性的な分析を加味した経営分析』がなされなければ、正確な与信判断は出来ません
                              *貸出の可否に関する判断を「与信判断」と言います。
 私は都市銀行勤務中、常に取引先の将来の見通しを考慮して与信判断を行って来ました。精一杯の努力をしても将来を見通すことは至難の技で、見通しを誤ったケースもあります。しかしその時々自分として精一杯の与信判断を繰り返して行くしかありません。後輩も取引先企業のために、優れた与信判断を行って欲しいと思います。

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電機大手の業績について想う ③ 「シャープに関する新聞報道」 

2012年9月10日月曜日 | ラベル: |

 シャープに関する新聞報道を読みますと、主力銀行の対応について違和感を覚えます。
外から見た意見ですが、主力銀行は、取引先の業況についてもっと理解しているべきです。人ごとではありません。また無担保の貸出金を有する場合は、貸出金債権の保全のためにも極力企業の再建をサポートすべきだと思います。

○一度だけ行った沖縄の風景です。

 

○メインバンクとは
 メインバンクと言う言葉は、わが国の経済が発展途上で、企業の自己資本の蓄積が少なく、銀行借入依存度が大きかった時代において存在しました。私が嘗て勤務した都市銀行の実務経験から、メインバンクの定義を私なりに致しますと、
  1. 当該企業に対する当該銀行の融資シェアがトップである。
  2. 当該企業と当該銀行の間に信頼関係が成立している
  3. 当該銀行は当該企業の資金調達についての最終責任を持っていると認識している
  4. 当該銀行は、当該企業の経営・業績に関して詳細を承知しようとし、且つ経営に関して意見を申し述べる
  5. 当該企業の経営危機に際しては、当該銀行が救済するとの暗黙の諒解が存在している。(銀行・企業・世間)
と言ったことかと思います。
 私の実務経験からは②当該企業と当該銀行の間に信頼関係が成立している。と言うことが最も重要なことでした。単に数字の上で融資シェアがトップであっても、大企業では企業と銀行の経営者間に、中小企業の場合は企業経営者と支店長の間に信頼関係が成立していなければ、メインバンクではありませんでした。
 企業の自己資本比率が大きくなり、また増資や社債等による資金調達が主になって、銀行借り入れ依存度が低下し、最後には借入金ゼロの企業も出来て、メインバンクの制度は崩壊したように思われます。
 ただ、企業の盛衰は激しいので、経営不振或いは事故・災害発生時のリスクファイナンスの見地からは銀行借入の価値はまだまだあると私は思います。数兆円の年商以上の手元現・預金を有する会社が、僅か数十億円の銀行借入を残しているのは、いざという場合に備えて平素から自社の状況を銀行のトップと融資部門に報告して置くためではないかと私は思っています。

○シャープに関する新聞報道
 9月4日の日本経済新聞1面「金融ニッポン・第2部 原点に帰る」 の記事に、
『銀行の現場力が落ちているのではないか。液晶パネルの雄、シャープの業績悪化に取引銀行が慌ただしく動き出したのは最近のことだ。「最終赤字が300億円から2500億円に拡大する。」みずほコーポレート、三菱UFJ両行は急遽、資産査定部隊を立ち上げた。8月末に決めた1500億円の追加融資では初めて担保も取った。(中略)6月末の残高は3年前の3倍弱4600億円に上るが、経営改善に積極的に関与してこなかった。「シャープほどの優良企業なら大丈夫だと思った。」と銀行幹部は明かす。(中略)バブル崩壊を経て一度遠くなった企業との距離を埋められずにいる。オリンパスの粉飾に主力銀行の三井住友銀行は気づかなかった。(中略)コンピューターに財務データを打ち込み、基準を満たせば機械的に貸し出す仕組みに慣れ(後略)」
と記述されています。
 オリンパスについては、私は監査法人の交替の問題、更には多くの企業が財テクで損失を出しているのにオリンパスだけが損失を出していないと言うことをメインバンクは本当に信じていたのか。もしかすると、今更知っていたと言えないのではないかと疑っています。
 コンピューターに財務データを打ち込み、機械的に貸出す仕組に慣れて、(正確な与信判断を怠っている。)と記述されていることについては、私は、定量的なデータをコンピューターに打ち込んで、正確な分析結果が機械的に表示されるのは効率的であり、手作業の時代に比べ大変良いことだと思います。ただ中小企業取引だけでなく(それにも大いに異存がありますが)大企業取引の与信判断までコンピューターのデータで行い、定性的な部分が抜けているのであれば話になりません。財務諸表の計数の分析は過去の実績の分析ですから、決算後の現在の状態並びに将来の見通しは別途分析検討をしなければ、正確な与信判断は出来ません。         *貸出の可否に関する判断を「与信判断」と言います。
 同紙はさらに企業育成こそ融資の王道。新たな資金需要を掘り起こすには従来以上に銀行員が取引先とともに経営を考える必要があるとも言っています。
 9月7日の朝日新聞9面にも「8月31日付でシャープ本社・亀山工場にメインバンクが担保権を設定」と報じられ,各紙が追随しています。この時期の担保権の設定は、メインバンクはシャープの将来を信用していないことを内外に知らしめることだと思いますので、果たして得策なのでしょうか、古い銀行員としては首を傾げます。格付にあたっても不利ですし、株価も下落します。また鴻海からは益々足元を見られることになると思います。主力銀行は歯を食いしばってでも支援する姿勢を示すのがシャープのためになるのではないかと思いました。
 直近の融資に担保を付けてもエクスキューズにしかならないと思います。過去の無担保融資はシャープが行詰まれば損失になります。昔ならメインバンクとしての支援の姿勢を明確にし、他方会社側と一緒に知恵を絞って事態の打開を図る場面です。その間に融資を躊躇っても全くプラスは無いのではないかと思います。旧日本興業銀行・三菱銀行を含む主力の二行がそのようなことを判っておられないとは到底思えません。
 しかし、朝日新聞には「これ以上の融資には黒字転換するための事業計画が必要」(幹部)との声もある。と報じられています。シャープが如何に対処すべきか銀行は判っておられないのでしょうか。先の日本経済新聞の記事と言い、銀行幹部のこうした言動が報じられるのは全く遺憾です。
 私は、都市銀行勤務中、主として本店における企業分析・審査や、支店おける貸出業務に従事しました。多くの企業との取引に関わりましたが、支店における貸出の稟議・本店における貸出の決栽あたっては、常に取引先の将来の見通しを考慮して判断を行って来ました。銀行勤務約30年の私の結論は、「企業の盛衰は経営者による。経営者に最も必要な資質は環境の変化に対する適応能力である。」ということでした。
 
1984年(昭和59年)に出版された日経ビジネス編「会社の寿命〃盛者必衰の理〞」は当時大変話題になりました。百年間の上位百社のランキングを作成した結果、『企業が繁栄を維持出来る期間、すなわち「会社の寿命」は、平均わずか三十年に過ぎない。』という本です。同書の「会社の生き残り条件5ヶ条」の第3番目は「危険を冒して活力を出す」、この項目の好事例として紹介されちる経営者はシャープの早川徳次氏とオリンパス光学工業の渡辺八太郎氏です。昭和59年現在のシャープ・オリンパス光学工業は評価に値する企業だったと思います。その後の経営者が方向を誤った訳です。「会社の寿命」最終章の標題は「壽命を握るのは経営者」です。

 私は、シャープも、パナソニックやソニーも、我が国の家電メーカーが良き経営者を得て再生することを心から願っています。



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電機大手の業績について想う ② 「会社の寿命”盛者必衰の理”」

2012年9月2日日曜日 | ラベル: |

 2月1日の記事でコダックの破綻と富士フィルムの発展を対比し、2月10日の記事で電機大手の業績についてパナソニックとソニーの再生を心から願うと書きました。
 28年前、昭和59年(1984年)に刊行された日経ビジネス編「会社の寿命”盛者必衰の理”」を読み返しますと、結局「会社の寿命を握るのは経営者」だという結論は今も昔も変らないということを痛感します。

○甲子園からさらに西へ、明石海峡大橋です。




○会社の寿命”盛者必衰の理”
 1984年(昭和59年)に出版された日経ビジネス編「会社の寿命”盛者必衰の理”」は当時大変話題になりました。百年間の上位百社のランキングを作成した結果、『企業が繁栄を維持出来る期間、すなわち「会社の寿命」は、平均わずか三十年に過ぎない。』という本です。





 同書によれば、会社の生き残り条件 5ヶ条は下記です。
  1.  時代を見抜く指導力。先を見通したリーダーの鋭い決断。
  2.  社風一新,沈滞を破る。
  3.  危険を冒して活力を出す。
  4.  大樹に寄りかからない。
  5.  ムダ金使いの勇気を。
さらに、強力なリーダーシップが不可欠だと言っています。
最終章の標題は『壽命を握るのは経営者』です。 
 私は、都市銀行勤務中、主として本店における企業分析・審査や、支店おける貸出業務に従事しました。多くの企業との取引に関わりましたが、支店における貸出の稟議・本店における貸出の決栽あたっては、常に取引先の将来の見通しを考慮して判断を行って来ました。銀行勤務約30年の私の結論は、「企業の盛衰は経営者による。経営者に最も必要な資質は環境の変化に対する適応能力である。」ということです。
昨年9月1日の記事で、「企業分析・経営分析に関しては昔から沢山の参考書があり、分析項目・内容・順序が詳細に述べられています。参考書の記述の順番に、数多くの項目を分析をして終章まで行っても、結論は出せません。それは、各項目の分析結果に軽重がついていないため、どこの部分は良い、どこの部分は問題だとはなっても、結局全体としてどうなのかの判断が出来ないからです。」と書きました。
今回の東日本大震災におけるBCPに関し、或る大手家電メーカーの方から、実践の結果をお聞きする機会がありました。その方は我が社は十分な対応が出来たと誇らしげに仰っていました。しかし、その後の同社の業況は悪化の一途です。
 リスクマネジメントやBCPの実践において、平成15年6月経済産業省のレポート「リスク新時代の内部統制」で言っている『事業活動の遂行に関連するリスク(オペレーショナルリスク)』に関しては十分に実践していても、『事業機会に関連するリスク(経営上の戦略的意思決定における不確実性)』の対応が不十分であれば、結局企業経営は上手く行きません。両者のリスクはともにバランスが取れた管理が必要です。
 パナソニック・ソニー・シャープなどの家電メーカーは、従来からの家電の分野に拘って抜本的な体質改善が行われないまま、主力製品のテレビの極端な不振に直撃され、大幅に業績が悪化したと考えます。『経営上の戦略的意思決定』に関しては全く経営者の責任であると思います。 
8月20日の二本経済新聞電子版の記事、「よみがえるか日本の電機 いでよ信念の経営者 稲盛和夫氏に聞く 中途半端な決断、病巣に」の記事の中で、稲盛氏は
「バブルで大きな痛手を被ったものだから石橋を叩いても渡りたくない、危険、リスクを冒したくないという方向へ日本全体の経営者が向いている。苦労知らずで意思決定が中途半端なトップばかり。それが今日の日本企業が抱える問題だと思う
と言っておられます。
「今の日本の家電業界に強力なリーダーの姿は見えるか。」の質問に対しては、
「残念だが、皆無だ。個別の企業の話をするのは何だが、例えばソニーでゲーム事業をゼロから立ち上げた久多良木健さん(元ソニー副社長)。異端だったかもしれないが、優れたリーダーの資質を備えていたのではないか。大事なのは技術や現場のわかる経営者。昔はIHIや東芝など技術系で武骨なやんちゃな人がトップになっていたが、今は文系で物わかりの良い人が偉くなる」
 「リーダーとは自分の仕事について壮大なビジョンが描ける人。ビジョンを描けて実行しようと思えばそれは信念にかわる。矢が降ろうとやりが降ろうと何があろうと信念を貫き通す。命さえも落とす覚悟で臨める強い意志をもつ。いわば頑固者。自分のビジョンを開陳し、賛成を得られなくても、そうですね、とやめるのではなく、むしろ勝手にしますとやり遂げる決意のある人。人間性に問題がなければ社員はそのトップについてくる」
 「どの会社でもトップから末端の社員の考え方を変えれば再生できる。要するに過去の成功体験などに固執せずこれまでの考え方を破壊できる企業であれば十分に再生可能だ。もちろん、痛みや苦痛も伴う。日航もその成功例だと思っている」
同記事の最後の『《記者の目》 勝ち組企業はトップダウン』では、
 『日本のデジタル産業界には「強力なトップが不在だ」と稲盛氏は嘆く。世界的なベンチャー企業を育て、通信業界の再編を仕掛け、日本航空を再建した現代のカリスマ経営者。その目には現在の経営者たちは「いずれも苦労知らずの決断力に乏しいエリート」にしか映らないのだろう。
今の世界のデジタル業界で勝ち組は、いずれも強力なリーダーを擁したトップダウン型企業だ。デジタル業界のトレンドは常に激しく変貌していく。経営には「スピードと集中」が求められる。ソニーは、米アップルにインターネットを活用した音楽配信事業で先手を打たれ、パナソニックとシャープは薄型テレビの世界競争で、韓国のサムスン電子の物量に圧倒された。デジタル業界の再生には、命懸けで改革に挑む豪腕トップが必要とされているのだろう。(聞き手は佐々木聖)』
と書かれています。
 私ごときが偉そうなことは言えませんが、豪腕なトップが育たない今日のわが国の企業風土は、将来に禍根を残すと思います。
 私は、パナソニックはじめ我が国の家電メーカーが良き経営者を得て再生することを心から願っています。

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「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の最終報告書(3) 〜 柳田邦男氏の意見 〜

2012年8月20日月曜日 | ラベル: |

 「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の最終報告書について、今回は柳田邦男氏のご意見の部分の感想です。8月4日の朝日新聞13面に柳田邦男氏のインタビュー「原発事故調査を終えて」が掲載さています。「被害者への想像力・事故対策から欠如、2.5人称の視点を。」に感銘しました。
 前回の畑村洋太郎委員長のご意見もそうですが、調査に当たる人の持つ強固な思想と信念が調査報告に生きていると思いました。

○高校野球の熱戦が行われている甲子園のあたりの風景です。

 甲子園の浜辺は海浜公園になっています。
白い砂浜の明るい住宅地です。

 8月4日の朝日新聞13面、柳田邦男氏のインタビュー「原発事故調査を終えて」の冒頭で柳田氏は
「原発事故の調査では、放射線量が高くて直接原子炉を調べられないばかりか、被害地域が広大で、しかも被害内容が健康、生活、職業、環境など多岐にわたります。短期間で全容を明らかにすることはとても無理で、立ちすくむ思いでした。」「原発事故による避難の混乱を象徴的に示す事例として搬送中や避難先の体育館などで患者数十人が亡くなった大熊町の双葉病院について調査しました。(中略)一人ひとりの悲劇の経緯を調べることで原発事故時の避難がいかに大変で、生死を分ける条件は何かが判り、住民の命を守る避難計画の必要条件が引き出せるのですが、それには時間もマンパワーも足りませんでした。」
 と言っておられます。

 「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の最終報告書の双葉病院に関する記述です。                       *下線は筆者
『福島県は3 月11 日に、知事を本部長とする福島県災害対策本部(以下「県災対本部」という。)を設置し、原発事故の対応に当たったが、県災対本部内外の連携等が十分ではなかったために、幾つかの問題が発生した。そのうちの一つが、避難区域内に取り残された双葉病院の入院患者等の避難・救出における対応である。
避難区域内に取り残された双葉病院の入院患者等の避難・救出に当たり(中略)
  1. 3 月13 日まで、いずれの班も避難区域内の入院患者を把握するのは自班の業務ではないかとの問題意識に欠け、かつ、互いに確認することもしなかった。
  2. 県災対本部は、双葉病院の入院患者の多くが寝たきり状態にあるとの情報を得ていながら、その情報を県災対本部内で共有せず、そのため、同月14 日の搬送において、寝たきり患者の輸送には適さない乗換えが必要となる車両手配をした。
  3. 県災対本部とは別に、県の保健福祉部・障がい福祉課が独自に搬送先病院を手配していながら、そのことについて県災対本部と連絡を取らなかったため、搬送先は遠方の高等学校の体育館となってしまった。
  4. 同日夜、双葉病院長は、警察官と共に割山峠に退避して自衛隊の救出部隊を待っいたが、福島県警察本部から連絡を受けた県災対本部内でこの情報が共有されなったため、同院長らは自衛隊と合流できず、同月15 日の救出に立ち会えなかった。
    そのため、同日2 回目の救出に当たった自衛隊は、同病院別棟に35 名の患者が残されていることに気付かず、患者はそのまま残された。
  5. 県災対本部救援班は、同病院患者の避難のオペレーションの全体を統括していたわけではなく、全体についての情報を正確に把握していないのに、断片的な情報を基に、あたかも双葉病院関係者等が陸上自衛隊の救出を待たずに現場から逃走したかのような印象を与える不適切な広報を行った。
被災地からの避難・救出における今回のような事態の再発を防ぐためには、第1 に、県が設置する災害対策本部の班編成を、平時の組織を単に縦割り的に寄せ集めたものでなく、対応すべき措置に応じた横断的、機能的なものにするとともに、全体を統括・調整できる仕組みを設け、かつ、各班相互の意思疎通の強化を図ること、第2 に、防災計画においても、県の災害対策本部に詰める職員のみならず、必要に応じ、いつでも他の職員も災害対応に当たる全庁態勢をとること等が必要である。
また、原子力災害においては、その規模の大きさから、県が前面に出て対応に当たらなければならず、この点を踏まえた防災計画を策定する必要がある。』
柳田氏は『原発を推進してきた専門家、電力会社のすべてに共通するのは原子力技術への自信過剰です。(中略)自分自身や家族が原発事故によって自宅も仕事も田畑も捨て、いつ戻れるともしれない避難生活を強いられたらどうなるだろうか。そいう被害者の視点から発想して原発システムと地域防災計画を厳しくチェックし、事故対策を立てれば違った展開になっていただろうと思うのです。電力会社や行政の担当者は、システムの中枢部分の安全対策には精力を注ぎます。それも不十分だったわけですが、周辺住民をどうやって安全に避難させるかといった問題はいわば遠景として軽く見がちです。(中略)三人称の視点でみているわけです。「もしこれが自分の家族だったら」という被害者側に寄り添う視点があれば、避難計画の策定もより真剣になっていたでしょう。私は客観性のある三人称と二人称の間の[2.5人称]の視点を提唱しています。』とインタビューを結んでおられます。

(所感)
 「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」は、非常に広汎な問題について触れていますが、大きな特色は調査に当たる中心人物の持つ強固な思想と信念が調査報告に生きているということです。
 8月4日の朝日新聞の柳田邦男氏のインタビュー記事の最後に山口栄二記者の「取材を終えて」は『「死ぬ気でやっていますから」という言葉にどきりとした。委員長代理を引き受けてから作家としての新しい仕事は断り(中略)翌日の委員会に出す原稿を書くのに睡眠1-2時間という日が続いた。(中略)改めて最終報告を読み返すと、言葉がより強く心に迫ってきた。』と結ばれています。
 会社の経営、大きな事業の推進、委員会報告書の作成等の総てに共通することですが、如何に多くの人間が参画していても、リーダーの強固な思想と信念が無ければ優れた成果は決して得られません。
 東京電力福島第一原子力発電所の事故に関しては、四つの報告書が出されています。
  • 「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」の報告書 (24.2.28)
  • 東京電力㈱の「福島原子力事故調査報告書」(24.6.20)
  • 国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の報告書 (24.7.5)
  • 「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の最終報告書 (24.7.23) 
7月24日の朝日3面の寄稿で、加藤陽子東大教授は、第2次世界大戦終結時政府が自ら歴史の総括をしなかった事と対比して今回の国会と政府の大規模な事故調査と報告書作成の画期性を指摘されています。

 最近、保坂正康氏の「昭和史二つの日」を読みました。同氏は『開戦への決定過程の解明が足りない。また「一億総懺悔」は戦争の責任を曖昧にする非常に日本的な総括だ。』と指摘されています。責任の所在が曖昧なままでは教訓が活きません。事故の責任を明らかにすべきだと思います。
 私は敗戦の日、昭和20年8月10日は小学校の6年生でしたので、中・高・大学時代を通しての経験から、わが国で第2次世界大戦が敗戦に至った事情の分析と反省が十分に行われなかった結果が、現在の社会や企業に禍根を残していることを痛感します。これを東京電力の福島原子力事故で繰り返してはなりません。
 責任回避と弁明に終始している東京電力㈱の「福島原子力事故調査報告書」を除けば,何れの報告書にも傾聴すべきご意見が記載されています。
 私は客観的な事実を整理した上、今回の事故の教訓を活かすためには如何にあるべきかについて、報告書作成の中心になる方々の強固な思想と信念が滲み出ている「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の最終報告書に最も感銘致しました。
 今後、東京電力福島原子力発電所における事故の処理、損害賠償、それを踏まえた東京電力の再建には多大の困難が予想されます。政府の抜本的決断無くしては東京電力の再建は不可能だと思います。これらの報告書の提言を活かし、わが国の将来のために如何に対処するのか政府・東京電力関係者の責任は重大です。

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「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の最終報告書(2) ~ 想定外と言うこと③ ~

2012年8月10日金曜日 | ラベル: |

8月11日で満79歳になります。未だブログを書くことが出来て大変幸せです。気力・体力のある限リ書き続けたいと思います。
 「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」中間報告書の最も重要なテーマは「想定外」の問題だと1月20日に書きました。最終報告書でもそのことに触れています。

○ロンドンその2・朝靄のハイドパーク。



 ○リスがいました。

○「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の最終報告書 
                                            *下線は筆者

 報告書は、2 重要な論点の総括、(3)求められるリスク認識の転換 で、
『(ⅰ)日本は古来、様々な自然災害に襲われてきた「災害大国」であることを肝に命じて、自然界の脅威、地殻変動の規模と時間スケールの大きさに対し、謙虚に向き合うこと。
(ⅱ)リスクの捉え方を大きく転換すること。これまで安全対策・防災対策の基礎にしてきたリスクの捉え方は、発生確率の大小を判断基準の中心に据えて、発生確率の小さいものについては、安全対策の対象から外してきた。一般的な機械や建築物の設計の場合は、そういう捉え方でも一定の合理性があった。しかし、東日本大震災が示したのは、“たとえ確率論的に発生確率が低いとされた事象であっても、一旦事故・災害が起こった時の被害の規模が極めて大きい場合には、しかるべき対策を立てることが必要である”というリスク認識の転換の重要性であった。
その場合、一般的な機械や設備等の設計については、リスク論において通念化されている「リスク=発生確率×被害の規模」というリスクの捉え方でカバーできるだろうが、今回のような巨大津波災害や原子力発電所のシビアアクシデントのように広域にわたり甚大な被害をもたらす事故・災害の場合には、発生確率にかかわらずしかるべき安全対策・防災対策を立てておくべきである、という新たな防災思想が、行政においても企業においても確立される必要がある。』
と述べています。更に、
(5)「想定外」問題と行政・東京電力の危機感の希薄さ
そもそも「想定外」という言葉には、大別すると二つの意味がある。一つは、最先端の学術的な知見をもってしても予測できなかった事象が起きた場合であり、もう一つは、制度や建築物を作ったり、自然災害の発生を予測したりする場合に、予想されるあらゆる事態に対応できるようにするには財源等の制約から無理があるため、現実的な判断により発生確率の低い事象については除外するという線引きをしていたところ、線引きした範囲を大きく超える事象が起きたという場合である。今回の大津波の発生は、この10 年余りの地震学の進展と防災行政の経緯を調べてると、後者であったことが分かる。(中略)
(東電が想定外としたのは)大きな地震が発生した記録のない領域については対象から外す、というものだった。「発生の可能性に関する十分な知見が得られていない(=科学的な研究が未成熟)」というのがその理由であった。(中略)
(東電は)すぐに新たな津波対策に取り組むのではなく、土木学会に検討を依頼するとともに、福島県沿岸部の津波堆積物調査を行う方針を決めるだけにとどめた。(中略)
防災対策に関する行政の意思決定過程を、行政の論理の枠内で見ると、それなりの合理性があったことは否定できない。しかし、大津波により2 万人近くの犠牲者が発生し、高さ14mを超える大津波が来襲して原発事故が引き起こされ、十数万人が避難を余儀なくされたという事実を前にして、行政には何の誤りもなかった、「想定外」の大地震・大津波だったから仕方がないと言って済ますことはできるだろうか。それでは、安全な社会づくりの教訓は何も得られないだろう。』
と記述されています。

以下は
○委員長所感 (東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 委員長 畑村 洋太郎)
の抜粋です。
『(1)あり得ることは起こる。あり得ないと思うことも起こる。
 今回の事故の直接的な原因は、「長時間の全電源喪失は起こらない」との前提の下に全てが構築・運営されていたことに尽きる。しかし、本来は「あり得ることは起こる」と考えるべきである。当委員会が中間報告を取りまとめた後の平成24 年2 月に海外の専門家を招いて開催した国際会議においてフランスの専門家などから、原子力発電分野では“ありそうにないことも起こり得る(improbable est possible)、と考えなければならない”と指摘された。どのようなことについて考えるべきかを考える上で最も重要なことは、経験と論理で考えることである。国内外で過去に起こった事柄や経験に学ぶことと、あらゆる要素を考えて論理的にあり得ることを見付けることである。
 発生確率が低いということは発生しないということではない。発生確率の低いものや知見として確立していないものは考えなくてもよい、対応しなくてもよいと考えることは誤りである
さらに、「あり得ないと思う」という認識にすら至らない現象もあり得る、言い換えれば「思い付きもしない現象も起こり得る」ことも併せて認識しておく必要があろう。
(2)見たくないものは見えない。見たいものが見える。
人間はものを見たり考えたりするとき、自分が好ましいと思うものや、自分がやろうと思う方向だけを見がちで、見たくないもの、都合の悪いことは見えないものである。東京電力の自然災害対策において、津波に対するAM 策を整備していなかったことや、複数の原子炉施設が同時に全電源喪失する事態への備えがなかったことにも、このような人間の心理的影響が垣間見える。このようなことを防ぐには、自分の利害だけでなく自分を取り巻く組織・社会・時代の様々な影響によって自分の見方が偏っていることを常に自覚し、必ず見落としがあると意識していなければならない
(3)可能な限りの想定と十分な準備をする。
 可能な限りの想定と十分な準備をすることが重要である。さらに、思い付きもしないことが起こり得る可能性を否定せず、最悪の事態に至らないような備えをしておくことが必要である。今回の事故では、調査の結果、地震に対する備えは相当程度行われており、地震自体によって重要設備が機能を喪失したことは確認できていないが、想定を超える津波に襲われた場合の備えがなかったために対応できず、大事故に至ったと考えられる。確立していないものであっても新たな知見を受け入れて津波の想定を見直し、それに対して十分な準備がしてあれば、又は予期せぬ事態の出来に備え十分な準備がしてあれば、今回のような大事故には至らなかった可能性がある。
 後から考えてこのようなことを言うのは容易であるが、まだ起こっていない時にこのような考え方をするのは非常に難しい。しかし、設計段階など過去のある時点での想定にとらわれず、常に可能な限り想定の見直しを行って事故や災害の未然防止策を講じるとともに、これまで思い付きもしない事態も起こり得るとの発想の下で十分な準備をすることが必要である
(4)形を作っただけでは機能しない。仕組みは作れるが、目的は共有されない。
   (略)
(5)全ては変わるのであり、変化に柔軟に対応する。
   (略)
(6)危険の存在を認め、危険に正対して議論できる文化を作る。
 危険が存在することを認めず、完全に排除すべきと考えるのは一見誠実な考え方のようであるが、実態に合わないことがままある。どのような事態が生ずるかを完全に予見することは何人にもできないにもかかわらず、危険を完全に排除すべきと考えることは、可能性の低い危険の存在をないことにする「安全神話」につながる危険がある。原子力発電は極めてエネルギー密度が高く、元来危険なものであるにもかかわらず、社会の不安感を払拭するために危険がないものとして原子力利用の推進が図られてきたことは否定できない。原子力防災マニュアルが今回のような大規模な災害に対応できるものとはなっておらず、事前の防災訓練も不十分であったなど、原子力防災対策が不十分であったことの背景に、我が国の原子力発電所では大量の放射性物質が飛散するような重大な事故は起きないという思い込みがあったことは否定できない。
 危険の存在を認めなければ、考え方が硬直化して実態に合わなくなるばかりでなく、真に必要な防災・減災対策を取ることができなくなる。危険を完全に排除しようとするために余計なコストを抱え込むことになったり、危険が顕在化してしまった後の被害の拡大を防止し影響を緩和するための減災対策を議論し、実施することができなくなる。原子力に限らず、危険を危険として認め、危険に正対して議論できる文化を作らなければ、安全というベールに覆われた大きな危険を放置することになる。(後略)
(7)自分の目で見て自分の頭で考え、判断・行動することが重要であることを認識しそ
のような能力を涵養することが重要である。(略)

 中間報告及び本最終報告で述べたとおり、個々の事象への対処には不適切なものがあったことは否めないが、他方で、現場作業に当たった関係者の懸命の努力があったことも是非ここに記しておきたい
 原子力発電所の事故は、事故発生から廃炉作業などの必要な措置が終了して真に事故が終息したと言えるまで、非常に長い期間を必要とするだけでなく、飛散した放射性物質によってその周囲に生活していた人々を全く理不尽にその場所から引きはがし、広範な地域において人間の生活と社会活動を破壊してしまう恐ろしいものである。現に、福島県の十万人以上に上る人々が避難を余儀なくされているなど、多数の人々が現在もこの事故の被害を受け、国民生活にも大きな影響が続いている。世界の人々も、今回の事故に強い衝撃と不安を感じた。我々は、この事故を通じて学んだ事柄を今後の社会運営に生かさなければならない。この事故は自然が人間の考えに欠落があることを教えてくれたものと受け止め、この事故を永遠に忘れることなく、教訓を学び続けなければならない

(所感)
 東京電力の福島原子力発電所における事故に関する調査報告書は、非常に広汎な問題について触れていますが、2012年1月20日に書きましたように最も重要なテーマは「想定外」の問題だと改めて思いました。
 リスクマネジメントの実践に際し、色々な事象から、将来起こるであろうリスクを想定し評価する場合、想定の内容はリスクマネジメントの担当者によって大きく変わってきます(リスクマネジメントの参考書にはこう言ったことも全く書いてありませんが)。
 私はリスクマネジャーとしての能力の重要な部分の1つは、企業に取って最も重要なリスクは何かを想定し、それを評価し、対策を講じるに当たり、本格推理小説における名探偵と同じような論理力・構成力・イマジネーションだと思っています。単独のリスクでもそうですが、いくつかのリスクが絡み合って大きなリスクになるような場合は特にこうした能力が必要です。
 東京電力のトップ、リスク管理部門、原子力発電部門のすべてにわたって今般の津波の想定が発想できなかった(しなかった?)ことについては、大きな問題だと思います。
 先に引用しましたように、今回の「想定外」と言う事態は『最先端の学術的な知見をもってしても予測できなかった事象が起きた場合』では無く『予想されるあらゆる事態に対応できるようにするには財源等の制約から無理があるため、現実的な判断により発生確率の低い事象については除外するという線引きをしていたところ、線引きした範囲を大きく超える事象が起きたという場合』であり、リスクマネジメントに関係する者として、リスクの想定に関する極めて大きな問題を提起している事例だと思います。
 「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の最終報告書と他の報告書との相異点は、客観的な調査の結果に中心になられた 畑村洋太郎先生・柳田邦男氏らのご意見が加っていることです。
畑村洋太郎委員長の委員長所感 にある、
発生確率が低いということは発生しないということではない。発生確率の低いものや知見として確立していないものは考えなくてもよい、対応しなくてもよいと考えることは誤りである。』
『このようなことを防ぐには、自分の利害だけでなく自分を取り巻く組織・社会・時代の様々な影響によって自分の見方が偏っていることを常に自覚し、必ず見落としがあると意識していなければならない。』
後から考えてこのようなことを言うのは容易であるが、まだ起こっていない時にこのような考え方をするのは非常に難しい。しかし、設計段階など過去のある時点での想定にとらわれず、常に可能な限り想定の見直しを行って事故や災害の未然防止策を講じるとともに、これまで思い付きもしない事態も起こり得るとの発想の下で十分な準備をすることが必要である。』
等の指摘を、リスクマネジメントに携わるすべての関係者は良く噛みしめて、今回の事故の教訓を後世に活かさなければならないと強く思いました。
次回は柳田邦男氏の「被害者からの目線」について書きます。
 

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「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の最終報告書(1) ~ 東京電力の問題点について ~

2012年8月1日水曜日 | ラベル: |

2011年12月26日に公表された畑村洋太郎先生・柳田邦男氏が中心の「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」中間報告書の最も重要なテーマは「想定外」の問題だと2012年1月20日に書きました。 同報告書の「最終報告書」が7月23日に公表され、私は主として同報告書の「Ⅳ、総括と提言」「委員長所感」を読んで感想を書きました。長くなりますので分けて書きます。

 ロンドンオリンピックが始まりました。私は1995年に1度だけロンドンに出張しました。
 ○ハイドパークの朝です。

 ○私はバラが趣味なので、出張の日程で半日だけあった自由時間に、キュー・ガーデン(Royal Botanic Gardens, Kew)へ行って来ました。大温室です。

○「政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の最終報告書(1) ~東京電力の問題点について~ 

「Ⅳ、総括と提言」の書き出しの記述です。
『今回の事故は、直接的には地震・津波という自然現象に起因するものであるが、当委員会による調査・検証の結果、今回のような極めて深刻かつ大規模な事故となった背景には、事前の事故防止策・防災対策、事故発生後の発電所における現場対処、発電所外における被害拡大防止策について様々な問題点が複合的に存在したことが明らかになった。例えば、事前の事故防止策・防災対策においては、東京電力や原子力安全・保安院(以下「保安院」という。)等の津波対策・シビアアクシデント対策が不十分であり、大規模な複合災害への備えにも不備があり、格納容器が破損して大量の放射性物質が発電所外に放出されることを想定した防災対策もとられていなかった。東京電力の事故発生後の発電所における現場対処にも不手際が認められ、政府や地方自治体の発電所外における被害拡大防止策にも、モニタリング、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の活用、住民に対する避難指示、被ばくへの対応、国内外への情報提供などの様々な場面において、被災者の立場に立った対応が十分なされないなどの問題点が認められた。加えて、政府の危機管理態勢の問題点も浮かび上がった。』 
我が国の原子炉施設の安全確保のための対策の問題点は、地震・津波等の外的事象によるリスクが重要であるとの指摘があったにもかかわらず、実際の対策に十分反映されなかった。(中略)また原子力発電の安全を確保するためには、単に発生した個別問題への対応にとどまらず、国内外の最新の知見はもとより、国際的な安全規制や核セキュリティ等の動向にも留意しつつ、国内規制を最新・最善のものに改訂する努力を不断に継続する必要がある。』

○東京電力に関する問題点

a 危機対応能力の脆弱性
b 専門職掌別の縦割り組織の問題点
c 過酷な事態を想定した教育・訓練の欠如
d 事故原因究明への熱意の不足
e より高い安全文化の構築が必要

報告書は、東京電力に関する分析の項目で、上記の項目を指摘しています。指摘の内容は報告書をお読み下さい。さらに、
『東京電力の対応を追ってみると、同社には原発プラントに致命的な打撃を与える恐れのある大津波に対する緊迫感と想像力が欠けていたと言わざるを得ない。そして、そのことが深刻な原発事故を生じさせ、また、被害の拡大を防ぐ対策が不十分であったことの重要な背景要因の一つであったと言えるであろう。』
「想定外」問題に対する東京電力の危機感の希薄さに関しては
『そもそも「想定外」という言葉には、大別すると二つの意味がある。一つは、最先端の学術的な知見をもってしても予測できなかった事象が起きた場合であり、もう一つは、制度や建築物を作ったり、自然災害の発生を予測したりする場合に、予想されるあらゆる事態に対応できるようにするには財源等の制約から無理があるため、現実的な判断により発生確率の低い事象については除外するという線引きをしていたところ、線引きした範囲を大きく超える事象が起きたという場合である。今回の大津波の発生は、この10 年余りの地震学の進展と防災行政の経緯を調べてると、後者であったことが分かる
(中略)大きな地震が発生した記録のない領域については対象から外す、というものだった。「発生の可能性に関する十分な知見が得られていない(=科学的な研究が未成熟)」というのが想定外の理由であった。』
と言っています。

○ 東京電力の在り方に関する提言(最終報告Ⅵ1(6)e)では、
東京電力は、原子力発電所の安全性に一義的な責任を負う事業者として、国民に対して重大な社会的責任を負っているが、津波を始め、自然災害によって炉心が重大な損傷を受ける事態に至る事故の対策が不十分であり、福島第一原発が設計基準を超える津波に襲われるリスクについても、結果として十分な対応を講じていなかった。組織的に見ても、危機対応能力に脆弱な面があったこと、事故対応に当たって縦割り組織の問題が見受けられたこと、過酷な事態を想定した教育・訓練が不十分であったこと、事故原因究明への熱意が十分感じられないことなどの多くの問題が認められた。東京電力は、当委員会の指摘を真摯に受け止めて、これらの問題点を解消し、より高いレベルの安全文化を全社的に構築するよう、更に努力すべきである。』
としています。

 私のブログでも屡々書いていますように、今回の福島第一原子力発電所の事故における東京電力の対応には大いに問題があったと思います。然し、畑村洋太郎委員長は、「委員長所感」の中で、
『中間報告及び本最終報告で述べたとおり、個々の事象への対処には不適切なものがあったことは否めないが、他方で、現場作業に当たった関係者の懸命の努力があったことも是非ここに記しておきたい。』
と触れておられます。

(所感)
 私は、リスクマネジメントに携わる者として、また元銀行員としてリスクファイナンスの視点から、今回の福島原子力発電所の事故発生以来、新聞や諸雑誌の記事を読み、テレビの報道を見、4つの事故報告書を読み、事態の推移をフォローして来ました。
 その結果は、折々のブログに書いておりますが、結果としてわが国のトップ企業と評価されていた東京電力の在り方について非常な違和感と疑問を持ちました。
 6月20日(水)に公表された東京電力㈱の「福島原子力事故調査委員会」による「福島原子力事故調査報告書」は、自社の損害賠償責任のことを考えているのかも知れませんがこの期に及んでも事故の原因はあくまでも想定外の津波の結果だとしていて、想定出来なかったことに対する深刻な反省・責任の自覚は皆無です。まるで他人事で、他の3つの報告書の内容と大きく違っています。

 私は、戦争を知っている世代として、戦後我が国で「日本が第2次世界大戦で敗戦に至った経緯の分析と反省」が十分に行われず、その結果が現在のわが国の社会や企業に禍根を残していることを非常に遺憾に思っています。福島第一原子力発電所事故の調査がその轍を踏まないようにしなければなりません。
 畑村洋太郎委員長は、今回の報告書の「委員長所感」の最後を、『我々は、この事故を通じて学んだ事柄を今後の社会運営に生かさなければならない。この事故は自然が人間の考えに欠落があることを教えてくれたものと受け止め、この事故を永遠に忘れることなく、教訓を学び続けなければならない。』という言葉で結んでおられます。全く同感です。

 7月31日に国の資本が東京電力に注入され、東京電力は実質国有化されました。7月30日の日本経済新聞2面「東電再建へ7施策」の報道では、施策の最初が職員の「意識改革」です。これが原点です。米倉経団連会長は「国営では上手く行かない。」と仰せられていますがあのままではこうは行かなかったと思います。新経営陣のガバナンスに期待します。東電の社員の方々は辛いでしょうが、率直に今までの在り方を反省して教訓を活かす努力をして頂きたいと切にお願い申し上げます。

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QC(品質管理)とリスクマネジメント② 〜 リスクマネジメントの実務における経営的視点の欠如 〜

2012年7月20日金曜日 | ラベル: |

私は1961年に生産性本部の中小企業コンサルタント指導者養成講座に1年間参加し,石川馨教授の「SQC(統計的品質管理)」の講義を受講しました。その経験から、1年前の7月1日の記事で「QC(品質管理)とリスクマネジメント」について書きました。
 「QC(品質管理)とリスクマネジメント」、特に「リスクマネジメントの実務における経営的視点の欠如」について「QC(品質管理)の普及のプロセス」と比較して再度考えてみたいと思います。

 2009年に中小企業庁のBCP普及セミナーで高知市へ出張しました。
○早春の桂浜です。

 
○桂浜の小高い丘の上には阪本龍馬の銅像がそそり立っています。



○QC(品質管理)とリスクマネジメント 
          〜リスクマネジメントの実務における経営的視点の欠如〜

 東日本大震災の東京電力福島原子力発電所における事故、みずほ銀行のシステム障害に関する報告書を読みますと、「原子力の災害対応に当たる関係機関や関係者、原子力発電所の管理・運営に当たる人々の間で、全体像を俯瞰する視点が希薄であったことは否めない」と書かれています。また、みずほ銀行のシステム障害特別調査委員会の報告書でも「一連の障害を通じて、システム全体を俯瞰でき、かつ、多重障害の陣頭指揮を執り得るマネジメントの人材も不足していた」ことが指摘しされています。何れのケースでも「事故や災害発生時に企業全体を見ている人がいなかった」ということだと思います。「木を見て森を見ず」といいますが、部分・部分の対応ばかりに追われて、企業全体としていかに対応するかが疎かになっていたと指摘されています。
 私は、リスクマネジメント・BCMの実務において、企業全体を見るという視点が欠如しているのではないかと思います。私はこれを「経営的視点の欠如」と言いたいのです。
 経営者は、リスクマネジメントの技術的な部分は担当部門が保有するとしても、経営に重大な影響を及ぼすリスクをトータルに認識し評価出来るかが問題です。さらに、ERMの土台をなす、「従来型のリスクマネジメント」が確実に実行されていることを認識・評価出来ていなければなりません。
 経営者に危機意識があれば経営者自らがリーダーシップを取って対処することになる筈です。後述する戦後の,品質管理導入時の精神に立ち帰ることが必要です。当時はQCは経営の問題であるという自覚がありました。
 また、リスクマネジメントでは、中心となって推進する団体、リーダーがありません。QC導入時には,財団法人日本科学技術連盟(会長は初代経済団体連合会会長石川一郎氏)が中心になって推進されました。今は企業はバラバラにリスクマネジメントを推進し、コンサルタントの業務は個々のリスク対応の技術的部分が中心で、経営問題としての対応は少ないように思われます。
 学問の世界で見ても,コーポレート・ガバナンス論,監査論(外部、内部、監査役),リスクマネジメント論など専門分野が多岐に亙るので,内部統制,リスクマネジメントを企業に導入するについて指導的な役割を果す経営学者の存在も見つかりません。      
 
 昨年7月1日の記事でも触れていますが、財団法人日本科学技術連盟創立50年史の記述によれば、「我が国が第二次世界大戦に敗北した翌年の1946年11月に,連合郡最高司令部(GHQ)の担当者が統計的品質管理の導入を勧告した。」とされています。
 QC(品質管理)導入の中心人物だった東京大学石川馨教授らは、当初からわが国に適したQC手法の確立という思想を持っておられました。品質管理の普及活動は経営層・管理層・現場の3本立てで行われ、現場のQCサークル活動は“カイゼン”の名のもとに海外でも取り入れられました。
 統計的品質管理の本質を経営者が理解するのは容易でした。なぜならば、品質管理は主として製造部門の問題であって,理論は単純であり,製造担当役員を頂点とする製造部門が推進すればよく、縦割りの日本企業においては,きわめてやり易いことであったと思います。
 しかし、QC普及の当事者の自覚と努力により、生産部門の管理手法であった統計的品質管理は,我が国で独自の発展を遂げ,経営管理手法としての総合的品質管理(Total Quality control :TQC) へと発展して行き、その後のわが国の経済発展に大きく寄与しました。
 前記石川馨教授の弟さんである石川六郎氏が1978年2月に鹿島建設の社長に就任された際、「大企業病がはびこっている社内の精神作興を計るためにTQCを導入した。」と日本経済新聞の私の履歴書に書いておられます。
 管理手法は、経営の根幹をなすものであって、個々のテクニックの問題では無いと言うことを、QC導入当時の学者や経営者はしっかりと認識しておられたのだと思います。



 昭和29年に書かれ、昭和39年に改定された、石川馨先生の「新編 品質管理入門」の前書きには、「QCは学問や勉強では無く実行するのみである。(中略)本書に書かれていることを実行して、企業の体質改善をしていただきたい。」と書かれています。 
 第1章新しい品質管理とは 1.1品質管理とは の書き出しは
「あなたの会社の製品についての責任は、経営者にある。」です。
 さらに、 1.1.1品質管理の定義 
 「新しい品質管理とは、経営に関する1つの新しい考え方,見方である。
新しい品質管理とは、もっとも経済的に、もっとも役に立つ、しかも買手が満足して買ってくれる品質の製品を開発し,設計し、生産し、販売し、サービスすることである。この目的を達成するために(中略)会社全体として総てが協力して、各部門が同じように努力しやすい組織を作り上げ、標準化を行い、これを確実に実行していくことが必要である。」
 と記述されています。

 私は約25年間リスクマネジメントに関ってきて痛感することは、中小企業のみならず、大企業でも(なおさら)リスクマネジメントの実行に当たり、技術論が先行し、経営的視点(全体像を俯瞰する視点とも言えます)が不足していることです。これは現在多くの経営者にリスクマネジメントの本質に対する理解が不足している結果であり、官庁・大企業の人事政策が、高度の専門家を官庁・大企業内で育成するシステムになっていないことが原因です。わが国企業のリスクマネジメントの在り方を根本的に再検討すべきだと思います。
 更に、東日本大震災の教訓についてBCPの実務家と議論をした際、わが国のような企業組織の場合は、事故・災害発生後速やかに会社の状況を把握し、経営判断の基礎になるデータを作成するソフトがあればという議論になりました。まだ世の中には無いと思いますし、ソフトを作成するのは容易ではありませんが、東日本大震災に対する企業の対応に関する報告書の指摘に対し、規模が大きく、連鎖の複雑な大企業の場合には各社固有の状況を踏まえて経営者自らの経営判断をするのに役立つデータが直ちに提供出来るかが問題です。 企業が被災時にとる実際の対処について、或いは平素PDCAサイクルを回すについて、わが国企業の現実を直視した実務の体制を考えるべきではないでしょうか。
 リスク対策COM.7.25号にも本稿と同じく「リスクマネジメントの実践における経営的視点の欠如」について書いています。もうすぐ発売されますのでご興味があったら読んで下さい。

○参考文献:一橋大学 佐々木聡教授 『戦後日本のマネジメント手法の導入』
        『一橋ビジネス レビュー』(東洋経済新報社)2002年秋号
        :財団法人日本科学技術連盟 「創立50年史」
        http://www.juse.or.jp/about/pdf/history/history_60.pdf

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